はじめましてとまた会うほどに

侍戦隊シンケンジャー」ってご存知ですか。2009年から2010年にかけて放送されたスーパー戦隊シリーズの第33作。私は知りませんでした。主演のシンケンレッドは今をときめく松坂桃李さん、メインの脚本は小林靖子さん。
このシンケンジャーが放送から10年を記念したかなんかで、YouTubeで毎週2話ずつの配信が始まったのが3月8日のこと。周りでシンケンジャーおもしろいよと言っている人が複数いるのでちょっと見てみようかなと私が再生してみたのが9日深夜のこと。
そこから日月火の3日間で全49話をプライムビデオで視聴し、水木2日間でHuluに入って劇場版の「侍戦隊シンケンジャー 銀幕版 天下分け目の戦」と「侍戦隊シンケンジャーVSゴーオンジャー 銀幕BANG!!」と「天装戦隊ゴセイジャーVSシンケンジャー エピックon銀幕」と、Vシネマ「帰ってきた侍戦隊シンケンジャー 特別幕」を視聴し、アマプラに戻って仮面ライダーディケイドの24話と25話を見て、金曜日にはiTunesで買ったOPとEDを聴きながらマーケットプレイスから届いた『侍戦隊シンケンジャー公式読本 真剣勝負!』を熟読し、土曜日は「侍戦隊シンケンジャーファイナルライブツアー2010」を見て、日曜日に雑誌と写真集とDVD注文してそれの一部が今日届きました。
いやーーーーめちゃめちゃめちゃめちゃおもしろい! すごい! すごいとしか言えない! あのまだ見たことない人は今すぐこれ閉じて見てください。そしてくれぐれもWikiを見ないでください特に「侍戦隊シンケンジャーの登場人物」の方! 致命的なネタバレがあります! あれ誰か消せないの⁉︎ まぁ私も今からネタバレ書くんですけど、何も知らない人がちらっと目にしてやばいような決定的な単語は書きませんが、でもとにかくなにも知らずに見て欲しいからまだ見てない人は以下読まないでくださいー!

 

 

世の中にはおもしろいものがありすぎるほどにたくさんあって、それぞれの世界で楽しいことがあるんだろうなぁとは知りつつも、人一人が享受できるエンタメの数なんてせいぜい同時期に2種か3種で自分の領分で精一杯なわけで、だからこそまったくの門外漢の立場で触れたものに「これか! これがこのジャンルの醍醐味なのかー!」と稲妻に打たれたように理解させられるほど楽しくまた快感であることもない。最近ではシン・ゴジラ宇宙大戦争マーチをバックに走っていく新幹線と吹っ飛ぶ在来線を見たときに思った。あとゴジラがなにも言われずとも私たちにとっては福島の原発なんだと理解できたとき。そうして芋づる式に、初代ゴジラが戦争の恐怖であることも理解できる、怪獣映画の意味がわかった瞬間。

シンケンジャーは終盤でどえらい展開があり、それ見たときはほんとに絶句してしまって、でも私はまだ見始めてから3日目だった。しかしそんな超ニワカの私にもわかる、これ、リアタイ勢は1年近く彼らと共に生活し、戦いを見守り、成長を見守り、そしてメイン視聴層のお子さんたちは一緒に成長もしてきたはずで、その状態で! この! 展開! まじかー! いやもう絶句なんてもんじゃないでしょ……正月早々立ち上がれた……? 大丈夫……?と10年前の先達を心配せずにはいられなかった。
そしてわかった。物語としても1年かけないとやれないことをたくさんやっているけれど、同じくらい、ヒーローと積み重ねる1年という時間が大切なのだと。
まぁだから、頭では理解しても私はそれを体験はしていないんですが。3日で見たから。

でもとてもじゃないけど途中で止めて週1本ずつ見ようなんて我慢はできなかったなー。戦隊ものどころか子供番組にほぼ免疫がなかった私でも全然違和感なくすっと物語に入れて、普通に「続きが気になるなぁ」と第二幕の時点ですでにものすごく惹きつけられていた。
自分のリアタイ視聴としてはダイナマンバイオマンあたりで、その時からひねた子供だった私は戦隊もののお約束の「序盤で暴れた怪獣が1回帰る」「1回やられて巨大化する」に納得がいかず、「最初から巨大化して出てくればいいじゃん」と思っていたんだけど、シンケンジャーはここがすごくうまいこと設定されていた(「水切れ」と「二の目」)。まぁ私がシンケンジャーしか見てないだけで、もっと前の作品から連綿とアップデートされ続けてきたのかもしれないけれど見ていないのでそこは置いといて。
あと「そもそもこのヒーローはなぜ地球を守るのか」とか、「突然出てきた新しいロボットの使い方がなんでわかるのか」とか、そういうつまんない引っ掛かりが全然ない。そして若者たちの成長譚として物語そのものがめっちゃくちゃ良かった。私は共感性羞恥がきついほうなので失敗を経て成長するのが定石の子供番組は基本見ていられないだけど、シンケンジャーはそれがまったくなかった。登場人物たちは着実に成長していくのに不思議。

「殿」も「侍」も先祖代々受け継がれてきたもので、それをまだ若い登場人物たちがどう受け入れ成長していくのかが序盤にものすごく丁寧に描かれていた。普通の1クールのドラマだと各々1回しかないメイン回が繰り返し現れるところに「なるほど1年あるとこんなにできるのか」と感心しつつも、そうやって少しずつ積み重ねられる迷いと選択と成長そのものが、役者陣の成長と相まって、1年という放送期間の重さをまた実感した。

