すくいの手

荒川洋治さんの新刊が出ていた。


文学のことば

文学のことば


平積みになっているのを見つけて、おおっと思って、でも待てよ、似たタイトルを知っているから新装版かもと初出を確かめて、新刊とわかったところで改めて喜んで大げさでなくかき抱いてしまった。


荒川洋治さんのエッセイを読むたび、この世にはうつくしいもの、とうといものがあって、それをいのちがけで追い求める人が確かにいるのだと教えられる。
自分がいかにいやしいもの、みにくいものだけを選って、目にしては、不平を垂れ流していたのかとふかく恥じ入る。目にするものは、全部自分で選んだものだ。
荒川洋治さんの本が出ると言うことは、この本の力を借りねばならない状況に、今私がいると言うことだ。世迷い事と言われても私はそう信じている。
この間の『昭和の読書』を見つけたのは、風藤松原の松原さんが倒れた時で、(自分が深刻ぶってもどうもならないのに、)意気消沈して丸の内オアゾ丸善にいたときだった。
色んな人に励まされたり、慰められたりしていながら申し訳ないのだけど、『昭和の読書』を見つけて、ああもう大丈夫だ、この本が助けに来てくれたと初めてしゃんとした。


昨日も少しうっつりとした気持ちで紀伊國屋本店を流していて、この本を見つけた。
荒川洋治さんの本が出ると言うことは、今私はこころの地獄を通過中なのだ。もう何度も通ってきたから、にぶくなっていて、あれ今地獄なのかな、そうでもないのかな、前はもっとひどかったよなと思っていたのだけど、荒川洋治さんの本が出たというのなら今がそうなのだ。
この地獄を通り過ぎてしまうまで、この本に寄りかかるようにして歩く。大丈夫。私にはこの本がついてる。この世にうつくしいものやとうといものがあると思える。そしてそれ信じ、追い求めるのも確かに人なのだと恃むことができる。