あの頃の未来

K-PROリターンズ〜あの頃僕たちは
5/19(日) 西新宿ナルゲキ 16:00

これにも浜浜が出るっていうのは何で知ったんだっけ。たまたまXのリスト(チケ発に絡むアカウントだけまとめたリストがある)見てたらK-PROさんのアカウントが言ってたんだっけ。こちらもサロン先行で、余裕で取れてありがたかった。ランジャタイの追加が後だったのも優しいなと思った。
しかしK-PROさんのライブ情報とチケ発に関しては、オンラインサロン入ってればX見なくて大丈夫で素晴らしいなと思った。各運営はX以外の情報発信を考えてくれと思い続けてはや1年以上経つけど、そんなことしてくれるところなんてないのかと思っていた。さすがK-PROさんだわ。
この2日のためだけに入ったけど、YouTubeに課金するのやめてこっち続けようかと思うくらい充実している(もともと児島さんが大好きなのでブログ読めるのもでかい)。

開場から開演まで15分という短い間、席に座っていたらはっぴいえんどの「風をあつめて」がかかった。頭で理解するより先にうっと涙が出そうになって、それから気づいた。浜浜の出囃子だ。

前半ブロック

キュウ「自作の歌(ええやん)」
さすらいラビー「卒業式」
Gパンパンダ「右手が上がり続ける人」
ストレッチーズ「アキネーター」

Gパンパンダが、16歳の脳で30歳が動くことないよ!みたいなこと言っていて、確かにと思った。

中盤ブロック

エルシャラカーニ「交通事故を見た」
ジンカーズ「部屋飲みの翌朝」
Hi-Hi「引越し」
鬼ヶ島「野田さん野田さん」
磁石「息子に説教したい」

エルシャラ、私が一番見てた頃の衣装とネタだった。ジャケットなしとタンクトップ。後のコーナーで、「ほんとの速さではできなかった」って言ってたけど、確かに4分ネタ磨いてた時のエルシャラめちゃくちゃ速くてボケ数多かったもんなー。「手数漫才」とか、今でも言うのかしら。
ジンカーズは「拝啓、吉田戦車様」かと思ってたら違った。見たことないネタだった。兼業になった芸人さんて声がちっちゃくなっちゃう印象があるのだけど、ジンカーズのネタだと全然大丈夫だった。
Hi-Hiももう私が見てた頃ドンピシャの服とネタで、上田さんも岩崎さんも全然変わってなかった。上田さんの髪型だけちょっと愉快になってた。
鬼ヶ島ー! 伝家の宝刀学生服ー! いやもう相変わらず面白かった……。あの頃、鬼ヶ島のネタ中は悲鳴みたいな笑いが起きて、鬼ヶ島の後の舞台にはペンペン草も生えてないくらい大荒れだったの思い出した。
磁石がジーシャックTシャツにジャケットで「NとSでピタッ!」をやってくれた! 磁石のあれ、私もリアルタイムで見たことない!

後半ブロック

虹の黄昏「マンザイ」
クロコップ「にんじゃりばんばん
浜口浜村「ドカーン/こぶしねこ」
ランジャタイ「PK」

クロコップ、多分2本くらいしかネタ見たことないんだけど、そのうちのひとつ「にんじゃりばんばん」、ほんとにいいネタ。見たことあるもう一本も消費カロリーすごそうで、クロコップは体力がすごいコンビみたいに思っている。
浜浜は、K-PROさんが用意してくれたというシャツで出てきたんだけど、「浜村:全然違う」って言うくらい色もサイズも(おそらく素材も)違う(笑)。浜村さんのは真っ黒で、ものすごくサイズが大きい。
しかしびっくりしたのだが、その全然違うシャツであっても、シャツ姿の二人が出てきた瞬間、ふっと涙ぐんでしまった。前の日は全然感傷的にならなかったので、完全に油断していたし自分でも驚いた。衣装の力ってすごいな、というのと、このライブの意味はそこか、というのと、私にとって浜浜はこっちなんだな、がいっぺんにきた。
本当のあの「冴えない色のシャツ」だったら、最後のブルーの時くらい泣いてしまっていたかもしれない。
芸人さん、特に漫才師が衣装を変える時は、流れを変えたい時なんだろうなと理解していた。あの頃*1。どう見られたいかが変化する時と言ってもいいかもしれない。だから、変わった瞬間と変わった後のことは印象深くても、じゃあ変わる前の彼らのことは、どういう気持ちで見ていたのかって、そういえばあんまり考えたことなかったなと思った。
私にとっての浜浜は、冴えない色のシャツを着た、どこか少年ぽさの残る、あの姿だったんだな。衣装がスーツに変わってから11年、解散から9年も経って初めて知った。この日にあの衣装を見なければ、多分気づくことはなかった。何しろ前の日にスーツ姿見て気づいてないんだから、こんなにはっきり証明されることもない。


