これさえあれば

天神北大週報The Last
5/8 天神ポケット 13:00

「天神北大週報」は、悪の秘密結社がかつて行っていた定期公演。ドゲンジャーズで彼らを知った私はもちろんその中身を知る由もないのだけど、とにかくいい名前だなぁと思っていた。

これは別に自虐でも、自分より後から来る人を貶める気もないのだけど、どこに行っても自分は「遅れてきたファン」だなぁという自覚がある。四半世紀くらいファンクラブに入っているスピッツにだって、そう思う。私はオーバーオールを着てロフトに立つマサムネくんを見られなかった。

ドゲンジャーズを知って、悪の秘密結社のツイートの過去ログを遡って、天神北大週報の中の一つである「キタキュウマンと結社の馴れ初めショー」の存在を知った時、あまりに見たすぎて「この最高のショーをやっていた日に私はなにをやっていたんだ」と自分のツイートを掘り返したことがある。そしたらフジテレビの月9の「デート」の再放送にだだはまりして「この最高のドラマをやっていた時リアルタイムの私はなにをやっていたんだ」みたいなツイートをしていた。なんの落語かと思ったが、私は一生この繰り返しなのだ。

でも何かを好きなるというのは、とある対象のとある瞬間が自分に合致するということなので、ただの好みの問題だというのもわかっている。それ以前にその対象を知るきっかけがあったとしても、その時好きになれるとは限らない。ていうか大体ならない。私の好みのタイミングは、いつもちょっと間に合ってない。

とはいえ、後になってあれが見たかったと思っても、その時の私は私で、その時一番見たいものを気が済むまで見ているんだから諦めはつく。これはそうやってしか生きてこなかったから自信がある。
未来の自分がこれを見たいと思うだろうなんて予想して今見るものを決められるわけもなく、結局は今見たいものを後悔ないように見るしかない(ここ2年はそれもままならなかったけど)。
天神ポケットのクローズで急遽天神北大週報の最終回をやると決まったとき、遅れてきたとか間に合わないとか考える間も無く迷わずチケットをとった。

滞在時間8時間で天神に行って帰ってきて、それからずっといろんなことを考えているのだけど、天神ポケットにいた2時間、その前で並んでいた30分くらいも含めて、その時間はとにかくずっと楽しかった。めちゃくちゃ楽しかった。
タワーズ天神の3階にあった天神ポケットは、ライブハウスとしてはシアターDより2回りくらい小さい面積だったかなぁ。伝わる必要ないと思って書くけど、正方形っぽいステージの幅は中野Vスタジオくらいだけど奥行きはFuくらいあった。ステージの高さは低くて、客席の上手側の壁に沿って10センチくらいの高さの花道みたいなのがあった。それが客席後方の楽屋と繋がっているようだった。
そこから怪人が登場するたびに歓声が上がるのだけど、マーク3社長と、ドゲンジャーズ2期2話までのメイド執事さんが出てきたときの歓声の意味は、初めてここにきた私にもわかった。
彼らが出てきた理由は、時系列としては私にもわかる。でも、長くこの公演を見ていた人の文脈では理解できない。できないし、軽々しく推測もしたくない。ただ、わぁっと沸き立って光ったような空気に、客席からの「やってくれた」、スタッフからの「やってやりましたよ」という信頼を超えた共犯関係を確かに感じて、その末席になれたことがすごく嬉しかった。
こう書くと、古参の中に新規が肩身狭くお邪魔してる感じに思われるかもしれないけれど、居心地の悪い思いなんて一つもしなかった。

話は逸れるけど、お世辞じゃなくて、来てる人がびっくりするくらいいい人ばかりで、並ぶ時も席決める時も、すごい自然に声を掛け合ってて(もちろん顔見知りの人も多いのだろうけど、初見の私にも)、同調圧力とかではなくこの輪を乱してなるかと初心者なりに思うくらいみなさん譲り合っててすごかった。都民は無言の行列得意だけど、そういうんじゃなくて、入場の時も受付の店員さんがささっと捌きながらもネイル可愛いですねって褒めてくれたり、すごい、人と人のやりとりー!ってなる(芦屋でも思った)。
こないだガルフ兄ちゃんがポップアップに来た手下のマナーに感心して褒めてたけど、わかるなぁと思う。自分も写真撮る時最前になったりしたらなるべくシャッと座るようにとか、すごく気を付けようと自発的に思う。

