味方と味方

阿佐ヶ谷姉妹単独ライブ2「あなたと私」
8/26(土) 武蔵野公会堂 19:00


レポートではなく感想で、具体的な演目には触れていませんが、大阪で見る方は読まないでください。




思えば最初のディナーショー(まさかの大竹まことさんと高佐さんと同じテーブルだった)から私は阿佐ヶ谷姉妹の公演を見るたびにおいおい泣いてるんですが、これまではいつもエリコさんの歌に泣かされていました。今回初めて、ミホさんの歌で泣きました。
ミホさんが歌っている間、私は振り向いてその姿を見上げていたのですが、同じように他の観客の皆さんも、ミホさんを見ていました。その時唐突に思ったのです。「阿佐ヶ谷姉妹は私たちの味方だ」と。


たったひとつのつまづきや言葉尻を針小棒大に取りざたされて、もう終わりと断罪されるような狂乱からどんなに距離を取りたいと思っても、チャンネルを変えても変えても不倫のニュースが続く毎日でした。ただ死なないように生きるのはギネス級の不幸人生と大島弓子先生も描いていますが、身を縮こまらせる以外になんの対策があるのだろう。人を断罪する人は、その人にも自分にも人生が続いて行くことを考えていないからあんなに無邪気に石を投げるんでしょう。いっそその無神経がうらやましい。嘘です。


阿佐ヶ谷姉妹は単独ライブの最中何度も何度も間違えて、その度に客席はそれに気付くけれども笑うことも焦ることもせずその先を待ちました。それは阿佐ヶ谷姉妹を信じているから、彼女たちの表現するものをまだ見ぬうちから信じられるからでした。
例えば失言とかうかつなこととか、言ってしまうときもあるかもしれない。でもその言葉よりも、その言葉を発する一秒前までその発言者が重ねてきた人生を信じられるなら、その真意は汲み取れるはずなのです。ラジオ文化はきっとそうやって成り立ってきた。あの日の客席は、阿佐ヶ谷姉妹の見せてくれるもの以上に、今日この日までの彼女たちの人生を信じていた。彼女たちがこうして足を運んだ私たちを裏切ることは決してない、そう確信している笑顔で見守っていました。応援しているはずの客席の心をしっかりと支えているのは彼女たちのこれまでの誠実でした。


ファンとタレントのあり方を考えるときにいつも思い出すのが、朝日新聞に載った島倉千代子さんの追悼記事です。人に騙されたり借金を負ったりして時にスキャンダラスに報じられることがあっても、ファンはそれを彼女の人のよさ故、不器用さ故と理解して見守っていたと。与太記事を斜め読みしただけの他人が知りえないファンとの信頼さえあれば、埒外の雑音なんて気にしなくていいのだと学びました。


阿佐ヶ谷姉妹がこの先もっともっと売れて、時にあれっと思うようなお仕事をしたとしてもきっとそこに至る道にファンを裏切ることはひとつもないのだと確信できる。だから阿佐ヶ谷姉妹は私たちの味方だと思うのです。
そしていつか私がくだらないことでつまづいてもその一点で彼女たちが私を裁くことはないでしょう。たいしたことないわよと笑って歌を聞かせてくれる。ステージの上の人にそんな信頼を持つのは、普通のお笑いライブで披露されるよりも丁寧に振って落とすネタや、彼女たちの人生を乗せた歌が、客席ひとりひとりにしっかりと寄り添ってくれているからです。阿佐ヶ谷姉妹は私たちの味方で、それはとりもなおさず私たちが阿佐ヶ谷姉妹の味方だということに他ならない。そんな吉祥寺の夜でした。


ダリアの帯 (白泉社文庫)