にっき

ちょっと前からまたツイッター疲れが出たのでしばらくお休み。去年止めるって言ったのが確か6月なので1年は保ったのか。保った?
最近写真載せたりしてたので今度はツイート消したりしないけど、マーしかし向いてないんだわネー。アカウント消せば良いんだろうけど、全く見ないとほんとに見逃すライブとかあるしナァ。


水曜日、色々あって気分が荒んでいたので、こんな時は荒川洋治著作に助けて頂かねばなるまいとこの本を連れて出勤。

ブルガリアにキスはあるか (五柳叢書)

ブルガリアにキスはあるか (五柳叢書)


忘れられる過去』を読んで、以後の読書量が激減するほど感動して以来、荒川洋治著作はよっぽど良いときかよっぽど悪いときしか外で読まないことにしている。
忘れられる過去』の発行が2003年。その時、さかのぼって全部の既刊を読まないようにした。ひとつは、同時代の物が読みたいから。
いつの時代でも、常に、ことばから、文学から、離れないエッセイばかりではあるのだけど、ここ数年の、はっきりと文学に特化したエッセイを、自分は繰り返し読みはしないのだと、認めないようにしていたのだけど、まぁそうらしい。
これを認めてしまうと、「荒川洋治のエッセイの新刊を待つ」というこの10年間ずっと一番楽しみにしていたことをなくしてしまうから認めたくなかった。
2003年に、既刊を読み尽くさないようにしたもうひとつの理由は、いずれくる何度かのこころの地獄のためにとっておくべきだと思ったからだった。
今がそのうちの一回だろうと思ったので、amazonで一冊、無料でお急ぎ便を使える姉に頼んで注文してもらった。
しかしこんな「読む本を買わずにとっておく」なんて悠長なことが出来るのはマーケットプレイスがあるからに他ならない。昔は「一度手にとって離した本には二度と出会えると思うな」を信条に生きていた。


夜、急に高校以来の友人と会うことになり、職場の最寄りでご飯を食べてきた。二人とも飲めない。相変わらず凪のような人生の私からは話すことが何もなくて申し訳なかったけど、こういう気分の時の旧友はほんとにありがたい。
その日から両親が旅行に行っていた。シャワーを浴びて居間で「うつけもん」を待っていたはずが目を明けたら朝5時になっていた。テレビは一度終わって、また始まっていた。


木曜日、頼んだ本が届いてみたら活版だった。奥付に、
本文印刷 大日本印刷
平版印刷 栗田印刷
と並んで表記されていた。
1991年はまだ、大日本がふつうに活版で刷っていたのか。

読んだような気持ち

読んだような気持ち


ほぼ2日間、誰とも話さず本を読んだり急に思い立って部屋を片付けたりとひじょーにノンビリして過ごした。命のセンタクーなどと言いつつ、冷蔵庫にあった野菜とベランダに生えてたバジルで凌いで買い物も行かなかった。両親は今日帰ってきた。


21時からテレビ東京の「家、ついて行ってイイですか?」を2時間全部見る。全部おもしろかった。時間も手間も膨大だろうな。これはテレビでないと出来ないなぁ。素人を突然舞台に上げて話をさせても全然おもしろくないと言うのを以前見ている。


ツイッター、ライブの感想だけどうしよう、まぁしばらく無いしなどと思っていたら明日にはもうライブがある。びっくりだ。休みが半分終わってしまった。