小沢くんに似てるその顔が好き

化粧しながら昨日のEテレ「80年代の逆襲」見てたんだけど風間くんのビジュアルやっばいね。ネクタイ! ベスト! 黒縁眼鏡! しかもレンズ入り! やーもうこういうあざとい格好させたら似合いすぎるとこ大好きー。
しかし出演者としてクレジットされたのが宮沢章夫氏の他は風間くんだけだったってのがかなり衝撃だったわ……。もっと何人もいるんだと思ってた……。風間くんNHKでどんなポジション築いてんの……。
ところであれ撮影してたとこ、篠宮さんと寅さん観たとこだわ(嘘は言っていない)。


私は79年(しかも12月)生まれなんで、80年代は物心ついてなかったけど歴史的過去でもないしで中途半端なんだよなぁ。間に合わなかったと言えば間に合わなかったけど、確かにその時生きてたからすごく悔しがる気持ちもないし。てか小学生として、ポップカルチャーより藤子漫画というそのときの重大事に夢中だったので、逃した感もないのよね。あの時はあの時で私必死だった。


だから私にとっての80年代って、イコール中森明夫著『オシャレ泥棒』になるんだろうな。あれのみだから、東京文化の象徴はラフォーレだった。実際そこに自分が買い物に行くようになるまで、概念としてのラフォーレがあった。
『オシャレ泥棒』は88年初版だから、総括ではなくリアルタイムのお話だった。いつ読んだのか覚えてないけど、小学生だったからたぶん80年代のうちに読んでると思う。 私の東京=服=オシャレの図式はすべてあの小説によるもので、他にもどれほど影響を受けたか知れない。しかしあの本を近所の大型スーパーの古本市の段ボール箱の中から選び取った理由はただ一点「背表紙がクロスに箔押しでかっこよかった」だから、装丁ってほんとうに大事。


何の話だっけ。あの頃の大人たちがみんななんか機嫌が良かったってのは、なんとなくよく覚えている。バブルはもうごめんだから、景気関係なくみんなが機嫌良くなれば良いのにね。やっぱりよくわからない話になった。
風間くんがコストパフォーマンスの話をしていたけど、私は今みんながもっとやせ我慢すれば良いのにと思ってる。やせ我慢して機嫌良くする。自分も。


後は、ちゃんと言語化したり検証したりすることってやっぱり大事なんだなって思ったりもした。卑近な話だけど、最近、自分がライブで見たものは見たもの、感じたものは感じたもので、それを文字にすることに意味なんてあるのかな、同時代の人間は考えずに見てればそれで良いんじゃないかなって思ったりしたけれど、文字にしたらそれだけで整理されることもあるもんなー。検証なんてすごいことはできないけど。
あとは、検証したいほどの過去になったときにおそらく私は別の今に必死で、検証してる場合じゃないんだろうという問題がずっとある。たぶん一生ミーハーだから。