煮炊きする日

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有給。めちゃくちゃ風が強い。ゴミ出しをして朝ごはん、手洗いの洗濯、枕代わりのバスタオルの洗濯。あまり何もしたくなくて午後まで寝たり起きたりして、午後3時頃スーパーに行く。トイレットペーパーが普通に買える。やっぱり夜しか行けないから買えなかったんだな。

このツイートを読んで、東京もこの道を辿っていると思った。今は2と3の間くらい。ここから5日でこうなる可能性がある。私は今でも政府が自粛要請のみでなんの補償もしないことに腸がねじ切れそうだけど、それでももう行動でもって抗議したら自分含めたくさんの人を殺すことになる恐怖が上回る。だからなおのこと政府は卑怯だと思うし、ただの「自粛」の時期はもう過ぎたんじゃないかと思う。金出すからじっとしてろと言う方が、はるかに切迫感が伝わるだろうに。

 

やっぱり何もする気がしなくて、19時くらいから手羽元の炊き込みご飯を作り、炊けるまでの間にこないだ買ってもらった圧力鍋で牛すじを煮た。

夕飯後、母と電話していたら今日の東京の感染者数が100人と言われてついにきたかと暗澹たる気持ちになったが、電話切った後「ごめん全国の数字だった」とメールが来て力が抜ける。正しい数は40人。感染爆発は起きているのかいないのか。本当は今日も日比谷でディレイビューイングを見るはずだったのだが諦めた。ひたひたと爆発が近づいているような不気味さがあるがこれが正しいのかなんて当たり前だけどわからない。

分断は気まずい

会社の先輩にマスクをお裾分けしていたら、派遣さんが近所で見つけたからとトイレットペーパーを分けてくれる。ほんとに助け合いになってきた。仕事が暇なので翌日の有給を申請する。会社がマスク確保できたから分けるよって言ってくれたのはありがたいんだけど、「派遣・パートには正社員に配って後余ったら」の一文で盛大にもやる。我々にとっては同じ同僚だから、そこで区別されるととても気まずい。

 

日中読んだ記事

新型コロナウィルスについて⑥:4月第2週の首都封鎖 - ロックダウンへのカウントダウン-|安川新一郎 https://note.com/syasukaw/n/nbf0f6d4886e7

 

定時に上がって、会社帰りにハンサムライブのディレイビューイングに行く。上記の記事を読んだのですごく悩んだのだが電車使わず行ける場所だったので今日だけ……と言い訳しながら。映画館ではコロナ拡散防止のため発声はもちろん手拍子も禁止だった。座席は空いていて、ポップコーン食べたかったけれど飲まず食わずでそそくさと出てきた。こんな罪悪感抱えて見るのがもったいないほどハンサムライブは楽しかったし、接触禁止だったとはいえたった1ヶ月前にこれが開催できたのがもう夢のように思える。帰りにスーパーに寄ったら野菜と米が全て売り切れだったが、買い溜めによるのか閉店前だからなのかわからない。いつも行くスーパーではないので余計わからない。帰宅して買ってきた割引のモンブランを食べた。

 

寝る前に読んだ記事

http://web.kawade.co.jp/bungei/3455/

 

ウイルスの変異についてやっと少しわかる。分断がだめということも。東京の感染者数は47人。倍増するのかと思っていたので少しほっとする。

弁当分の近未来

月曜は有休をとった。用事があったわけではなく、ここを休むと今週は火水木の三日間しか出勤しなくていい。三日間ならお弁当を作らなくてもなんとかなる。それで休んだ。
実家にいたころからの習慣で、土日どっちかに一週間分のお弁当のおかずを作り置きしておく。平日は寝る前に3.5尺くらいの米を朝炊き上がるようにセットしておいて、起きたらそれとおかずを詰めるだけである。一週間同じものを食べ続けるが飽きもしない。そのせいか、夕飯は二日と同じものを食べたくないのだけれど。
この作り置きというのは結構滑稽な行為だとずっと思っていた。自分が次の一週間、無事に暮らしてもりもりご飯を食べると信じて備えておくなんて、まぁまぁ図々しいことだと思う。厚顔無恥といってもいい。でもそう信じて作っておかないと一週間えらい目に合うので、ここはひとつそっちの目でとなんとなく自分に言い訳しながら作るのだ。
コロナ禍が日常を侵し始めてから、この目に賭けるのがしんどい。自分がほんとうのことから目をそらして、あえて楽天的にふるまっているとんでもないばかに思えてしまう。
少し考えれば、今は100%ほんとうのことがわかっている人など地上にいないことも、そもそも自分がそれほど賢くないことも、作っておくことが逆に危機に備えることなのかもしれないということも、思いつくのだけど、とにかくもうお弁当作るのがやになってしまった。料理そのものは苦にならない。お弁当を作るために次の一週間を思い描くエネルギーがない。

次の一週間を想像する気力がわかないのは、そのもっと先、これがどうにか落ち着いて次の選挙があったときにまた自民党が勝つんだろうなということが、逆に思い描けてしまうのがいちばん大きな理由である気がする。ここまで無茶苦茶になってなお、こんなにもどうしようもないのかと思うと初めて切実にこの国に住んでいたくないと思った。遅いと言われれば甘んじて聞きます。
唐突にジオウ本編のネタバレをするんですけど、最終回ラストシーンの彼らの姿を見たときに、子供のころから今に至るまで何度も見たその結末に、初めて違う感想を持った。若いころは、「よかったこれで幸せになれるね」と思っていた。ジオウを見たときは、「今この国の高校生になっても将来あの2068年よりハッピーにはなれなくない?」と思った。思った自分にびっくりした。
もしも私に子供がいたら、その子が自分より数十年長くこの国で生きなければならないことに真っ青になっていたと思うのだけど、子供がいる人は今どうしてるんだろうな。
でもなんか、基本ひねてて根暗で別に子供好きでもない私でも、子供みたいに未来と明るさしかない存在が身近にいるときは、なんとなーく前向きな気持ちになってしまうから、毎日そういう存在と接してるとそこまで絶望的な気持ちにならないのかしら。

何が正しいのかわからないしましてや自分の思考なんて頼りないこと極まりないけど、それでも心に浮かぶのは、例えばひょっこりひょうたん島でトラヒゲの倉庫から食料を盗んだことを謝らないと毅然と言い切ったハカセだったり、例えばクレヨン王国月のたまごで「してはいけないことは、いつだってしてはいけない」と言い放ったまゆみだったりするので、理不尽に学校を奪われたこの時間に、心の中にたくさん味方を作っておいてね、と、もしも子供がいたら伝えていただろう。

そんなわけでお弁当は作らないつもりだったのだけど、スーパーに行ったらイワシが三尾で90円だったので新しい圧力鍋を試してみたくて買って煮てしまった。それと夕飯の残りを詰めたらなんとなくお弁当になってしまって、結局この三日間も毎日3.5尺の米を炊いていた。弁当の一つすら思った通りにはならないよ。