うどんの伸びない距離

ハクハクに置いてあって、アミュプラザ丸善に在庫があったので買って帰ってきた。「アミュプラザ博多・シティダイニングくうてん限定サマー抽選会」のチラシを栞にして読み終えた。
サブタイトルの「半径1時間30分のビジネスモデル」が、ランチェスター戦略のことかと思って読み始めたのだが、全然違っていて、牧のうどんの麺と出汁が劣化せず運べる時間の限界のことだった。
「おわりに」に書かれた、博多うどんはただうどんを持ってくるだけではダメで、博多の環境を全部一緒に持ってこないと繁盛しないという点は、うどんに限ったことではないなぁと思った。
福岡にかぶれる前からやわらかいうどんが好きで、大阪の釜たけうどんが八重洲にできた時も行ったのだけど、おいしいけれど大阪のものとは別物だった。滋賀のケーキ屋とパン屋のクオリティが異常に高いことからも、粉物は水が変わったらもう別物だと知っている。なのでダコメッカとアマムダコタンもきっと別のおいしさだろうと思っている。あまりに並んでるのでアマムダコタンは行っていないが。
そういう品物の品質そのものとは別で、うどんに限らず福岡のものは、あのコンパクトシティの、人と人の距離が違い、人が人として接するあの街の中で、見たり聞いたり食べたりしないと別物なんじゃないかと何度か福岡に行って思った。
福岡の人がどれほど自覚的に福岡のものは福岡の環境あってこそと思っているかはわからないが、こっちが行かんでもそっちが来ればよかろうもんとは、思っているんじゃないかと思う。ちなみに福岡は東京に官製のアンテナショップがない。「ザ・博多」は私も重宝しているけれど民間だ。
同じく「おわりに」に書かれた

行けばいいのですから。来ないのならば、行けばいいのです。

の一文は、私が天ポケラストを見た時の感想と全く同じだった。福岡という街は、行くしかない場所なのだ。