ドゲンジャーズハイスクール第12話

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普通の女の子が、普通ではない力を得て、仲間と出会い、別れを経験して、成長して、大団円。
終わってみれば、そりゃそうだそうなるしかないよねという王道中の王道の物語だった。
なのになんでこんなにひとっっっつも予想が当たらないんだドゲンジャーズ!
一度社長を倒したところで、「あっよかった切袴と別れないんだ!」って本気で思った。ドゲンジャーズならそれもありだと思った。そしたらそれすら外れた。その上さらにひっくり返された。泣き笑いの感情の振れ幅も予想外すぎてもう、クラファンがなかったら半日は泣き続けてたと思う(金策で我にかえった)。

話の大筋は王道だし、要所要所はベタすぎるくらいベタなお約束踏襲してくれてるし、なのになんでほんとに一つも予想通りにならないのかさっぱりわからない。そして、ことごとく予想を超えることばかりしてくるのに、「ぜったいにがっかりさせない」という点だけは何があろうと外さないのもやっぱりわからない。結局今期もわからないわからない言ってるな。

1話でちらっと出てからは最終話までメタルくん出てこなかったけど、出ないわけないと思ってたし、出たら絶対素敵な出方するだろうしと思ってたらまさか兄さんのあんな面を見せてくれるとは……!
充血フォームって結局発動の要件とか出てないけど(ドゲンジャーズの中では。実在の方の充血フォームについてはぜんぜん知らない)、弟のピンチで頭に血が昇ったらああなるとかだと堪んないですね。想像するのは自由だと思っている。北九兄弟はほんとずるいよ……。北九州にあんなとてつもない兄弟がいたとか、知らずに一生を終えなくてよかった。

最終決戦はみんな刀を使ってたけどひとりひとりみんならしくて、特にグレイト2くんの、グレイトX背負っての必殺技かっこよかった! きっと他の人の技も使えて、それはグレイトシリーズの全部が好きだった陸くんにしかできないことよね。
エルさんが武器苦手なのもいいし、肉弾戦になった途端実況入る丁寧さが好き。そもそも給水所がある最終決戦があまりにドゲンジャーズらしくてたまらなかった。大自然のお弁当食べたい。

それでやっぱり私、ヤバイ仮面社長が好きだわ。
後半はもう泣きっぱなしだったんだけど、泣き始めたのは、切袴との別れのシーンより前、ヤバちゃんが一度やられながら「結局全部、いい思い出にしやがる」と言ったところだった。あのセリフがもう、刺さって刺さって。
ヤバちゃん最初から「こんなガキに負けたの?」って言ってたし、今回も「世の中ぜんぶ理解したみたいな顔、たまにするだろ」とか、すごい的確に高校生のこと嫌いで小馬鹿にしてるー!ってそこがもう自分でも知らなかったツボを撃ち抜かれまくった。
私はもう中年なので、若い子に無条件に腹立てるとかあまりないんだけど(そんな体力がない)、でもあの、若さゆえの小賢しさをキラキラで覆い隠す(隠せてない)しゃらくささは、かつて自分がそうであっただけにわかる。わかるからあんま関わりたくないというか、昔の恥を思い出したくない。それを、高校生が主人公の物語で言うのすっごい好きだと思った。
「いい思い出にしやがる」って言葉は、そこを通過した人にしか言えない。良いも悪いもいつかは全部懐かしいで片付いてしまうなんて、青春真っ只中の子には理解し得ないことだから。
青春の後にも人生が続いていくことがさらりと肯定されたような気がした。怪人だけど。

ヒーローをラスボスから救おうとするのが素面の、変身する力もないままの男の子というのが予想外過ぎたのだけど、真子ちゃんを助けるのは大輔くんで、大輔くんを助けるのは真子ちゃんと考えたら至極当然なんだよなぁ。最後、MAKOは大輔くんに手を差し伸べて、第一話で想像した自分の姿を実現した。男の子だ女の子だ関係なく、あのふたりと思えばすべて自然で、キャラクターを愛し、ひとりひとりに深く思いを致すとはこういうことかと思った。

次は学園ものですと聞いたときは、ただただ「女子高生」という表象の取り扱いがひたすら不安だったのだけど、それはドゲンジャーズ3期への不安ではなくて、自分がこれまで見てきたフィクションへの不信感だったというのが始まってみたらよくわかった。
ガワの出番が減るのでは的な不安は実は持っていなくて、1話冒頭の福岡の日常が流れたときに、「見たかったのこれー! 知らなかったけどー!」となった。

