ラッキースター

以下、「宇宙戦隊キュウレンジャー」とVシネクスト「ルパンレンジャーVSパトレンジャーVSキュウレンジャー」のネタバレがあります。

4月の終わりごろから5月の初めにかけて「宇宙戦隊キュウレンジャー」を見ました。
スーパー戦隊シリーズはとりあえず片っ端から1話だけ見てとっつきやすそうなところからチャレンジしてるんですが、キュウレンジャーは最初見て「宇宙一ラッキーで押し通せるのか……? あと全宇宙って規模が広すぎない……?」と怯んでしまっていました。すいません。
でもルパパトキュウを見る前にどういうメンバーなのかくらい知っておいた方が楽しそうなので、とりあえず全員揃うところを見てみようと4月末から飛び飛びで見てたんですが(あとスティンガーが人気ありそうなのはすぐわかったので、スティンガーとスコルピオのエピソードは追ってた)、キュウレンジャーだから9人だろう(増えても10人だろう)と思っていたらまさかの総勢12人っていう。常に予想の斜め上を行くなニチアサ!
それで間飛ばしつつツルギが出た話まで見て映画に行ったのですが、本編で「俺様の盾になれ」とか言ってた人がラッキーとえらい仲良しになっとる。肩書きも「宇宙大統領」ってとんでもなく景気がいい。ていうかツルギかっこよすぎない!? 顔も良すぎない!? あとこれWレッドじゃないの??? となって、結局最初から全部見直しました。

不思議なものでルパパトメンと一緒にいるところを見てキュウレンジャーの世界観に馴染みができたのか、映画見た後のほうが明らかに見る前よりキュウレンジャーの世界にスッと入っていけました。そうするとすぐに「宇宙一ラッキー」の意味を誤解していたことがわかりました。ラッキーは、宇宙一ラッキーなのではなくて、宇宙一ラッキーと信じていることが強さの男。

私は「観用少女」の「信じることが力なの 自分で選ぶことが大切なのよね」がフィクションに教わった一番大事なことのひとつという人間なので、これでもうかなりグッと来てしまった。

でもよくよく聞いてみると主題歌でもう言ってるんですよね。「ツキまくってると強く信じ」って。主題歌については後で書くけどこれがもうほんとうにいい曲で(ゴーバスターズでも言ってますが)。
「信じること」というある種無根拠なことがラッキーの強さというのは、物語に描かれる「弱さ」の対比としてすごく見事だなと思いました。キュレンジャーは全体的に弱さの描かれ方がえぐい。救世主であるはずのキュウレンジャーに、自分たちが助かりたいからと抵抗を非難したり石を投げたりする人間の弱さは見ていてほんとうにきつい。
そしてなにより、圧倒的な強さを持つ者たちがその強さを求めた理由がはっきりと「弱さ」であることが何度も何度も描かれる。
キュウレンジャーにおいて「強さ」は弱い者が求めるもの。「弱さ」の成れの果ての力を強さと間違えた者たちが、「悪」になる。
スコルピオも、クエルボも、闇落ちしたナーガも、そしてなにより宇宙一かなしくついてない集合体だったドン・アルマゲも。みんなとても弱かった。
己の欲望のためだけの強さは外道であると、シンケンジャーに教わった。誰かのために戦うことが強さだから、絶対に弟を守りたい小太郎が、実は最強なんじゃないかなと思う。

それでまぁ最強といえば、永遠の命をもって初代宇宙連邦大統領にまでなったチート中のチートツルギの話ですよ。なんすかあれ。一人称「俺様」ってキャラクター、ほんとにいたのね!

出てきた瞬間から思ってたんですが、あれレッドじゃないの? 赤いよね?

名前が「ホウオウソルジャー」でレッドついてないからノーカウントなのかな……って自分を納得させてたんですが、ラッキーがしし座系の王様とわかって白いジャケット着た瞬間にまた思いました。

あれ双子コーデじゃね? あのふたりってWレッドじゃないの?

だってあれカラーリング完全に対になってんじゃん! しかしルパパトで散々史上初のWレッドの煽りを眼にしているから、スーパー戦隊の歴史的にWレッドでないことはわかる。わかるけどじゃあなんで赤が2人いるんだ?
色々考えてみてもよくわからないんだけど、とりあえずあれは「新旧レッド」が一緒にいるのではないか、と結論付けてみた。普通の寿命で考えたら交わるはずない時代の人だし。
寿命といえば、300年前に残ったチャンプがどうやって戻ってくるんだろうと思ったらふつうに300年過ごして再びスティンガーとめぐり合うの、途方も無さ過ぎて泣きそうになりました。いや長い旅路すぎだろう! 会えて良かったね……!

