「虎に翼」1週目

「虎に翼」の1週目、おもしろすぎた。おもしろすぎて、胸を掴まれすぎて、心を揺さぶられすぎて、もう毎日「あなた方が血まみれで命懸けで切り開いてくれた未来でこんなに怠惰に生きていてすみません」と畳に頭を擦り付けたくなっている。これは絶対私だけじゃないと思う。

第1話の冒頭、寅子は日本国憲法を読んで泣いていた。私も昔、この2冊を一緒に読んで、震えるほど感動したことがあるので、少しは気持ちがわかるつもりだ。でも、あんなにも明確に差別されていた時代の寅子がはじめてあの条文に触れた感動とは比べ物にならないだろう。

今週はもうとにかく、「無能力者」のパワーワードっぷりがすごかった。まさか、あんなに、民法ではっきり差別されていたなんて、恥ずかしながら知らなかった。女というだけで準禁治産者と同じ……。信じられないし、この「信じられない」という感覚を持てるのは、寅子のような女性たちのおかげだ。

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女性差別」や「男尊女卑」が、なんとなくの空気とかでなく、あんなにはっきり民法で決められていたなんて、めまいがしそうだった。だが、あれを教えてくれたことで、寅子を阻むのが意地悪な個人ではなく、社会がそうだったから、というのがよくわかった。桂場さんだって、寅子が憎くて言っているんじゃない。社会を知っていればむしろ思いやりなのだろう。芋もお団子も食べられないキュートさも相まって、彼を嫌いにならないで済んだ。

これまでの数多の朝ドラにも、同じ時代を生きていた女性たちがいたはずだけれど、あの人たちみんなこんなにはっきり女性差別されていたのかということに初めて気づいた。
そのことに気付かせないくらいパワフルな個人の方に目がいく作りだったのだろうな。それこそ、「カーネーション」とか。
「虎に翼」では、たった一人の主人公だけでなく、首尾よくお嫁に行った花江ちゃん(あの時代に意中の人と、双方の家納得の元見事結婚するって、針の穴通すようなとてつもない偉業だと思う)や、行と列の納戸管理にもその優秀さが垣間見えるはるさんだけでなく、道ゆく女性たちが画面の端々に映る。皆俯いていたり泣いていたり物思いに耽っていたりする。色んな女性がいて、皆等しく不平等の下に押し込められている。

昔は大変だったんだなぁ、今はそんなことなくてよかったなぁ、と、手放しで人ごとにはとても思えない。毎日流れる主題歌で、「100年先でまた会いましょう」というフレーズが流れるたびに、はっと胸を掴まれる。寅子の100年先を生きているのは他でもない自分だ。今この100年後に寅子が現れたら、私は胸を張って100年後の社会を、自分を、誇れるだろうか。とてもそうは思えない。日本国憲法で平等が保障されているはずなのに、今も男尊女卑の空気が社会を覆う。
オープニングの、柔らかなタッチで、しかめ面で踊る女性たちを見ると泣きそうになる。
私が当たり前に大学まで行って、フルタイムで働いて、結婚もせず気ままに生きていられるのは、血を流して死ぬような思いをしながら戦ってくれた女性たちのおかげだ。その生き方は選ばずとも、それを認めてくれた女性たちの、そして可能性を摘み口を塞ごうとしなかった男性たちのおかげだ。それでもなお、彼女たちの受けた苦しみと同じものを、現代の私たちも味わっている。だから、あまりにも偉大な先達であるけれど、はっきりとこう感じる。「あなたたちは私たちだ」と。寅子に、花江ちゃんにはるさんに、まだ見ぬこれから立ち現れる全ての登場人物にきっとこう思い続ける。

進学や就職のような人生の一大事ですらない、(わざと言うが)たかがエンタメを享受する時にだって散々差別されてきた。お笑いのライブに行けば男に受けたいと言われ、漫画の単行本を買っても女性読者はいないことにされ、映画を見れば女性にこんなに受けると思わなかったと言われてきた。
でも今、こんなにもはっきりと「あなたたちは私たちだ」と、考えるまでもなくただ心から実感できる、このドラマに出会えてよかった。

こんなに簡単にエンパワメントされてしまっていいのかと思うくらい、この一週間毎朝思っていた。自由を謳歌するばかりで何もできていない自分だけれど、きっと寅子だって最初から何かを成し遂げようと思っていたわけじゃない。ただ、自分の違和感に正直であっただけで、その違和感をそのままにしなかったことが、結果時代を変えたのだと。
だからせめてそうあろうと思う。せめてせめて、寅子たちが切り拓いてくれた道を、ほんの1センチでもいい、先に進めるために、違和感に行き合った時はに目を閉じず耳をふさかず、はて?と問いかけようと。