あんなにライブに通ったのに、大抵のことは忘れてしまう。わずかに覚えていることは、なんでそんなこと覚えてるんだってことだったりする。大好きだった20:00ライブで何を見たかなんてさっぱり覚えてないのに、ライブ前に食べたフレッシュネスバーガーのことは覚えている。
忘れてしまっていても、見ればわかる。聴けば気づく。前の日の行列の先頭でも、使われている曲があの頃から変わっていなかった。だから久しぶりでもあんなに安心して見られたのだろう。「記憶」というと、情報が折りたたまれて脳のどこかにしまわれているように感じるけど、思い出は五感全部でできているんだなと思った。

この翌日から、RADWIMPS「Dreamers High」(ドリーマーズの出囃子)とか、クリープハイプ「明日はどっちだ」(オジンオズボーンの単独のED)とか、僕のレテパシーズ「ハローグッバイファックユー」(うしろシティの単独のED)とか、スネオヘアーの「NO.1」(ロックンロールカラオケナイトで浜村さんが歌った)とか、ブルーハーツの「終わらない歌」(スパローズの単独のED)とか、斉藤和義の「空に星が綺麗」(コマンダンテの出囃子)とか、Fountains Of Wayne「Hey Julie」(トップリードのイッピキムスメのOP)とか、TOTALFATの「World of Glory with JOE INOUE」(20:00ライブの客出しの曲)とか、RADWIMPS「雨音子」(やさしい雨の単独の転換の曲)とかを聞いていて、若干自分で自分をオーバーキル気味なのだけど、やっぱりあの頃見たもの聞いたもの、全部楽しかった。

あの頃はまさか、K-PROさんの20周年に、トップリードもキングオブコメディもいないなんて思わなかった。
東京キネマ倶楽部での単独を見て、ああこれから彼らがコントの人力舎を引っ張っていくんだなぁと思った鬼ヶ島のネタ作る工場が稼働停止してるなんて思わなかった。
スパローズが片方フリーになりつつコンビを続けてるなんて思わなかった。
なすなかにしタイムマシーン3号がロケでお茶の間を席巻してるなんて思わなかった。
芝さんが綾鷹カフェやってるなんて想像もできるはずなかった。そもそもあの頃まだ綾鷹ないんじゃないか(それこそあの頃のペットボトルのお茶なら若武者といぶきだろう。そう考えるとやっぱりおーいお茶強いな)。
思いもよらなかったことなんて枚挙にいとまがないけど、なによりも、お笑いのライブが配信されるようになると思わなかった。芸人さんはYouTubeにネタ上げるのも「ネタバレになる」って嫌がってた時代よ。マセキがニコニコチャンネルで事務所ライブ上げてたのが画期的だった。
「こんなに面白い人たちが、お笑いだけで食べていけないなんて間違ってる」とはいつも思っていたけど、だからって具体的にどうすればいいかなんてわかりっこなかった。いいことも、悪いことも、想像通りになったことなんて一つもないどころか、全部想像もつかないようなことしかない。この「いい」「悪い」だって、2024年現在そうであるだけで、今がまた「あの頃」になる頃には、これまた思いもよらないことになってるんだろう。

見たって忘れてしまうし、未来は想像もつかないし、過去は未来よりも簡単に変わるけど、じゃあなんでライブなんて見にいくのかって、結局、見ている今この瞬間が最高に楽しいからでしかない。過去も未来もいつかの今なら、どんな未来が来ようと、どんな過去に変わろうと、楽しかった「今」は確かにあった。例え忘れてしまっても、なかったことになんてさせない。

EDトークで芸人さんたちはなんで浜浜がトリじゃないのって言っていたけど、トリにはしないと思っていた。行列の先頭は三四郎の後で、リターンズはランジャタイの前。さすがだなぁと思った。
こんなにも「あの頃」を振り返れるのは、K-PROさんがあの頃よりも成長しているという自信の裏返しでもあるだろう。もしあの頃より落ち目だったら絶対にこんなことはできない。ずっと成長してきたK-PROさんのライブはいつも、次につながるような、最高潮でありながら、さらにこの先が開かれていく印象で終わる。だから、礼を尽くして迎えたのであっても限定復活の漫才師をトリにはしないと思っていた。
そんなK-PROさんだから、20周年を迎えられたんだろう。心からおめでとうございます。そのうちの数年を目にしただけの一観客だけど、東京にK-PROさんがあって本当に良かったって思っている。あの頃も今も。