地獄の果てまで

磁石トークライブ「フタリシャベリ19」
5/1 しもきた空間リバティ 19:00


予定が立たなくて前売りを買っていなかったのだけど、どうしても漫才師が見たい気分だったので当日券で行ってきた。
いつの間にか何となく、ひいきが漫才師ばかりになっているのだけど、それぞれのコンビの関係というのは全く違うなぁと、新しく好きなコンビができる度に思う。
私は未だに磁石の関係性もさっさんという男も、わかっていないのだけど、磁石を見ていると、「一蓮托生」という言葉が浮かぶ。何度も。
ちなみにHi-Hiは「御神酒徳利」。これは仲良しの二人、どこに行くのも一緒の二人、という意味。


フタリシャベリはゲストが出てくる前に1時間くらい、磁石のふたりだけが話す。もっぱら近況で、お互いの身に起きたことは、ざっくりと知っているように見える。お互いだけが知っているときは「エピソード」で、舞台上で話すことによって「エピソードトーク」の形になるようだった。
しかしおもしろいのは、「トーク」というより「再現コント」に近いと言うこと。どちらかが話し始めて、それをすぐ二人で演じてしまう。もちろん詳しく知っているわけでも、打ち合わせをしているわけでもないから、この日もさっさんがパチンコ屋で絡まれた永沢さんを演じようとして「それでお前はなんて言ったの?」と確認したりしながらなのだけど、それにしてもすっと演じる。設定のない漫才コントのようなもので、ちょっと目を見張るほど素晴らしい。
自分のエピソードを、詳しく知らないはずの相手と、照らし合わせることなく再現するというのは、どういう技術なんだろう。見ていてわかるのは、技術よりも、「相手が自分の思う道筋から大きくは外れない」という確信が両方にあるということだ。


さっさんが話す自分にまつわる話は、はっきり言って言わない方が良いことの方が多い。もちろんここにも書けないよ。それは好感度という尺度に照らしたときの良い/悪いで言えば、の話。
それを永沢さんは止めない。それは言わない方が良いよと言っているところを見たことがない。すべて許容しているしおもしろがっている。永沢さんの中には、好感度とか、売れやすいとか、いわゆる一般的な尺度とは別に「磁石」という尺度があって、さっさんが話すろくでなしエピソードのすべてがそれから外れていないことを満足げに見ているようだった。


ゲストのU字工事に「とがっている」と言われてさっさんは「とがってるんじゃない、やさぐれてるだけ」と言った。永沢さんもそれに同意していた。磁石はU字工事のことをかわいいかわいいといっていたけど、二人だけで話している磁石はとてもかわいくて、でもそれはいまのところテレビでは伝わっていないんだろうなぁと思った。
どういうところがかわいいかというと、永沢さんが着ていたTシャツが女性のプリントの上にレオタードみたいなのをマジックテープでくっつけてあって、二人でのぞき込んではがしてみたけどビキニみたいになっててがっかりして、縫い付けてあるところをとってみたら?と言ったときに「永沢:上だろ?」「佐々木:核は下だろ!」と言い争うところとか。


今はやさぐれていることとかふたりともシュッとしていることとかが、生意気に見えてしまうのかも知れないけど、オセロで角をとったときに真っ黒な盤がぱたぱたぱたと一気に真っ白にひっくり返るように、それが全部良いところとして映る日がきっと来る。それまで、真っ黒なままでいられれば。その点に於いて、磁石は全く不安がない。今がどう見られようと、彼らのやることは「磁石」から外れない。


永沢さんが「友達が困ってるんだから……」と言ったとき、さっさんは間髪入れず「元・友達な!」と言い放った。相方は友達とは違うとよく聞くけど、こんなにはっきり言う人は初めて見た。友達ならば、相手を諭したり正したりするのかもしれない。
「一蓮托生」は、善くても悪くても行動・運命をともにすること。100人中98人が悪いと言っても、それが磁石として正しいならば彼らは一緒に行くだろう。