ドゲンジャーズハイスクール第11話

nico.ms

決戦前夜、だけど文化祭の前日ではない、火曜日の11話。

ドゲンジャーズの良いところがぎゅっと詰まったような1話だったなぁ。
悪者は普通にいること。それをやっつけるのは前提で、その先の文化祭が大事なこと。
いまここにいる仲間が大切なこと。
学校休みにすることひとつも、ちゃんと理由があること、しかしその理由付けに幾らお金がかかっても構わないこと。

切袴に不穏なフラグがどかどか立ってて、これ普通に考えたらそりゃそうなるよねー「大好き」ってやめてぇぇぇぇと喚きそうになるんだけど、ドゲンジャーズだから希望は捨てない。だってドゲンジャーズじゃなかったら、1期でキタキュウマンは空の星になってるだろう(あの時のキタキュウマンはフラグでハリネズミのようだった)。

アイドールちゃんの回想のあとだったから、シャベリーマンが後ろから社長に斬られたときかなりビクッとしてしまったんだけど、装備だけで良かった。無事とわかって改めて見ると、あの背後から斬って斬られての構図はなんか色っぽくていいね……。今期はこの2人がツーマンセルで行動してることが多くてほんとに楽しかった。問答無用で強くて怖くてちょっと抜けてる怪人と、怪人同僚に「みんなバカですねぇ」と言い放つ弁が立って小ずるい人間のコンビなんて好きしかない。何度でも言う。しかし今期のシャベさんはそんなことできたんですかの嵐だなぁ。冒頭の瞬間移動? 離脱? あれは一体……。
大濠公園は行ったことあるんだけど、舞鶴公園はないんだよなぁ(戦国時代に毛ほども興味がない)。次は行かねば。

「願う心に男も女も関係ない」、台詞として、男女の差がないと言われたのは初めてじゃないかなぁ。最初はなんでこんなに男女平等なのかわからなくて戸惑ってた私ですが、ここに至って逆に言葉でも言うんだ!とちょっと驚いた。そのくらい、このフラットさがこの世界の「普通」なんだと知らず理解していた。
切袴が賭けで「受付嬢をやります」と言った時が、なんだかすごくらしいなぁと思った。厳密に言えば、男性(だよね多分考えてみたら鞘だから性別無いかも知れない)の切袴が受付に座っても受付「嬢」ではないんだけど、あれはもう概念としての「受付嬢」なんだろう。その言葉から受ける印象を借景として、受け手に委ねても齟齬が出ないほど共通のイメージがある固有名詞として。
MAKOが女のヒーローだけどヒロインと呼ばれないのも、「ヒロイン」という言葉についたイメージが、決して「女のヒーロー」だからじゃないからだろう。
こんな風に、言葉が本来指し示した性別を超えて、厳密に言えば意味ですらない、人々の持つイメージの方を優先して使えるの、強いし、良いなと思う。直感なのだろうか。
私は「女史」って言葉が大好きで素敵だと思っているんだけど、今は女と限定しない方が良いのかなぁと褒め言葉なのに口にするのを躊躇するようになった。「女優」も好きなんだけどこれはもう当人からの発信があったりするので、「俳優」の方が良いかなと控えている。「女史」はそれでも諦められないくらい好きなんだけど、この言葉の素敵な部分だけが残って、使うことが出来る対象が現れたらいいなと思う。

言葉ひとつも登場人物ひとりひとりを一番輝かせるものを積み重ねて、来週はいよいよ決戦。メタルくんも来ますね! もちろん来ると思ってたけど!
後は見届けるのみ。同時代に生きて、実在の彼らと共にリアルタムに楽しめたことが、ほんとうにラッキーだと思ってる。

画面外の覚書

youtu.be


私自身が福岡旅行に行ってたんでなんか色々あやふやなんだけど、今週はやっぱりドゲよしかなぁ。私はちょうどドゲよしとドゲよしの間に福岡行ったんで行けてないんですけど。


大阪と名古屋のHMVでのポップアップが決まっていた。これはもうドゲミュに足繁く通ってくださったファンの皆さんが勝ち取ったものでしょう。
ドゲンジャーズはこんな風に、ひとつの結果が次に繋がることがよくあって、盛り立てるファンにも次につなげるスタッフさんにもほんとうにありがとうと言いたい。田舎民の機会を増やしてくれてありがとうございます。


最終回までの限定配信に英語字幕がついて、その翻訳してくれた人が謎すぎるのがほんとにドゲンジャーズだよ……誰のお友達なの……。


火事で出荷停止していた八洋食品さん祝・復活!
このハッシュタグ付けるの、プレゼントとかじゃなくてほんとにただ応援するだけってのがすごく良いと思う。もちろんそれで八洋食品さんの宣伝になればドゲンジャーズの力にもなるだろうけど、そこまで打算的なこともなくみんなほんとに嬉しそうに餃子買ってて、田舎民ここでも羨ましい。

ドゲンジャーズを見ていると、「回り回って」とか「巡り巡って」とかがほんとうに起こることなんだなと思う。これは福岡の街で普通に起きていることなのかなと想像する。目先のことに目を眩まされず、どんなものも粗末にしてはいけないなぁときれい事でなく思う。