主人公たちは常に自分の道を選び取りながら、読んで字のごとく道を外れた外道衆と戦っていく。唯一迷いなく自分の役目を受け入れていると思っていた丈瑠は、終盤とあるキャラクターの登場によってその「選んでいたこと」が選べなくなってしまう。そして殿の家臣として固まっていた侍たちの決意も揺らぎ、また自分の道がなんなのかを突きつけられる。ここがね……もう筋立てもほんとうますぎて唸るんだけど、それ以上に登場人物の心情を思うと切なくて、終盤2話ぐらいはずっと泣いていた。

そこから寄る辺ない力は外道と紙一重であることを描く戦いは、これほんとうに日曜の朝7:30からやってたんだろうか……という凄絶さだった。人ならざる所業ではぐれ外道に堕ちた腑破十臓は恐ろしいまでに美しかった。シンケンジャーの敵役はみんなめちゃめちゃ魅力的だ。血祭ドウコクのかっこよさラオウと張るでしょ⁉︎ 薄皮太夫との関係これ子供番組で描き切れるのか描き切ったよ……! 真っ先に思い出したのが「るろうに剣心」の志々雄真実と駒形由美で、ドウコクは薄皮太夫の一番の理解者だったんだなぁ。薄皮太夫は200年も新さんに執着してて、途中はドウコクよりむしろ同じはぐれ外道の十臓にシンパシーを感じているようだったけど、結局は最後に選んだ行動の全てがドウコクの道を拓いたんだもんなぁ……。私は戦隊もののいわゆる「女幹部」の役割のスタンダードを知らないけれど、あんなに御大将のちからになった薄皮太夫はあっぱれな女幹部ぶりで、あのふたりは本当に見事だった。見事だったよ……。

己の欲望のみを追い求める道を行くことは、人の道を外れること。いつだってシンケンジャーは、丈瑠がたった一人で戦っていた時からずっと、誰かのために戦っていた。最初から最後まで、思えばED曲の歌詞でだって、誰かのために自分の道を自分で選ぶことこそが力であると、繰り返し繰り返し伝えていた。

衝撃と迷いと哀しみから、傷つき痛みを乗り越えて晴れ晴れと駆け抜ける最後の戦い。何度も書くけどたった3日の付き合いの私ですらこんなにも胸熱くなるあの最後の名乗り、共に1年過ごしてきた人はどれほどだっただろう。

 

そうやって1年分の見事な作品を見終えて、私はその初めて触れた脚本や演出や音楽や役者やスーツアクターの技量とクオリティにすっかり感心していたんだけれど、「帰ってきた侍戦隊シンケンジャー 特別幕」を見て、実は一番肝心なところを全然わかっていなかったと思い知ることになった。
特別幕のエンドロールも流れ終わった最後、突然殿が現れて、こちらに向かって話し始めた。他のみんなも一緒に、画面のこちらの子供に向かって、繰り返し見れば繰り返し会える、だからさよならじゃない、と。

これを見てようやくわかった。彼らは1年間、俳優である前にヒーローだったのだということが。

それを見てもう泣けて泣けて、私がシンケンジャーという物語に感動した全ては、それよりさらに想像もつかないほど大きなものに支えられていた。私がまったく知らなかったスーパー戦隊シリーズという文化に。
彼らとともに1年を過ごして、彼らと本当に仲間になった子供がきっといた。放送期間なんて理屈がわからない歳の子もいたかもしれない。その子たちにとってはこの物語が芝居が演出が、フィクションとしてどれほど優れているかなんてわからなくてもいい。ただ、そのヒーローがこれからも自分の心に寄り添い続けていると思えるほうが、はるかに大事なことなんだ。
子供と一緒に見ていれば自然にわかることなのだろうけど、私には子供がないので、こんな風にまっすぐ語りかけられてやっとわかった。

この後ファイナルライブツアーの映像を見て、物語としてはあんなに見事に散った悪役がまた出てくるなんて蛇足で矛盾でしかないのだけどそれよりも「彼らにまた会えて嬉しい」が優先される文化の素晴らしさにおいおい泣いた。ヒーローであると決意すること、彼らがヒーローだと信じること、そのとても強いけれど、人の心ひとつのある意味ではあやうい関係が何十年も連綿と続いてきたことのすごさを思わずにはいられなかった。観客の子供達の声を力に変える演出を見ながら。

実は私バイオマンを見てた時黄色が好きで、その黄色は途中で死んでしまって新しい人に変わったんですよね。あの突然弓矢引く女の子が出てきた時の衝撃は結構大きくて、えっこれ前の人もう出てこないの?って戸惑いを30年経った今も映像と共に思い出せるほどなんだけど、ヒーローの喪失を自分の人生の出来事として受け止めたあの戸惑いは、スーパー戦隊シリーズの文化の一端ではあったのかなぁと今になって思う。いつのまにかすっかり忘れていた、ものすごくちっぽけな端っこではあるけれど。いやほんとあの回は最後まで生き返ると思って見てたなぁ……。

まったく門外漢だと思っていた私ですら、辿れば巡り会う記憶があること。歴史というのはすごいものだな。ちょうど今週その歴史に新しい1ページが加わったタイミングで、思い出せてよかった。シンケンジャーに教わって、ほんとうによかった。