12/7〜23

7日月曜日。定時で上がる。鱈の切り落としと白子を買ってきて天ぷらを作る。物足りなくて会社でもらってきたりんごでコンポートを作る。


8日火曜日。定時で上がる。ルーコラを買い足して、前日の残りの鱈と白子でパスタを作る。


9日水曜日。定時で上がる。週末に作っておいた手羽先のポン酢づけを食べる。


10日木曜日。お昼に会社でおすしの出前を取って、同期4人で食べる。定時で上がって「語らせろ!」に行く。M-1が楽しかったことから、前向きな話がたくさん聞けてとてもうれしい。KOC後のお通夜のような空気と全く逆だった。この話を浜村さんにも聞いてほしかったなと思うけれど、とっくに考えた上でのことだろうなとも思う。高倉さんは、最初にこのライブに出た時から一貫して「それでも老若男女問わず全員を一番笑わせればいいんだ」と言う姿勢が全くぶれない。そんで実際老人ホームとか行ってわらかしてるんだもんナァ。
S×L酒井さんによって、M-1永遠の命題「2本目に同じパターンをやるか違うパターンをやるか」についにFAが出た。これはほんとにすごかった。「その漫才の魅力が人かシステムか」で区別する方法なのだが、これが広まればもう誰も間違わない。大げさでなく、3回転半がやっとだったのにいつの間にか4回転を競い合っているような、人類そのものの進化の瞬間を見た思いだった。これについてツイートしたら、実際どっちがどっちを選べばいいのかということについては書いていないのにRTやらお気に入りやらが付いていた。あれだけ見てもわかんないと思うんだけど。KさんとMさんとKちゃんとサブナードでとんかつを食べて帰る。


11日金曜日。誕生日で36歳になった。会社の忘年会。会費4,500円で一頭買いの牛肉の焼き肉を食べる。たいへんおいしかったが、スーパーで4,500円分和牛買ったら結構な満足感でもっと大量に食べられるような気がしてしまってそういうことを考えてはいかんと頭を振った。要するにスーパーの肉そんな高くないと言うことだ。たまには自分でも和牛を買おう。
1次会終わりでそそくさと抜け、漫画喫茶に入って「浜口浜村のしにそうでしなない」を見る。どうしても生で見たかった。受けなかったネタの供養をして、最終回と言い逃げて終わり。そこから1分くらい、もうふたりの映っていない画面に向かってみんな悲痛な言葉を投げていた。私も。面と向かっては「辞めないで」なんて、言えるわけがない。泣きながら帰る。


12日土曜日。最低限の家事をやってだらだらと過ごす。角煮を仕込み始める。会社で派遣さんと大根が使いきれないと話していたら、ピーラーで剥いた大根と豚バラを重ねてレンチンしてポン酢つけて食べるだけでおいしいですよと教わったのでやってみる。おいしかった。


13日日曜日。昼ごはんは冷凍してあったミートソースで済ます。すぐにお腹が空いたのだが家に何もお菓子がなかったのでスコーンを焼いて食べる。ヨーグルトを入れてみたらいつもと膨らみ方が少し違った。夕飯は角煮で済ます。iphoneで下書きをして、日が変わるあたりから便箋に手紙を書き始める。