話が逸れた。なんであのふたりがWレッドなのか否かにこだわるのかと言えば、私がルパパトのWレッドを解釈しきれてないからです。こないだの感想ではまとまらなかったからその辺のこと書かなかったけど、簡単に言えば「どうしてルパンレッドはレッドなのか、ルパンブラックではいけなかったのか」がわからない。40年分のスーパー戦隊シリーズの中からその答えのヒントを得たいので、ラッキーとツルギの関係性はとても気になります。

それにしてもツルギはかっこいい。ていうか南圭介氏がかっこいい。なんか通販サイトでリップクリーム売ってるけど買いそうなくらいかっこいい。

しかし追加戦士というのはどうして皆自己犠牲の精神にあふれているんだ……やめてくれよなほんとドン・アルマゲの最後の憑依のときにはその前のリュウコマンダーのショックもあって思わず「嘘だろ」ってつぶやいちゃったわよ……。

そんなドン・アルマゲとの最終決戦、これあまりに見事でちょっと呆然としてしまった。主題歌! ここで主題歌! いやスーパー戦隊シリーズにおいて主題歌がどれほど大事か、わかってたつもりだったけどこの最終決戦でここまでがっちり噛み合わせてくるのかー! すげー! あのちょっと切実なような切ないようなイントロとサビと歌詞がめちゃめちゃ効いてくる。買いました。

エンドロールを見ていると、やっぱりラッキーの相方はガルだからツルギはWレッドではないのかなぁ、ツルギはバディいらないくらい強いもんなぁなどとも考えていたのですが、ルパパトキュウでドン・アルカゲと戦うのはパトレン1号、ルパンレッド・シシレッド・ホウオウソルジャーのチームなんですよね。やっぱりWレッドなのでは!? もう少し深く学んでからまた考えます……。

キュウレンジャーを全部見た後にもう一度ルパパトキュウを見たところ(3回目)、キュウレンジャーの面々は、本編よりも本人らしいと感じました。写真よりも似顔絵のほうが似て見えるように、より特徴が強化されているような。
脚本上、わかりやすいせりふが盛り込まれたりするせいもあるんでしょう。でも一度演じ終えたキャラクターをもう一度演じるというのはそういうことなのかなと思いました。もしもリュウソウジャーとルパパトが映画をやることがあったらルパパトメンバーもそう見えるのかなぁ。それはまた会えてとても嬉しいけれど少し切ないことかもしれない。

子どもが先か大人が先か

3月24日から29日まで、ちょうど1週間かけて「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」を全話見ました。

これは子どもはルパンレンジャーが好きだろうなぁ。そして大人は朝加圭一郎が大好きだろうなぁ。
圭一郎はまっすぐな道をまっすぐに邁進していて、それは子どもにはいちばん簡単でつまらない道に見えるだろう。その道を縦横斜めに飛び回り、スマートにお宝をかっさらってく快盗はそりゃもうかっこよく見えるだろう。
でも、大人になればなるほどまっすぐな道をまっすぐに行くほど困難なことはないとわかるから、大人は圭一郎のやることなすことに胸が熱くなってしまう。

捨て身と自己犠牲は子どもの必殺技で、その場しのぎと先送りは大人の必殺技だ。後者はいかにもかっこ悪いね。でも圭一郎はそうやって、世界の平和と快盗の命を留保した。
だからってルパパトは、「大人が子どもを助ける話」じゃない。それはいつだって先を越されて戦力も上回る快盗の力を借りて、警察がようやくギャングラーを退治していたからじゃない。大人は子どもの存在があって初めて、その相対的存在としてどうにか大人をやっているに過ぎないからだ。
自分の子でなくていい。守りたいもの、育てたいもの、なにか残したいもの、そんな切実なものがないと、大人なんてやっていられない。
この先も続く組織を跡取りに残そうとしていたドグラニオが、突然自ら暴れ出したのは、彼が大人の役割を捨てたからだった。たくさんの子分を失い、なによりデストラを失った。孝行息子のような右腕を失くしたドグラニオには、残したいものも無くなってしまった。ゴーシュもいらない。
子どもは大人を支えていることに気づかない。大人も子どもに支えられていることに気づかない。でも失った時、その身を支えることもできないほどの「老い」が大人の背中には降り積もっている。

どうしてVSチェンジャーとVSビークルが国際警察日本支部に支給されたのか知りたかった。もしもその理由が、同じ装備を持っているルパンレンジャーが日本にいるからだとしたら、ルパンレンジャーがいなければパトレンジャーはいなかったことになる。そうだとしたら、子どもがいて初めて大人が生まれる美しい一本の線が描けると思った。
何度も見返したけれど、「ノエルは国際警察にルパンコレクションがあるとわかって潜入した」「警察に支給された装備はノエルがコレクションを改造したもの」「でもそのコレクションが日本支部に配備されたのはノエルにとって『痛恨のミステイク』」ということまでしかわからなかった。

でも物語はたった一本の線になんてならなくていいんだとも思った。ぶつかりあって絡み合ったこの物語の先には、もっとすごいことが待っている。だって今ルパンレンジャーに熱狂した子どもたちが何十年か後にもう一度ルパパトを見るとき、まるで初めて出会ったかのようにパトレンジャーのたまらないかっこよさに痺れるんだぜ。それはもう絶対に、必ず。逆にパトレンジャーが好きだった子は、ルパンレンジャーの刹那的な生き方の美しさに気づくかもしれない。物語が物語を超えて、時空を超えて、ひとりの人の人生に重なる劇的な未来がもうすでにあると決まっている。何しろ東映特撮ファンクラブは今から50年前の「河童の三平 妖怪大戦争」だって配信してるんだから。

とはいえこのヒネた私ですら、その頃にはまっすぐな道をまっすぐに行くことがほんとうにいちばん簡単である世の中になっていればいいと少しだけ本気で思ってしまう。無理だろうけどねと予防線を張りながら、でもそんな青臭いことを考えてしまう。ニチアサを見た後は。