同時代において、「好きな漫画家」を見つけることは大体の人ができると思う。この国では。それが、「同時代の好きな脚本家」になると途端に難易度が跳ね上がるのはどうしてだろうとずっと思っていた。
漫画は、一人の人が考えて、一人で平面にそれを描き、読者がページを開くまで始まらない(アシスタントとか編集者とかいるのはわかっているが割愛)。
テレビドラマは、最初一人の人が考えたものが、映像になるまでには、夥しい数の専門職の手や体を介する。それを、法律で許可を得た電波に乗せ、誰でもみられる場所で広く公開される。
メディアはメッセージであるという言葉を引き合いに出すまでもなく、どうしたって公共性を帯びるし、そこで強烈な作家性を維持し続けるのは難しい。
その上過去にいくら名作があろうとも、その時代のお茶の間で流れたのだから、同時代に生きていることが何より大切だ。その時生きていないとわからない感情がきっとある。向田邦子には間に合わなかったけど、野木亜紀子がいるのだから十二分にラッキーだと思っていた。
こんなにも予想がつかなくて、でも絶対に期待を裏切らないのに、次に何を見せてくれるかわからない脚本家シャベリーマンが、同時代にいることをほんとうに幸運に思う。
私は物語のことしか言わないけど、その物語をドラマにするまでの気の遠くなるような工数を共に積み重ねてくれる仲間がいることを、仔細わからない一視聴者ながら嬉しく思う。今期は特に、出るべきものが出るべき時に出ている感じがして、ああ、社員が増えたんだなぁと思った。実在のヒーローが出てくる絵空事を見ながら、それを作り出す実在の企業のこともずっと考えている。

文化祭をヒーローが手伝いに来ることが、ドゲンジャーズのスポンサード構造をメタ的に解説するのだろうかと思った。これについては、ヒーローひとりひとりが、というより、キタキュウマンが言った「宣伝」についてがそれだったように思う。素敵なものを知るきっかけを、ドゲンジャーズが作る。
ただ、私には肌で感じることのできないドゲンジャーズ商圏とでもいうべきものが、どうもめちゃくちゃ広がっていてしかも拡大し続けているようなので、現時点でどうこうと結論づけるのも無意味だと思った。
ふくやさんとピザクックさんが奇跡のコラボをしたように、ドゲンジャーズに関わる企業同士が連携することで、またいろんなことが変わっていくのだろうし。

福岡の企業を、博多の町人文化を理解しないことにはどうにもドゲンジャーズのスポンサーのノリについていけないんじゃないかと思って物の本を読んだりしているのだけど、やっぱり、福岡の企業って、すごく変わってると外から見て思う。ちょっと知っただけだけど、ますますそう思う。

最後の一騎打ちでMAKOが見つけた覚悟は、MAKOというひとりのヒーローの信念なのだけど、最近福岡のビジネス書を読みかじっている私には、あの覚悟を持ったヒーローがふくやさんの娘さんということがすごい腑に落ちてしまった。最初の誘拐と明太ピザのきっかけ以外はふくやさんそんなに出てこなくて、あくまで真子ちゃんは真子ちゃんとして描かれてきたのを見てるから、多分そういうことじゃないとはわかっているのだけど。
いつの時代も都から遠い距離にあった(邪馬台国はあったかもしれないが)福岡という都市が発展していく歴史を知ると、己の利益よりも街のため、地域のために腐心した人の存在を抜きには語れなくて、その中でもやっぱり渡邉與八郎氏と、ふくや創業者の川原俊夫氏は特筆すべき存在と思った。
明太子の製法を広く公開して福岡を代表する名物を作った創業者と、それを通販するノウハウを公開して福岡にたくさんの本社を呼び込んだ息子がいて、そのずっと後に、大切な人と一緒にいるために自分がどうこうじゃないと悟ったヒーローの真子ちゃんがいることにすごく納得してしまったんだけど、家系で理由をつけてしまうのは、彼女が自分で獲得した努力を軽んじることになる気もする。

家系を持ち出すことに躊躇するのは、大切な人のために私心を捨てるMAKOの信念が、ふくやさんだけではなく、私が「変わってる」と思う、福岡の企業みんなに通じることに思えるから、というのもある。
そして、その変わった企業の中でこれから成長していく悪の秘密結社の、「福岡での内製化を進めて、福岡の雇用を生む」という決意が実は一番、MAKOの横顔とだぶって見えたのだ。

特撮番組を見終えた感想としてはだいぶ変だけど、「御社のますますのご発展を心よりお祈り申し上げます」。泣く時も笑う時も、結局ずっとこう思っている。

画面外の覚書

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毎週決まった時間に充実の内容がアップされることは、当たり前じゃないと知っている。3ヶ月間ありがとうございました。


終わってからの情報量が多いんだよ! これが実在するということか。