星野源を知りました

唐突だが厄年である。しかも本厄。
厄年になってわかるのは、厄年の人間に理不尽に悪いことが起こるわけでは全然ないと言うこと。単純に、この年になるとまず体調が変化し、仕事に責任が生まれ、親が高齢と呼んで差し支えない年齢に達する。
そうなると必然的に、これまでは3日で治っていた風邪が完治するのに2週間を要したり、仕事でミスしたときに引く血の気の量が卒倒レベルになったりする。私の場合は幸いにして両親ともに元気だ。これは冗談抜きでほんとうにありがたいと思っている。


年取ったなと実感する。風邪が長引くこともそうだけど、何かを聴いたり読んだりしたとき、「もう済ませた」と思ってしまう。
特に音楽で思う。「これは中村一義で済ませた」「これはpre-schoolで済ませた」「これはホフディランで済ませた」。漫画でもたまにある。「これはよしもとよしともで済ませた」。
音楽ライターの人を、まぁ私は兵庫さんと鹿野さんしか知らないのだけど、心から尊敬した。何十年も音楽業界にいて、次々出てくる若い人にいつまでもみずみずしく感動できる、その感性を保っていることがすごい。私にはできない。若い才能に反応する若いアンテナを持ち続けられない。若いバンドの曲を聴いていると、自分の中で同じカテゴリに属する自分にとってのオリジナルが聴きたくなってしまう。結果すぐくるりを聴く。


先週、星野源「ばかのうた」を借してもらった。それから4日間、ずっと聴いている。ずーっと、他の何も聴きたくならず、これだけ聴いている。いつ以来だろう。andymoriを知ったときに丸1日聴いていたけど、3日以上ってちょっと記憶にない。


ばかのうた

ばかのうた


長いこと、顔と名前が一致していない人だった。改めてwikiを見てみたら「アキハバラ@DEEP」どころか「眠れる森の死体」に出ていたと知って仰天した。そりゃ顔知ってるはずだ。
俳優として認識したのは「未来講師めぐる」だと思う。クドカンドラマでよく見るなーというくらいの。それから全然別で、音楽の方でちょいちょい星野源という人が大きめの話題に上るなぁという意識はあって、ほぼ日の腹巻き座談会で「この人がかの有名な星野源だったの!」と、そこで初めて一致した。でもCDは聴いたことがなかった。




30過ぎて独身で、いい加減いろいろ考えなければいけないことはある。てっとりばやく真似したい女の先輩でもいればと願うもそう都合良くはいない。
そもそも私は「夢」という概念があまりない子供だったと思う。生まれてから、切実にこれになりたいと思ったのは「魔女」と「本」だけだった。人生におけるこうなりたいと願うモデルが人間でなかった。今になって急にロールモデルを探しても見つかるはずがない。
Oliveが休刊してから、長らく雑誌ジプシーをしている状況は、人生の縮図のように思う。私に天然生活やクウネルのような手間のかかる生活はできない。かといって、JJ→VERY→STORYの女すごろくのふりだしにも立てなかった。SWEETSの付録が邪魔だと思ってしまい、nina'sは家庭を持っていないので読めない。
教えてくれ、なんて都合の良いことは言わない。せめて、今、この時代に、今の年齢である私が何を感じることができるのか、それが知りたい。何が琴線に触れるのか。鮮烈な才能はたいてい若く、しかし私は人間が千年前から変わらないのを、古今集に教わっている。そこはもう通ってきた。


通勤中に「くせのうた」を聴いて泣いた。
年をとればとるほど凡庸という言葉が身に染みる。情報を得れば得るほど、自分に知り得ないことの膨大さを知る。批評を読めば自分の甘さを知り、当事者の意見を聞けば自分の無知と無関心を知る。
それでも、世界の謎を解こうとすることは、世界の広さと自分の小ささを知った者にこそ必要だ。ただの市井の民であっても、どんな批評家よりも鋭い批評眼を持たねばならないという詩の一節を思い出した。自分をやたらと小さく醜く卑下することも、自分の分を知らず尊大になることも、違う。


「くせのうた」に泣いたその夜に『そして生活はつづく』を買ってきた。この本そのものの感想はまた別に書くとして、「ばかのうた」を聴きながらこの本を読んで、今感じるものはこれだと思った。
大人になりたい、ちゃんと生活したい、でも鈍くなるのは違う。考えをやめるのはもっと違う。答えが与えられたわけじゃないけど、それが良かった。私は今これを読んだり聴いたりしたら泣いたり笑ったり考えたりするのだ。それがわかった。


自分には仕事と非日常しかない、ちゃんと生活したいと、そう思って前の会社を辞めて5年近く経つ。結局まだ全然ちゃんとしないまま年だけとってしまった。かといって、手持ちの布巾全部に刺繍するような生活を送りたいわけじゃない。
とりあえず、週に一度はちゃんとリキッドファンデーション用のスポンジを洗う人になりたい。すべてにおいてそんな風に。


そして生活はつづく