絵になるふたり

浜口浜村の悠々自適 多方面漫才ライブ編
10/2 新宿バティオス 19:30


OPでルシファーさんがひとりコントをやって、あとは浜口浜村が漫才を6本。そのうちの1本はアドリブ、1本はルシファーさん作、1本は浜口さん作でなるほど多方面。
最初のルシファーさんのネタの後に浜口浜村が出てきて、なかなかゆったり喋ったのだけどこれが結構これまで見た中でいちばんくらいに浜村さんがネガティブ全開。ここでのネガティブを要約すると「認められていない」と言うことに尽きるので、認定されてればそれだけで全然心持が違っただろうにと思うと、1大会の1基準とはいえつくづく今回のザマは罪つくりだった。
「浜村:こういうこと言うと(客は)笑わないですね」って言ってたけど、それはあなたがこれまでどんだけ繊細だったか知ってるからですよ! こないだの単独見るまで私の中で浜村さんとガラスの置物は同じカテゴリにいましたからね! さすがにもう「やめちゃうかも!」とかは思わないけど、おふたりがちゃんと図太い芸人だと広くライブで知らせて行ければ笑えるようにもなると思う。
なんだったか浜口さんが「しめサバ」って言って、完全に天竺鼠さんのネタですねーってなった時に浜村さんが浜口さんの髪に触れるほど近く頭を指差して、「脳に入ってた」って言ったのがなんかすっごく小学校の友達っぽくて愛くるしかった。


以下ネタのタイトルは適当。浜村さんが作ったのはこれからどこかでやるだろうからざっくりと。ネタの合間にルシファーさんが出てきて浜口さんが考えた一言を言うという、ブリッジというかアイキャッチ的な扱いにぷんすかしておられた(笑)。私は「やめろよー! みんなで遊ぶって約束だろー!」が好きだった。


「選挙に出る」。当選確実の演説を持っているという浜村さん。記念すべきスーツでの初漫才がこれ(笑)!


「動物の名前をふたつ」。たぶんアドリブの漫才。途中で浜村さんが上手の袖に向かって「談志師匠! きてくれたんですか!」→浜口さんが下手の袖に向かって「談春さん!」その後天井に向かってもう1人名前を言ってたけど聞き取れなかった。ここでふたりがすごく笑ってて、浜口浜村の漫才で遊びって初めて見たかも。普段のネタかなりシステマチックだったりするもんなー。


食物連鎖」(作:ルシファー吉岡)。これは始まってすぐに「ルシファーさんのネタかな」ってわかった。なんというか、「人から見た浜口浜村」をふたりが演じているように見えた。つまりは、私が見ている浜口浜村像に近い。浜口浜村が考えた浜口浜村を見ているのに、それを見ている私の浜口浜村像は、やはり浜口浜村ではないルシファーさんが見ている浜口浜村に近いと言うのはとても興味深いことだった。似顔絵が時として写真より特徴をとらえているように、浜口浜村浜口浜村たらしめる部分がよりデフォルメされてわかりやすかった。あと、いつもの「はいどーもー、浜口浜村です」の挨拶もこの日はこのネタまで出なかった。
こうなってくると他の人が書いたのも見てみたい! 今回はう大さんとかラブレターズ塚本さんにも頼みたいと思いつつ断念したそうだけど、名うてのネタ書きがこぞりにこぞって浜口浜村にネタを書いたライブ見たい! この後中MCでルシファーさんとお話し。


「お宝」。今までの自主ライブだったら最後に置かれたネタかな?という感じがした。


「夏の終わり」(作:浜口祐次)。途中浜口さんが針の飛んだレコードみたいに「アリが……アリが……アリが……」と繰り返すところがあって、それに対して浜村さんが「もういっぺんやる? それとも病院行く?」(笑)。飛ばしたのかネタなのかわからなかったけどそこで浜口さん作だとわかった。アリの巣穴に連れて行かれるまではいいとして(よくない)そこでかき氷を食べようとするんだけど氷がなくて、かき氷機でかき氷機を削ってかき氷を作ろうとするあたりが浜口ワールド……。巣穴に連れ込まれたときの「浜口:ツッコミ遅かったなって(がっかり)」のところが無茶苦茶おもしろかったのと、漫才してないときの浜口さんにもツッコミと言う強い自覚があるのかーとなんか嬉しかった。いや漫才していないって言っても漫才の中の話で、アリの巣穴に連れ込まれてる最中なんだけどさ……。


「お願い」。新しいネタを思いついたから、それをやるために必要なことを浜村さんから浜口さんにお願い。とっても浜口浜村らしい楽しくおもしろいネタだった! ボリューム満点。


