ものたりない

たりないふたり〜成長するってこと〜
11/12 草月ホール 18:30


開演前に「撮影をしています」という断りがありました(マイクを通した正式なアナウンスではなく、スタッフさんの肉声でしたが)。CSあたりで放送があるかも知れませんので、それまでに情報を入れたくない方は以下を読まないでください。
あと褒めてないので、その点もご注意ください。


ステージ下手側の机に山里氏、上手側の机に若林氏。ふたりともノートパソコンに向かっている。
ツイッターを模した画面で会話
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飲み会などの切り抜け方を披露し合う
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ツイッターを模した画面で会話
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恋愛妄想劇場
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ツイッターを模した画面で会話
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漫才


チャットがツイッターになっていた以外、流れは前回とほぼ同じだったと思う。とはいえ前回は生で見ていなくて、テレビで見たはず……というくらい記憶がおぼろげだが、恋愛妄想劇場は見たことあるなぁと思ったのでやっていると思う。「潜在異色」の中のコーナーとごっちゃになっているのかもしれない。


「成長」がテーマだった割に、成長を感じられなかった。前回は、すべてを織り込んだ最後の漫才におおーっと思ったのだが、今は、これだけ達者なふたりならできるだろうと思ってしまう。
それと、漫才を見ながら、「漫才」というフォーマットそのものの雄弁さに感心してしまったというのもある。さらに若林氏は、漫才になるとはっきり違うスイッチが入る。ステージに上がっている以上、漫才以外の部分が素であるとは思わないが、漫才になるとまったく違う。制約なしで話しているときより、発する情報量が桁違いに多くなる。あれはなんなんだろう。
ふたりともとても漫才が上手いので、漫才という表現はなんて楽しく、多くを伝えるんだろうと実感した。というか、漫才を見た後ふりかえると、前半が物足りなく思える。正直、前半の話を織り込むという仕掛けがなくてもあの漫才は十分楽しいと思う。それではこの演出そのものの意味がなくなると言われそうだが、その技巧に対する感心は、前回してしまった。
それと、たまにおふたりがこぼす本音のようなものを客席が手を叩いて嬉しがる、という空気にどうしてもなじめなかった。ああ私、芸人さんの本音って全然知りたくないんだなと思った。それでより一層、ただ喋っているようで表現として推敲されている漫才を好むんだろう。


なにしろ漫才は面白かった。今のふたりならばむしろ、本業である漫才そのものを見せるほうが革新的だったのではないか。しかし漫才だけやるならば本来の相方とやるのが一番なのだから、結局、お互い相方と本ネタをやったほうが良いのではないかという思いが頭をもたげる。
2年前にこの組み合わせが発表されたときはほんとうにわくわくした。これはお笑い界の地図変わっちゃうぞと思った。
今はそう思わない。むしろ、本来の相方と、本ネタを磨くことこそが、一石を投じることなのではないか。
それはつまりおふたりが「本ネタをすることに価値がある」というステージに上がったと言うことで、そういう意味でははっきりと成長しているのかも知れない。