内容に話を戻すと、きっと理解できていないこともあるし、かつてを知っている人と私では、同じものを見ても受け取る量は全然違う。でも、そんな私も一緒になってゲラゲラ笑えるくらい、語られるエピソードも今より少し若い出演者たちもあまりに面白くて無茶苦茶で、心から楽しかった。
遅れてきたファンである私が疎外感を感じなかったのは、知らなかったことも知っていることも、全部ひっくるめて結社で、その結社がどうしようもなく現在進行形で、最初には間に合わなくても今は同時代を生きていると思えたからだ。

ゲストの児塚あすかさんと兎月つかささんは、ドゲンジャーズ以前から天神ポケットにゆかりの深い方で、その方たちがドゲンジャーズで出会っているのは、ご縁もあるのだろうし、意志もあるのだろう。

あの姿の社長とメイド執事さんにこの先会えるかわからないけど、天神ポケットで会えたのが最後でしたなんて美しい物語に回収する必要はないし、芦屋の時も思ったけど、ずっと好きでいて、会いたいと望んでいいんだと思った。確かに彼らはいるし、私は好きなのだから、もう一度会えるか会えないかは最後についてくるおまけみたいなものだ。

福岡から帰る時は大抵T字路sを聞いているのだけど、「これさえあれば」という歌を聴きながら思っていた。

どこをどう探しても
逆立ちしてみたって
他のどれでも駄目さ
代わるものなど何もない

全て無くし果てても
身ぐるみ剥がされても
これさえあれば平気さ
望むのもなど何もない

この歌の中で「これ」はなにか明言されないのだけど、天神ポケットでの公演は、天神北大週報にしても執念祭にしても大暴年会にしても、誰かにとっての「これ」だったんじゃないかなぁ。やる方にとっても見る方にとっても。
知らぬ身で想像は良くないのだけど、たった一度最後の天神北大週報を見た者のひとりとして、99%は想像だけど1%は実感と確信がある。

昔を知らない私だけど、ドゲンジャーズ以前を揺籃期は呼べない。そう言うには多分青春そのものすぎるだろう。出てる方も、見てる方も。正直自分が天神で見たものと、ドゲンジャーズ商圏の規模感が違いすぎて、帰ってきてから結構ずっと混乱している。
お笑いライブでしか例えられないんだけど、事務所ライブの規模感ですらない、芸人さんの自主ライブが一番近かった。地下アイドルライブに行ったことがあればもっと適切な例えができるんじゃないかと思うんだけど。なんでっていうのもあれだが、なんであのライブやってた人たちが、4年後博多の名だたる大企業と組んで仕事をしてるんだろう。いやドゲンジャーズ1期からの流れは見てるし、なんで1期ができたかも知識としては知ってるけど。当選メールの文面見た時に「ドゲンジャーズのときはすごく頑張ってちゃんとした会社をやってるんだなぁ」とは思ったけど。

かと言って歴史が断絶しているとも感じなかった。思い出と呼ぶにも活きが良すぎる。あの頃があって今があるというような綺麗な一本道じゃなくて、今から先もあれはやりたいことの一つなんだろう。
定期公演はコロナのせいでできなくなったのかと思っていたのだけど、結社のツイートで検索して出てくる限りでは2018年が最後で、なんでやらなくなったのかはわからないけどこの先できれば良いなと思う。昔のように平日にやるなら私はなかなか行けないと思うけど、あれやって元気になった結社の面々が遠くまで届く作品を作ってくれるなら、それで十分恩恵を受けることになると綺麗事でなく思った。行ける時は行くけど。そのくらい、結社のガス抜きに必要なものなんじゃないかと思った。

空港でピザクックさんの広告に載っているグレイトZを見て、天神ポケットの前にINCUBEに行って、天北見て、帰りの空港のふくやさんでMAKOちゃんを見た。1日のうちに混乱するほど規模感の違う仕事を同時に目の当たりにして実感した。結社の仕事全てを続けながら、シャベリーマンさんがキャスで言ってた「昔グッズを買ってくれたことを黒歴史にしない」という至難の業を叶えるのは、福岡でないとできない。一つしか選べない不自由な未来と違って、いとも簡単に過去は変わる。

どうにかして自分が今の仕事続けながら福岡に住むか、結社の東京支社ができるかして、楽に見られるようにならないかなーという気持ちがずっとあったことを白状する。
福岡は遠いし、お金かかるし、諦めなきゃいけないことたくさんあるけど(夜公演も見たかったよ!)、ずっとそこにいてほしい。私が行くから。
天神ポケットで天神北大週報を見て、ようやくその覚悟が固まった。