中MCとEDではルシファーさんも交えてネタの話とか。ルシファーさんの書いたネタは後半明らかに手を抜いていたとネタ書きの浜村さんにはわかるそうな。でも直してライブでやるそうなので楽しみ。最後は3人でルシファーさんのズドン!を多方面にやって終わり。
この日のライブはEDで浜村さんが「ふんわりきなこもち」と口走るくらいふんわりだった。自主ライブくんは「型」を通り越して「仕掛け」でがっちりパッケージされたライブだったから、それに比べると満腹感のようなものは薄かった。
でも、仕掛けがない分浜口浜村と漫才だけがあるようで(ごめんルシファーさん)、それが今の浜口浜村の漫才との対峙の仕方なのかなと思うとそのふんわりも興味深い。


今、浜口浜村が地獄みてぇな場所にいるんだとしても、そこで浜口浜村が漫才をやるならお金払って地獄まで見に行くから。万難を排して見に行く価値のある漫才だと思ってる人達でバティオスがほぼ埋まることはちゃんとすごいことだから、それは誇ってほしいのですよ。ファンが言ってもなんの救いにもならないと思うけど(ほらご本人がネガティブだとファンが卑屈に)!


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って書いてるけど見てた人ならわかるように私は一番肝心のことを書いてなくて、それをこれから書くんだけど、最初に「ルシファーさんのネタの後に浜口浜村が出てきて」って書いたところ、あそこで


ス ー ツ 着 て 出 て 来 た


あのときバティオスの空気がいっしゅんごりっと固まったような気がした。どよめきすら起きない、皆息をのんでいたんじゃないか。まばゆいようなぴかぴかの漫才師が出て来たんだもの。
他のお客さんが何を考えていたかは分からないけど、私は「引き受けた!」と驚愕していた。浜口浜村が、漫才師を引き受けた。しかもこの日のネタで一つ、浜村さんが「もういいよ」って終わるネタがあった。スーツ着て「もういいよ」って! 逃げも隠れもせず漫才師じゃないか。
もちろん浜口浜村は、世界観を言い訳にして逃げたことなんて一度もないし、彼らのネタは漫才以外の何物でもなかったけれど、それでも、見ている人にここまで「彼らは漫才師だ」「彼らがやっているのは漫才だ」という前提を与えて――つまりは見ている方の退路を塞いで、浜口浜村のネタをやると言うのはどれほど覚悟がいることだろう。
でもその覚悟で得るものは絶対に大きい。「彼らはネタでやっている」と、最初から思ってもらえるということ。ご本人いわくの冴えない色のシャツを着ているときは、いっそ家にいる時からこのふたりはこうなのかな?と言う雰囲気だったふたりが、漫才師として立っている。板の上だけの存在であるということ、その彼らが語ることは、はっきりとネタであるということ。
変な意味じゃなく、漫才師の見た目はすごく大事だと思う。ある程度、どういう風に笑ってほしいか、リードすることができるもの。東京ダイナマイトほど極端な例を出さなくても。
実際、このエントリを書く間、「浜浜さん」って書こうとしなかった。今まではけっこうそう書いてきたんだけど、その個人名かなにかわからない呼び名より、「浜口浜村」って、コンビの名前で呼びたかった。漫才師の名前で。ほらもう影響されている。
浜村さんはかっこいいって言われたくないって言ってたけど、私は言うわよだってかっっっっっっこいいもの! 男としてじゃなくてっていうとなんか語弊があるけど、漫才師としてかっこよすぎてそこはもう全然気にならない(やっぱり若干失礼)! ずっとずっと誰よりも漫才師であろうとしたふたりが、業を煮やしてついに多くの人が思うところの漫才師の格好をして出て来たんだよ(半分想像)。その引き受けた姿、かっこ良くないわけがない。
スーツになったら細身の浜村さんはさぞかっこいいだろうなーとは思ってたんだけど、実際見てみたら浜口さんの動きの優美なことがまざまざとわかって、見ていてうっとりほれぼれですよ。浜口さんのよくやる、浜村さんの方を向いて諭すように話して、そこからすいっと半身翻して客席に語りかけるあの一連の動きが、特に「すいっ」のところがスーツ着てるともうこんなにきれいだったっけ!?って目を瞠るほど。だいじ……衣装だいじ……。


見ている間はおもしろくて楽しくて、スーツも素晴らしくてやっぱり浜口浜村が大好きでふくふくしてたんだけど、帰り道はスーツ姿とネガティブがうまい具合に咀嚼できなくて、なんとなく考え込んで帰った。
でも翌日のyardもスーツ姿で出てきて、それに客席がどよめいて、その姿でありネタをやっているのを見たらなんだかここから先しかないような晴れ晴れとした気分になった。あそこまで漫才師を引き受けた浜口浜村なら、ネガティブでいられるのももうちょっとの間だから、それすら見られてよかったと思うようになる。


真新しいスーツを着て漫才をするどの一瞬一瞬も、浜口浜村はとんでもなく絵になるふたりだった。例え今が地獄にいるんだとしても。のたうちまわってるんだとしても。