30年前から「翔んで埼玉」公開2日目までの話

22日から公開の「翔んで埼玉」を見て来ました。23日の今日に。
普段はレイトショーかレディースデーにしか見ないし、土日昼間の映画館なんて滅多に行かないのですが、映画は公開の週末の動員が大事と聞いたので、どうせ見るならそこで行こうと。
どうしてかというと、それが少しは恩を返すことになるかなと思ったからです。

私はだいぶん昔、魔夜峰央作品の単行本を集めることに血道を上げていた時期があり、そもそもは叔父からパタリロとラシャーヌを譲り受けたのが始まりでした。その時点で確かパタリロが35巻くらいだったと思います。1988年発行なので私は9歳でした。中学生になったくらいの頃からパタリロの抜けている巻を探すと同時に、刊行されている全ての単行本を少しずつ買い、その時点ですでに新本屋にないものは地道に古本屋で探しました。多分大学卒業くらいまでずっとそうしていました。
いつそれをやめたのかはっきりとは覚えていないのですが、『ファーイースト』を本屋で見つけた時にすでに刊行からだいぶ経っており、ああ気づかなかったのだ、と思ったことはよく覚えています。『ファーイースト』は2003年の発行でした。
長年の古本屋巡りがいかに楽しく奇跡的だったのかを書き始めると「翔んで埼玉」にたどり着かないので割愛しますが、1冊は木更津で見つけた妖怪始末人トラウマシリーズは特に印象深い。一番苦労したのは『Vマドンナ』でした。

やおい君の日常的でない生活』も、持っていました。なので私にとって「翔んで埼玉」はそれに収録された未完の短編でした。ご自身が埼玉から移住されたことによる未完という魔夜先生の筋の通し方と合わせてよく覚えていました。
それが単独で本になって平積みされていたのを見つけた時はびっくしりました。なんで君が独立してるんだねとしげしげと帯を読んだのが、引っ越してから使っている本屋だったので急に最近の話です。2015年末発行でした。
私は雑誌ばかり読むせいかネットで話題になっている漫画に疎く、「翔んで埼玉」がたいへん盛り上がっていることも知りませんでした。こういうこともあるんだねぇとびっくりしましたが、ほんとにびっくりしたのはそれに伴う露出で魔夜先生のインタビューを読んだ時でした。

魔夜先生が大好きな宝石を売るほどに困窮していたと知った時、
「どうして言ってくださらなかったんだ」
そう思いました。
当たり前ですが知り合いでもなんでもないですし、私が魔夜先生の窮状を知る術などないのですが、それでもそう思いました。知ったところでなにができなくても、それでも私は魔夜先生がそんなことになっているときに何もしていなかった自分があまりにも恩知らずに思えました。
そしてそのとき、そうか、私は魔夜先生を恩師のように思っていたのかと気づきました。

学校で教わる以外の大事なことの大部分を、私は魔夜峰央作品、特にパタリロから学びました。タロットカードも、魔界の四大公爵も、クトゥルフも、バタフライエフェクトも、タイムパラドックスも(これはドラえもんからも)、意味論も、他にも数え切れないほどたくさんのことを、例えば「白紙委任」の意味なんて些細なことまで、パタリロがなければ知らなかった。パタリロを通らなくてもいつか他の作品から知ったかもしれないけれど、無尽蔵なまでの知識を持つひとりの先生からこれらを学べたのはただただ幸運でした。
そして、最近LGBTの話題に触れるにつけ、パタリロが自分の感じ方に多大な影響を与えていることを実感します。
子供の頃からパタリロを読んでいた私は、親をはじめとする自分の周りの大人が男女で家族を作っているということと全く矛盾することなく、「世界のどこかには男がほぼ全員ゲイで、女がほぼ全員レズビアンのところがあるらしい。そしてその男女比は9:1である」と思っていました。男女比についてはパタリロの登場人物の男女比そのままの印象でしょう。
よく覚えているのが「人魚が出てきた日」で、人魚に恋をしたタマネギが「やーいこいつ女が好きなんだってー! 変態だー!」と言われるシーンです。多数派が変われば常識も変わる、迫害される側と迫害する側も変わる、あの数コマでそれを痛感しました。

それと、「ピンクダイヤは初恋の色」(ヒューイットに女の子から手紙が来る話です)。私はあれを読んで、ロリコン趣味の人は「幼い少女」をひとりの人間として愛しているわけではないと知りました。人として愛した相手がたまたま少女だったという美しい話ではなく、その少女が大人になってしまったらなんであれダメ、つまり彼らが求めているのはただ少女であるというその事実なのだと知りました。
これを読んだとき、私はまだ少女と言える年齢でした。

「FLY ME TO THE MOON」や「忠誠の木」や「はぐれタマネギ」……すぐに思い出せる名だたる名作の他にも、覚えていないほど私の深い深い根になっている多くの作品を生み出してくれた魔夜先生は、直接教えを仰いだことはなくても私の恩師です。だからそんな人が困っていたなら、私はどれほどささやかでも、1冊買う単行本を2冊買う程度であっても何かすべきだったと、本気で自分が情けなかったのです。

映画「翔んで埼玉」は未完に終わった物語に素晴らしい結末を作り、全編本気で悪ふざけをしていて、お金をかける部分が全部大正解で最高でした。なによりもあの世界観そのままで、百美を男の子のまま演じたいと言ってくれた二階堂ふみさんには足を向けて寝られません。映画オリジナルの伊勢谷友介さんが、これがまた原作にいないと信じられないくらいぴったりでたまらなくて。氷のミハイルが実写になる際はぜひ伊勢谷さんにお願いしたい。
私は千葉育ちなので、千葉の軍勢に「あー!」と思うところがあって楽しかったです。埼玉の人がこれを見たらどれほど楽しいか、想像もつかない。今初めて埼玉県民が羨ましい!*1

映画の最初、タイトルが大写しになったとき(あれが実写かCGかはわかりませんが)、そのスケールの大きさに少し泣きそうになりました。『やおい君の日常的でない生活』のうしろでひっそり未完だったあの短編がこんなにもおおきな物語になっている。魔夜先生がたったひとりで生み出した漫画が、ものすごい人数の人によって映画になった。全員が全力で、この映画のために自分ができることを全うしてくれている、エンドロールの最後の最後までそう思えるほんとうにいい映画でした。近いうちに埼玉県でもう一度見たいです。

*1:でも私は千葉が埼玉と張るなんて思ってないです。一度でも大宮駅見たらそんなおこがましいこと言えない新幹線止まる駅はやっぱり違うあと駅ビルルミネだし。千葉はペリエです。