14日月曜日。朝から土気色の顔で仕事をしていたので何人かから具合でも悪いのかと聞かれる。オタク事について隠さないことにしているので「たぶん今日好きな漫才師が解散するんで……」と言うと、みんなもれなく「えー! かわいそう! 大丈夫!?」と心から同情してくれる。定時で上がる。乗り換え駅でローソンに寄り、星野源の振り込みをする。こんな状態で次のライブのことを考えているのはほんとうにこっけいだ。この日以降の自分のテンションが全く読めず、12月中のライブはほとんど入れていないのだけど星野源はこれを逃すと取れないからなぁ。たぶん夕飯どころじゃないだろうと思ったのでドーナツを買い、新大久保からの道すがらもぐもぐ食べながら行く。バティオスの前にはたくさんお友達がいて、みんなどんな様子だろうとどきどきしていたんだけど、いつもマセキに通っている皆さんは「それはそれとして今日のブルーを楽しむぞ」と言う様子で、とてもかっこいいなと思う。私はと言えば、これのためにここ5年皆勤だった月笑クライマックスシリーズを蹴ってきているので実にかっこわるいなと思うがそうも言っていられない。
入場して香盤を見たらトリ前が浜浜で大トリがツィンテルだったのであああ……となる。浜浜の前がルシファーさんで、どんな覚悟で出ていらっしゃるんだろうと思ったが、結果から言うとこの日一番笑ったのはルシファーさんだった。進路指導のネタ。めっちゃくちゃおもしろかった! あの日のブルーのあの出順であんだけ受けるってどんだけすごいネタなんだ。もう偉業だ。手を叩いて笑った。ルシファーさんが捌けて、好きな漫才師が最後の漫才をやる前の暗転中は、歯の根が合わなくなると知った。終わった後は嗚咽をかみ殺すのに必死だった。ツィンテルのネタも、どこか現実が思い起こされて涙が出た。
外に出たら、外様の私が一番泣いているくらいで申し訳なかった。いろんな人と話す。ツィンテルファンのCさんは、もうずいぶん前からわかっていて全部見たと後悔のない顔をしていた。冷蔵庫マンさんのライブに行っていたKさんが来てくれたので駅まで一緒に帰ってもらう間もぼろぼろ泣いていてほんとーに申し訳ない。さっきからずっと泣いてる泣いてると書いているが、泣いてるからこんなに悲しんでいるんだとか言いたいのではなく、私は単にストレス耐性が弱くて涙のパッキンがバカなのだ。泣いてどうなるものでもないが、泣かないと逆にもたない。家についてからも玄関でしゃがんでひとしきり号泣するまで立てなかった。風呂の追い焚きのスイッチとMacの電源を同時に入れて、びーびー泣きながらブログを書いた。途中でお風呂に入って、上がってからまた書いて、1時半ごろ書き終えたので寝ようとしたが全く泣きやまなくて寝られなかった。私は何につけても区切りを付けるためにブログを書いているので、書けばとりあえず寝られるだろうと思っていたのに誤算だった。一度起きて湯たんぽを作り、それを抱えて般若心経を唱えていたらどうにか寝られた。


15日火曜日。起きて、浜浜はもういないのかと思ったとたん飽きもせず泣き始める。中年女が自分で自分の涙の制御もできず出勤できないと本気であわてているのは相当コメディだ。マスカラとアイシャドウは諦めて、ウォータープルーフのアイラインだけ引いて一日眼鏡をかけて過ごす。同僚は顔を見てだいたいみんな察してくれる。たまに一緒にライブに行く同僚がブルーの様子を聞きたがったが、今話すと泣くんで無理と言う。こういうときはほんとうに仕事があって良かったと思う。オタク事がつらいときは仕事をして、仕事がつらい時はオタク事に没頭して、ずっとその繰り返しだった。
Twitterを見たら芸人さんやマセキアカウントさんによるブルーの前後の写真がたくさん上がっていて、浜村さんが浜口さんの肩を抱いている写真が2枚もあった。なんだい最後の最後で仲良しになって……と思ったが、最後なのは見ている私にとって最後なだけで、浜口さんと浜村さんはずっと昔から今もこれからも親友なのかなとも思う。でもそれは浜口くんと浜村くんのことで、それが浜口浜村じゃないのなら私にはもう知る由もない、関係のない話だ。浜口さんが撮ったのであろう浜村さんの写真が、静止画では見たことないくらい穏やかな表情で、浜口浜村はカメラを向けると変な顔ばかりしたのに。
1時間くらい残業。今週はご飯どころじゃないかと思っていたのだが、1日中泣いているか泣くのを我慢しているかなので泳いだ後のように疲れてものすごくお腹がすいていた。帰りに最寄りのスーパーに寄ったら生のあんこうの肝を売っていたのであんきもを作ってみる。結構簡単にできるんだな。冷凍しておいた鱈の切り落としでちり蒸しを作る。


16日水曜日。定時で上がって同僚2人と焼き鳥を食べに行くが目当ての店が臨時休業で鳥貴族に行く。


17日木曜日。定時で上がって、花を買って帰る。冴えない色をした、同じくらいの背丈の、違う種類の花を二輪。この家に来てから初めて花を買ったけど良いもんだな。ちゃんとしたフラワーベースがほしい。今はまえに唐辛子オイルを作っていた瓶に挿している。夕飯は角煮と弁当のおかずの残りで済ます。家じゅうの乏しい詩集と歌集を積み上げて読んでいるうちにこたつで寝てしまう。


