はてなダイアラー

11/11の文学フリマ東京で貰った『わたしがブログを書く理由』(はてなブログ文学フリマ本2023秋)、おもしろかった。バズりたくない儲けたくない役に立ちたくない同調したくない、ただ、ブログを書くと言う行為には代替するものがないからブログを書くんだと、どの人のを読んでもどこかは私のことかと思った。

前のブログから数えたら20年はてな使ってきて、その割にはてなのコミュニティには疎いからこの企画をやってたことも知らなかったんだけど、ただ同じはてなを長いこと使ってるというだけで他人の書いた文章にここまで共感できるのかと思った。
逆かな。そういう人が残るのかな。

最近は新たにブログ開設するというとnoteが主流な感じで、私も「タイムスタンプが秒までつく」という一点で一度アカウントを作ろうとしたことがあるのだが、どうにも「役に立つ記事を書く人がいるところ」というイメージがあって踏ん切れなかった(あとnote内で検索できるのが羨ましい。はてなもダイアリーの頃はできたんだけど)。良い悪いではなく、私の書くものは役に立たないという自己卑下でもなく、じゃあなんなんだろうというと「役に立ちたくない」だなとこのZINEを読んで思った。読んだ人にとって結果的にたまたま役に立つとかあればもちろん嬉しいけど、それは別の話だ。

昔忘備録のつもりで書いたセブンのマルチコピー機から「ちょっと小さめ」をオフにするエントリ(今でもエントリっていうんだろうか)が、珍しく実用的だったようでGoogleで上の方来るのか未だに未だに未っだにアクセス解析不動の一位で、もう情報も古くなってるだろうし邪魔くさいから消してやろうかと思うこともある。消さんけど。

そういうのではなく、私より後になにかにはまった人が、自分が見てない頃のライブの様子を知りたくて、検索してたどり着いたとかはすごく嬉しい。

仕事になるわけでも儲かるわけでもなく、読まれてる実感もさほどなく紙の日記でも良いことをなんでブログに書くのかなと、私も思ったことがないわけではないのだが、単に書くのが好きだから、楽しいから、書いておかないと忘れるから、人が見る場所という緊張感がないと罵詈雑言になるから、紙だと検索できないから、と、理由も即上げられる。
でも考えてみたら、ブログから仕事を得るとか収益化するとかは、ブログそのものが生まれたときにはなかったもので、そういうのができてから「金も儲からないブログを続ける理由は?」というのはある意味レトロニムなのかもしれない。

バズりたくない儲けたくない役に立ちたくない同調したくない、でもブログが書きたいという、書き続けてみないとわからない心境のままいられる場所があってよかったと思う。ジオシティーズヤプログもYahooブログもウェブリブログもLINEブログもなくなってしまった。ロリポブログはどうだっけ。

文学フリマはてなのブースでこのZINEを貰った時、長いこと使ってますとは言えたのだけど、「はてなブログができてからも一文の得にもならないはてなダイアリーを長く維持してくれたこと、どうしようもなくなって廃止する時も消すのではなく自動でブログに移行してくれたことを今でも感謝している」と言えば良かったと後から思った。
なので今書いた。