マトリョーシカ

9/18 あるあるCity B1スタジオ
12:00 KYE祭 with No.2
15:00 内容未定

2ヶ月前のイベントの感想を以下略。数年後の私のために書いておく。

この日のショーの台本は滝さん執筆。このショーすっごく好きだったー! わかりやすい笑いどころが多くて、やっぱり滝さんて陽の人だなと思った。普段の結社のショーが青年漫画なら今回のテイストは少年漫画というか。
カラミーK・Y・Eがなんでカラミーになってるのか最後までわからないところも、わからないけど段々とキャラがそのまんまになっていくところも塩梅が良かった。ヒーローを待つヤバカラミーかっこよかったな……。メイド執事さんを煽り散らかすメタルくんも見られて嬉しかった。

そして何をやるかわからなかった2部は、No.2たちによるジェンガ大会だった。これがまたなんでこんなに楽しいのかわからないけどめちゃくちゃ楽しいという、もうKYE祭はどうしてこんなに理屈のわからない楽しみを量産できるんだろうと感心するしかなかった。
いやほんとに、ガワがジェンガをやる→抱腹絶倒かつ全員のことが愛おしくてたまらなくなるって、体験しないと(しても)わかるはずない。
役者がオフショットで素の姿見せて親近感が湧く、みたいなことだと思うのだけど、素ってないはずなんだよね、キャラクターには。
アクターが明かされているKYEだから言及しやすいけど(なんの公演であれここはTwitterじゃないから好きに書くけど)、ローカルヒーローはガワと中の人が不可分の人も、そうでない人もいる。この日ジェンガをしていた人たちもそう。だから、ネクタリスさんがクリアするたびに絶望するリティエちゃんとメタルくんとか、終わった後マントで手を拭くメタルくんとか、メタルくんに耳打ちするハテナさんとか、最後崩れるのわかってて手で押さえてピサの斜塔みたいにしちゃってて「悪の秘密結社、ばんざーい!」でアウトのメイドさんとか、そのキャラクターらしさが溢れて堪らなかった全ては、キャラクターの素であると同時に、演じられているものでもある。
アクターがそのキャラクターを演じている姿をキャラクターの素として受け取る、ジェンガを通じて。
どんだけ複雑なことをどんだけ突拍子もない形で行なっているのか、書いててもよくわからない。

だからやっぱり、ショーを通じて見るキャラクターは、台本上の本人役という認識のレイヤーがあるんだよな。あるというか、今回のように2部で素でジェンガをやっているところを見ている間は、無意識のうちに1部で見たものをそのレイヤーに被せている。
なんでこう、1部と2部で認識のチャンネルをごく自然に切り替えさせるようなことができるんだろう。毎度不思議だ。

ジェンガの罰ゲームは、「負けたキャラの持ち主が尻を叩かれる」で、こんなに一個の人格として見ているキャラクターも、それぞれの会社(キタさんは個人事業主だけど)の持ち物であり財産なのだと、そこで一瞬全てが現実としてフラットになる。
でもその「持ち主」の尻を「持ち物」であるキャラクターが叩くのを見て笑う時にはもう、それが何重の入れ子の何番目で起きていることなのか、わからなくなっている。