マイクまでの距離

調べてみたら浜口浜村を初めて見たのは去年の9月15日。まだ1年も経ってなかった。


事務所ライブを皮切りに、浜口浜村の予定がすべてキャンセルになったのがおととい。
何もわからないのがとにかく怖いのは、解散はもちろんだけど、なにか重大な病気にかかったとか、失礼ながら逮捕されたとか、そう言ういやなことばかり想像してしまうから。
ライブキャンセルの報の直後のマセキライブさんのツイートで、なんとなく、ご本人の問題であることが察せられた。



それも片一方だとすると、たぶん浜村さんがどうかしちゃったかなぁと思った。それでちょっと落ち着いた。


昨日正式に「無期限の休養」が発表されて、ブログで浜口さんが理由を書かれていた。

カルカベッキア君大跳躍|みなさまへ

こういうことならば、逆に「無期限」は近しいことを指すのかもしれない。そしてマセキのやさしさの表れかもしれない。


昨夜はマセキライブさんのツイートを読んで、ダラダラ泣いていた。



美談にしないという言葉を受けては感動し過ぎるのもよくないのだろうけれど、なんという厳しさとやさしさ。
他にも芸人さんが何人か触れていた。それらを読むたびやっぱりダラダラ泣いた。
誰かが誰かを大事に思うところを目撃すると、どうしようもなく泣ける。年をとったから。


お笑いナタリーの記事を、Yahooに載せるのはやめてくれないかなと今回ではっきり思った。ナタリーのコメント欄に走る動揺と、Yahooのそれに並ぶ「誰それ?」の温度差に。
ナタリーのような、体温でしかわからないニュースをただの情報として必要のない層に流布するのは、後に邪魔くさいことになるんじゃないのかなぁ。浜口浜村の名前だけ知ってる人がたくさん生まれた。変なブログにも拾われるし。
まぁでもすぐに忘れるのかな。
粗末に扱われているのを見たくないなら見なきゃいい。わかってはいる。


えらそうなことを言っているけど、見たことあるネタは、せいぜい5本とか、それくらいかもしれない。どのネタでも、なんだかざわっとさせられた。
ものすごく変わった構造の漫才だと思う。でも、いわゆるメタ漫才のような、漫才そのものを解体するようなものではなく、まったく新しく打ち立てている。
漫才は、「これがおもしろい」と信じられる人が少なくともふたりいないと成立しない。
浜口浜村を初めて見たとき、「よくこんな人がふたりもいたものだ」、「そしてまたよくぞ出会ってくれたものだ」と思った。
解散の可能性があまりに怖かったのも、そうではないとわかって心底ほっとしたのも、あのふたりは、あのふたりでないとだめだと思っているから。素人の、しかも「担当」ではない奴がわかったように言うけど、そこは演者ではなく見る者に決めさせてください。
だから、浜口浜村が、浜村さんを待つという選択をしてくれたことがほんとうに嬉しい。
浜口さんが浜村さんを大事にするように、浜村さんが浜口さんを大事にしていればいいなぁと思う。
知る術はないけれど、浜口浜村が戻ってきたら、それがそういうことなんだと思う。