続いていく話

お笑いのライブに通っていた頃、K-PROのコジマさんが、ライブのお客さんは「ライブにこない理由」が2つ重なるとこなくなる、と話すのを聴いたことがある。
その時はライブに行かなくなる予定ではなかったので、へーそうなんだーというくらいの気持ちで聴いてたのだけど、実際自分が行かなくなったとき、確かに「ライブに行かない理由」が2つ重なったわと思った。コジマさんさすがだなとも。
その2つの理由のうちのひとつが、「浜口浜村を掬い上げられなかったお笑いに、どう夢を見ていいのかわからなくなってしまった」だった。
夢と言ってももちろん自分の夢ではなくて、好きで見ている人たちが売れていくのを夢想することです念のため。

私が一番回数を見ていたのは浜浜ではないし、贔屓の事務所も太田プロだった。だから、自分でも、浜浜の解散があんなに大きなきっかけになると思わなかったのだけど、自分の気持ちに正直になるとそうだった。
どうして浜浜は売れなかったんだろうと、今でも思う。最近頓に思うかもしれない。私がぎりぎりライブで見たことのある、浜浜よりエキセントリックだったりわかりづらかったりした芸人さんを、テレビで見かけるようになってきたから。どうしてこの人たちが売れて、浜浜が売れなかったんだろう。ライブに行っていた最後らへん、舞台上の芸人さんを見ながら思っていた。どうしてこの人たちは残っているのに浜浜はもういないんだろう。ライブはそんな気持ちで見るもんじゃない。大分失礼な話だ。

どうして、なんて、考えてわかる理由があるわけない。ただ、浜村さんはご自分の芸人としての人生を、綺麗な物語として閉じよう閉じようとしているのではないかとそれだけ気がかりだった。全てのライブでやったネタと回数を記録しているという話を聞いたから、そんなことを思ったのかもしれない。

浜村さんが電子書籍を上梓したと知って、いよいよほんとに閉じてしまうつもりじゃあるまいなと不安でしばらく買えなかった。意を決して読んでみたら、それは全くの杞憂で、美しい結末とは真逆のようにぐちゃぐちゃに広がって終わっていた。本を閉じてもこの先は続くのだと、その力強さが嬉しかった。

「休養」以降の章は、読んでいたらその時々の自分がどうしていたかが結構思い出されてそのことにびっくりした。休養から復帰したときは、終わらないRPGのネタをやったことに胸を熱くしていたし、解散したブルーでは、浜浜のネタ前に客席で歯の根が合わなくなってガチガチいうのを必死に抑えていた。あと私、あのとき名古屋行こうとしてたんですよ。新幹線のチケットまで取ってたのに、JRから「キャンセル料いらないから旅行やめろ」って言われて諦めた。浜浜の最新の漫才をたった一人しか見なかったってTwitterで読んで、文字通り地団駄踏んで悔しがった。

浜浜を主軸にライブに行っていたわけじゃなかったから、そんなに数見てないほうだと思っていたけど、結構思い出があったらしい。まぁ、四半世紀何かのライブに行き続けて、もしも「一番見たいライブをもう一度だけ見せてあげるよ」と言われたら今も変わらず2012年12月4日の「浜口浜村の自主ライブくん さよなら自主ライブくん編」を選ぶ。結局ずっと特別だったのだ。

浜浜のことを思うと、いつも『やがて秋茄子へと到る』の歌が頭を過ぎる。この本を読んで、思い出したのはこの歌だった。

冬にいる寂しさと冬そのものの寂しさを分けていく細い滝

冬そのものである浜村さんの凍てつく厳しさは私にはわかるはずがない。でも冬にいた私も寒くて寂しかった。
そしてとても楽しかった。