18日金曜日。有給。とにかくこの日は寝るのが仕事なので朝ご飯食べてお風呂に入って寝て、昼ごはんにつけ麺食べて寝て、夕方起きてお風呂に入って会社の最寄りまで行って同僚の送別会に参加する。あまり仕事では関わらないが大好きな同僚で、そのことを伝えられてよかった。彼女の人徳か、とても盛会だった。結婚式とか送別会とかは、人間性が露呈するから怖い。私みたいのはなんか色々ばれそうで怖い。最も信頼している同僚に、相手がしたたか酔っ払っているのをいいことに普段言い慣れないことなどを言ってみる。
中途半端な時間だったので東京駅の銀の鈴広場で時間をつぶす。15日以降なんとなくネットをやる気にならない。Twitterは元々一度辞めたのを写真のためにやってるだけだからいいんだけど、インスタもやる気にならないって珍しいなと思って、「ひとりになりたい」という感情を久しぶりに思いだした。普段から物理的には一人だから忘れていた。
新宿に移動。ロフトプラスワンの前まで来たところで阿佐ヶ谷ロフトだったと気付く。1番持ってたのに……。阿佐ヶ谷に移動。「ダイタク・ニューヨークのちょっといいっすか!?」を見る。5時ごろさすがに眠くなるが体調は悪くならず、家に帰って昼まで寝る。


19日土曜日。フェットチーネカルボナーラでも作るかなと冷蔵庫を開けたらいろんな野菜が中途半端に残っていたので冷蔵庫お掃除パスタに切り替える。鰹節を使いきる。夕方から出かけて、会社の中で地元が千葉の人だけの飲み会に参加する。もう定年退職した人や、取引先の人もいていかにも社会人の飲み会と言う感じで楽しい。年に1人ずつメンバーを増やしていて、女は私が初めてだそうで、二次会のカラオケで女性ボーカルのレパートリーの必要性を痛感する。そのカラオケボックスザンゼンジの解散を知る。実家に泊まる。母と2時ごろまでしゃべる。


20日日曜日。FKDのチケ取りの後、その足でauに行きガラケーを解約する。チケ取りのためだけに維持していたのだけど、最近e+がPCサイトよりモバイルサイトの方が弱くなっている気がしてローチケのためだけに月に数千円払うのが嫌になってしまった。学生のころから契約していたのでポイントが2万円分以上あり、バッテリーとイヤホン2つに変えてもらった。ついでにsoftbankにも行って契約で気になっていたことを聞いてきた。待っている間コーヒーやら紅茶やらが好きに飲めるようになっていて、長時間待たせるの前提なんだなと思う。昼ごはんはエシャロットとトレビスのトマトクリームパスタを作る。夜までだらだらして帰る。実家から貰ってきた羊を焼いて食べる。


21日月曜日。土日にお弁当を作る暇がなかったので、実家から貰ってきたカップヌードルのボロネーゼを持って行って昼食に食べる。おいしかったがすぐお腹が空いた。少し残業して退勤。最寄りのスーパーにスケトウダラの生子と言うのを売っている。調べたら要するにたらこのたらこになる前の姿らしい。買ってつきこんにゃくと煮てみる。子和えと言うらしい。この見慣れない魚介類を見ると調理したくなる衝動に名前は付いていないのだろうか。また最寄りのスーパーが知らない魚色々売ってるんだよな。わかさぎも買って天ぷらにする。ごぼうとにんじんを大量に刻んで、一部をかきあげにして食べ、残りを弁当のおかずのきんぴらにした。


