お誕生日会(n回目)

10周年記念公演 feat.KYE
「キタキュウマンRESTARTED」
1/13(土) あるあるCtiy 12:00/16:00

再演の可能性が示唆されているので、自分の目で見るまでは内容を知りたくない人は読まないでください。

終わって真っ先に浮かんだ感情を言葉にするなら「ずっるいなぁ!」だった。もちろん語尾に「(笑)」がつく。もうこれから先、キタキュウマンがどんなに戦わなくてもちょけてもずるいことしても、あの凄惨な歴史を繰り返さないためにそうしてるんだ……ってなるじゃん。唯一の犠牲を取り戻して、101を救うためにやってるんだってなるじゃん。ずっるいなぁ(笑)。

キタキュウ兄弟永遠に。永遠なれキタキュウ兄弟。

この前のKYEでも思ったけれど、滝さんの脚本はスカッとしていて王道少年漫画のようだ。セリフもベタで王道をいくからわかりやすい。「もう拳しか残ってねぇぞ」とか。
リセット後の最後のシーン、漫画で言ったら最後の4ページくらいでコマ割りが全部見えた。エクスくんのナレーションが、四角に囲まれたモノローグでどこに入るのかも。週刊少年ジャンプの読み切りの読後感に似ていた。

少年漫画っぽすぎて、この写真の剣がスポ根野球漫画のバットに見えた。

スリードも伏線も丁寧で、必要以上に混乱させず回収する。滝さんは、つくづく健やかなお人だなぁと思う。
今回初めてそう思ったわけではなくて、彼らを見始めてすぐ、メタルくんの名前が「希多八」だと知った時にそう思った。兄が北九だから弟は一つ少ない。その名前に「希望がたくさんある」という漢字を当てているのを見て、きっと愛されてすくすく育った健やかな人なんだろうなと思った。

健やかだけど戦う時は頸動脈を狙う。
弟も頸動脈を狙う。

劇中に何度となく「来世」という言葉が使われて、「来世では戦いたくない」と言ったキタキュウマンが実際に戦わないヒーローを実践しているところを見ると、あの「来世」はリセット後の現世を指していると思われる。
「二度と生まれて来んな」と言われたヌエンドロンだけが生まれていないようだし、「戦いたくない」と溢したキタキュウマンは戦っていない。
でも、キタキュウマンに思い通りの来世を作るなんて力があったわけじゃないだろう。そんなことできるなら最後に悪側のカラミーちゃんも出てこないはずだし。

同じことを繰り返すはずだった現世と、リセット前の北九州が壊滅する世界との分岐点はどこだったんだろうと考えると、ヌエンドロンがいなくてヤバちゃんがいる(はずである)という点が、わかりやすく決定的に違う点かなと思う。
ヌエンドロン(演:ヤバイ仮面)というのは、単にKYEだからヤバちゃんが演じるんだねとしか思ってなかったのだけど、本編にエクスくん出てなかったのでこれヤバちゃんが演じない選択肢もあったのではと思った。私は見たことないけどシュバルツ・ネガティブという敵がいるのは知っている。
ヤバちゃんが演じたことそのものが意味だったのだろうか。敵対する悪の組織の経営者がヌエンドロンだと北九州が壊滅して、ヤバちゃんだと仲良く喧嘩する、という。






いやでも単に、やられてもパワーアップして再登場できる怪人がヤバちゃんしかいないというガワの都合かもしれないという気もする。

ヌエンドロン怖かったな……
見切れないほどの走馬灯……全部兄さんとの思い出……

コミック社長を生で見たの初めてかもしれないんだけど、表皮がクロコダイル革みたいなんですね。ごつくて怖かった。

CLASS-K、いつから考えていたのかわからないけど、これを黙って作って準備するのめっちゃ大変で楽しかっただろうなぁ。渾身のサプライズに全力で驚けてこちらも楽しかった。



CLASS-Kになると、ちょっとガラ悪くなって言葉遣いも荒くなるのすっごい良い。そして「怪人ばっかり復活して強くなってずるいもんなぁ!」って、あれ結構前から本気で思ってたんだろうなっていう腰の入ったセリフだった。一番好きかもしれない。
CLASS-Kとチェキ撮ってもらったとき、ぴかぴかですねーって言ったら、「傷つけたらくらす」って言われて、物語離れてもガラ悪いままなのやっぱり最高と思った。

復活メタルくんと、いつもの平和なやりとり。
この二人もお似合いですね。たくさん共演見たいな。

1部は撮影禁止だったので、客席の誰一人この物語を知らない状況で、ファインダーも通さず固唾を飲んで見守った。最初にああやって見られたのがすごく良かった。写真撮るの大好きだけど、アクションはやっぱり肉眼で見た方がちゃんとわかるし、CLASS-Kが出てきて思わずわーっと手を叩いてしまうみたいな些細なことが、カメラを持ってるとできないから。
あじゃあ普段から撮らなきゃ良いんだけど、撮れるなら撮りたくなってしまうんだよね……人間て欲深いから……。
2部はサプライズのお祝いを見られたのでそれも良かった。素のみんな可愛い。

寄せ書きじゃ足りなくてどうしても手紙を読みたいヤバちゃん。
背後で寄せ書きの紙丸めたり覗いたりしてるみんなの可愛いこと。
音声トラブルが4連続くらいであって、背後のPA卓に殴り込みに行ったヤバちゃんを見守るみなさん。


福岡のローカルヒーローを見ていると、必然的に個人事業主と経営者をたくさん見ることになる。スポンサーも含めて(残念ながらお姿を見ることは叶わなかった平山社長、声の演技うますぎ)。
ずっと雇われの身としては、組織を作ったり率いたりする人たちが、あんなにも全てを自分で決断して、孤独で、切った張ったの修羅場に生きていることが、いつもちょっと信じられない。私ならあっという間に胃に穴が空いて終わりだと思う。
ただ、あの人たちは、正解を選ぶことに血道をあげているのではないんだなとだんだんわかってきた。自分が選んだ選択肢を正解にしていくことこそが、彼らの活動であり経営なのだと。

私は結構自罰的にものを考える癖があり、よくないなぁと思っているのだけど、よくないというかただの怠けなんだなと別の方向で反省するようになった。彼らを見ているうちに。
あああそこで間違えたなぁと諦めてしまう方が、選んだ道を正解にするための不断の努力を続けるよりよほど楽だから。
キタキュウマンは迷わずリセットボタンを押した。でもそれは、押すことが正解だったからじゃない。リセットボタンを押した結果を、今また10年以上かけて正解にしている最中なのだろう。
彼らがなるべく長く遠くまで、共に行けますようにと願うけれどそれは私がその未来を見たいだけで、そうではないどの道を選んでもそこを正解にしていくだけの強い人に、傍観者の願いも祈りも追いつくはずがない。
結社を見ているといつも「御社の益々のご発展をお祈り申し上げます」と思うけど、キタキュウマンプロジェクトには「時下、益々ご清栄のこととお慶び申し上げます」と言いたくなる。先のことを祈るのではなく今この瞬間の最高を常に寿ぎたい。

今回語られた物語が1周目とも限らず、今現在の11年目が初めての1年目なのか、それとも実はもっと先まで行ったことがあっての繰り返しなのか、それも定かではない。
とっくに始まっていた物語の何回目かもわからない、それでも記念すべき日を見られて良かった。
東京での再演が実現するといいな。こんなにめでたい1日は、それこそ何回繰り返したっていい。