モグフェスの感想

ニュークレープがポラロイドマガジンだそうで。


この一個一個の単語は全く意味がないのに、並んだ途端えーって意味を持つのが好きすぎる。
その中でも一番お気に入りなのは「ヤーレンズがパープーズ」。どっちも単語として絶妙に意味が無く、今となってはコンビ名としてどちらにも意味があるところが良い。パープーズは若き認定漫才師の名前で、ヤーレンズはこの1年か半年で、瞬く間に東京のライブシーンに知れ渡った名前。


私が初めてヤーレンズを見たのは、ザンゼンジの耐久ライブの早朝寄席だった。名前だけは知っていて、見るまでに結構時間がかかった印象がある。それが去年の8月末で、この間のモグフェスではオープニングセレモニー・芝セレクションネタライブ・グランドフィナーレにいて、いるだけではなくそこにいるのが至極当然という評価を得ているのがとにかくすごいなと思った。


これまでに私が見たほとんど全ての出演ライブで、ヤーレンズは告知に出てきている。写真に残ってる率がえらい高い。告知の時以外でも、カメラを向けていると気づいて目線をくれたりすることが多い。ふたりともいつもにこにこしているけど、特に楢原さんは目の奥がいつもしんとしていて、風藤さんと話が合いそうだ。
油断がならないなぁと思う。衣装も、眼鏡も、ツイッターのアイコンもプロフィールも、なにより芸風も。それでいて、その怖さに退くのではなく、虎視眈々と狙っているものがなんなのか知りたいと思わせる。
絶対色々考えた上での好青年ぶりだけど、「狡猾」や「策略家」では言葉がきつすぎる。こういうのはなんて言うのかしらねと思ってたら、芝さんが教えてくれた。


モグフェスのバティオス2公演目「芝セレクションネタライブ」。メンツの最高ぶりは言うまでもなく、各組を紹介する芝さんの言葉がそのすばらしいメンツのネタに花を添えるようなこれまたすばらしいものだった。
きちんとメモをとった訳じゃないので細かい言い回しは覚えていないのだけど、ヤーレンズのことは、「ケイダッシュと言うことで、堺正章イズムを継承して」とアスコットタイのことに触れた後、「スマートなやつを堪能してください」と言った。「やつ」というのは人ではなく、「芸」「漫才」を指しているように聞こえた。そうか「スマート」と言えば良かったのか。中学程度の英語の知識だけど、「賢い」を表現するときに「クレバー」はちょっとマイナスの意味があるから「スマート」って言うって習ったわそう言えば。
ネタ後のトークヤーレンズからも、初めてモグライダーとライブで一緒になったとき*1の芝さんの素敵エピソードが紹介された。そのライブのMCがモグライダーで、ネタを見てた芝さんが飛び出しのヤーレンズに寄ってきて、おもしろかったっす、こんだけおもしろかったらまたすぐ会うでしょ、と握手してさらに腕相撲のように手を組み直してその手を引き寄せてくれたのが嬉しかったと言っていた。あの握手できるのは矢沢だけだ、とも。


この芝さんの「こんだけおもしろかったらまたすぐ会うでしょ」ってのがもー、かっこよすぎる。頂点争いしてるマフィアの若頭同士の会話みたいじゃないですか。自分たちの立っている場所の自覚と、自分の芸への自信と、相手の芸を認めていることをこんなに端的に言い表せるのか。


セレクションネタライブの他の出演者の紹介もそうだった。決して多くはない言葉で、でもこれ以上ないくらい素敵な先入観をこちらに持たせてくれた。その状態でその人たちのネタが見られるって、こんな贅沢なことはない。


エル・カブキについては「上田さんにだけは嫌われたくないと思って生きてる」。あの芝さんが嫌われたくない人の通す筋ってどんなんだろう?って思う。その上であの偏りに充ち満ちた漫才を見る楽しさ。


メイプル超合金については「ポケモンが出てくるとお考えください」。メイプル超合金のあの無敵感とマスコット感を「ポケモン」の一言で過不足無く表現しきった。またネタの冒頭でカズレーサーさんが「そこの岩タイプのポケモン」って入れてきたりして見てる方も沸く沸く。


ギフト☆矢野さんについては「芸人はジャスティスサイドとダーク(ヒールかも)サイドに分かれるんですが、圧倒的なジャスティスサイド」。5556で何度か見ていたのだけど、そっち側だと思って見たことがなかったので、そう言われて初めて彼の見方がわかった気がした。


そして錦鯉については「僕はお姉ちゃんと弟がいて、ずっとお兄ちゃんが欲しかったんですが、お兄ちゃんがいるとしたら隆さんみたいな人だっただろうなって。そんで、「お兄ちゃんなんでその人と仲良くするの!? なんでその人のことかばうの!?」って人が雅紀さん」ってこの紹介全編なんかもう胸がキューっとなるほどたまらんかった。こんなこと言われたらどんな人たちだろうって期待しかないし、また出てきた雅紀さんが「お兄ちゃんが仲良くして弟に嫉妬されそうな人」を体現しまくった人だったんで感服してしまった。ネタ後のトークで、雅紀さんが衣装を白いスーツにしたのは芝さんの影響だという話になり、またご本人が「良いなと思ってね」とまったく悪びれず言い放つ様が、叔父さん感と言うんだろうか、絶妙に無責任そうで、笑いながらも「ああまたお兄ちゃんなんでこの人と仲良くするのって言われちゃいそう!」と思っていた。


芝さんの紹介は観客の目線を絶妙に誘導して、観客の目に出演者の魅力は露わになった。運慶が丸太から仁王を彫り出すような手腕を芝さんは持っていた。初めて知ったけど、色んなライブで見る端々にそれは感じていたようにも思う。こういうのなんて言うんだろうと思ったら、MCってそういうことかと一周回って気づいた。

 一冊の本を手にするということは、どうもそういうことらしい。自分の中に何かの「種」、何かの「感覚」、おおげさにいえば何か「伝統」のようなものが、芽生えるのだ。それはそのときのものとはならないにしても、そのあとのその人のなかにひきつがれるものだから軽くはない。流されもしない。
(中略)そのていどのことだ。それでも人をやわらげるものである。帯をゆるめるときのように。
 最初にふれているのだ。そのときは気づかない。二つめあたりにふれたとき、ふれたと感じるが、実はその前に、与えられているのだ。
 読書とはいつも、そういうものである。

荒川洋治「会っていた」より みすず書房忘れられる過去』所収


この一節を思い出した。これは読書についてのことだけど、芝さんの紹介は、まさに帯をゆるめるようにふわっと客席の心をゆるませ、染みこむようにネタを見た。あの日と同じネタをまた見ても、同じようにはきっと見られない。芝さんが選んで、芝さんが紹介したから見られたネタだった。




ヤーレンズのことから始まって芝さんのことで終わってしまった。
まとまりがないけれど、モグフェスについては、こんな風に「モグフェスを見た私がこの先のライブや芸人さんをどう見るか」と言うことによってしか書けない気がする。
個々のライブについて、細かくこれがこうだったとはもう思い出せないし、思い出せないほどハードだったこともまたモグフェスだ。
この先、ヤーレンズを見たら「スマート」だと思うように、モグフェス自体が私のなにかをゆるめていたと知ることが、モグフェスの感想なんだと思う。

*1:ここのシチュエーションをうろ覚えだったんですがツイッターで夕陽さんに教えて頂きました。ありがとうございます。