22日火曜日。月役のバイオリズムが狂ったせいか、午前10時ごろ立っても座ってもいられなくなり会社の和室で2時間くらい横にならせてもらう。悲しみなんてとどのつまりはストレスだ。午後からよれよれと働いていたらS×Lが解散した。全身の力が抜ける思いがする。1/6のバカ爆が入ったからちょっと安心していたのだけど、違ったのか。でも最後を見せてくれるのはとてもありがたいと思う。後になってあれが最後だったってのは、残酷すぎるし、最後を見たいなんて言う単純な気持ちすら汲めないのなら最初から応援してなんて言わないでくれとさえ思う。応援するって言葉は自分ではほぼ使ったことないけど。応援したところで屁のつっぱりにもならない。
この間の語らせろでの前向きな発言しかない姿を思い出すから、きっと次が見えているんだろうと思うけど、だからと言ってS×Lを失うことを悲しんじゃいかんと言う法はない。やさしくて愛情が深いファンほどそのジレンマに引き裂かれていてかわいそうだ。私は結局まだ浜浜がなくなったところから全然動いていなくて、まだ悲しいしまだ泣くし、でもTwitterみたいな強制的に目にさせる場所でネガティブふりまいてもわるいから書かないだけで、元気なんてちっとも出したくない。だってもうこの世界には浜浜がいないのに。お笑いは浜浜を掬いあげられなかったのに。コンビはコンビのものだけど、そのコンビを好きだった気持ちは自分のものだ。持ち続けるのも屠るのも自分で決めないとどうしようもない。しかし人力舎ファンは箱推しが多かったイメージがあるので心配だ。心配したところでなにもできないんだけど。
定時で上がる。同期の送別会。アイドルオタクの同僚に聞きたいことがあって、帰り際にNegiccoは守備範囲なの?と聞いたらものすごい情報量が返ってくる。「なんか3とか7とかいう名前の……」と言っただけで「3776(みななろ)ですね」。話が早い。ちょうど持っていたアイドルグループがピロウズのカバーをしているというCDを「もう僕これ3枚目なんで」とくれる。
帰りに最寄りのスーパーでりんごを2コ買って帰ってキャラメル煮を作る。それはそれで置いておいて、実家から貰ってきた棒状のケーキを食べる。とにかくなにか調理したかっただけなのだ。考えても仕方ないことを考えてしまうときは料理に限る。
日が変わる頃、AZさんがTwitterで渾身の浜口浜村のイラストをアップされてまたおいおい泣く。



残されたものが、楽しかった思い出を語り合うことでしか、失った悲しみを消すことはできない。昔『わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)』のアナグマさんにそう教わっていた。AZさんのイラストを見て、色んな人が浜口浜村のあのネタがこのネタがと言い合っているその姿がそれなんだと思った。そのままこたつで寝てしまう。


23日水曜日。6時半ごろ一度起きるが二度寝して10時ごろ起きる。トーストにクリームチーズとリンゴのキャラメル煮を載せたものを食べて、お風呂に入って出かける。西新宿でLさんの送別会ランチ。後半はもっぱらはたはたさんと喋る。まだこの熱量で自分が話せることにほっとするほどいろんなことを話す。
4、5年くらい前に、「K-PROで戦えたら賞レースでも戦えるんだ」と言う機運がぐわぁっと高まって、今年、浜浜とザンゼンジとS×Lの解散により「K-PROでメインを張っていても続けられないんだ」と言う現実が突きつけられた。しかし考えてみると、「戦えるんだ」と言う意識が芽生えてからまだそんなもんかと言う気もする。私はここ6年のことしか知らないからもっとずっと前からそうだったような気がしていた。
この絶望への対処法は、そりゃ誰も知らないよなと思う。こないだの語らせろで、K-PRO以前と以後でライブシーンの歴史は変わったと言われていた。誰もこの先を見たことがないんだもの。
それでも私が見たいと思うライブがほとんどK-PROさんなことは変わりはない。今ちょっと元気出ないけど、まだ世に出ていない人に勝手に期待して勝手に失望するのがほんとうに滑稽だと言うことはわかっているけど、でも、その場で見られるものの先にあるものまで見たい、それが見られると言う期待がなければ、朝からずっと喰い気味に仕事して電車賃かけてライブ行って電車賃かけて帰って夕飯も食べず睡眠時間削ってまた仕事行ってなんて、少なくとも私はできない。機械的に5分笑いたいだけならそれこそyoutubeでイケメンがパスタ食べるのを見……はしないな。それは見ない。まぁでもはやく帰っておいしくご飯食べてこたつで本読んで寝ると言う誘惑を振り切ってまでライブに行くには、やっぱり好きだとか期待だとか、芸人さんから見たら邪魔くさいような思い入れもないと、足を動かせない。実際今は元気ないから足が動かない。
この日みんなと別れた時間はまだエイトライブにもキラーチューンにも間にあったのだけど、結局伊勢丹紀伊國屋を見て帰った。紀伊國屋書店新宿本店の『桜前線開架宣言』の大展開ぶりすごかった。3、4段面出し陳列して、関連書をどわーっと平積み。担当の梅崎氏の気合いが伝わる。新宿本店限定のペーパーも梅崎氏が執筆していた。
最寄りのスーパーで半額になっていたお刺身を買って、マグロの赤身でユッケ風を作る。こたつで『桜前線開架宣言』を読んでいたら寝てしまって2時半ごろ起きてお風呂に入る。キラーチューンが全編撮影OKだったと知って行けば良かったナァと少し思って4時ごろまた寝た。案の定1時間近く寝坊した。