世界で一番幸福なオタク

DARLING HONEY SOLO LIVE 2014
Trainspotting
11/8 14:00 19:00
11/9 14:00
下北沢 小劇場楽園

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漫才! 高田馬場


去年「漫才!高田馬場」で名を上げたふたりだけど、単独を見て、やっぱりコント師もといコントデュオなんだなと思った。UK漫才と高田馬場で、立ち位置が逆だったのだ。初めて気づいた。今までの月笑ではどうだったのか覚えてない。ショートUKとショートトレインの時も逆だった。
ショートUKと高田馬場は、吉川・長嶋の並び。
ショートトレインとUK漫才は、長嶋・吉川の並び。
漫才師なら立ち位置が逆というのはあり得ない。
そもそもあの会場、漫才師だったらとんでもなくやりづらいに違いない。真っ正面には客席がない。あんな劇場初めて見た。最初階段から降りていったとき、対角線に鏡が貼られているのかと思った(小劇場楽園劇場平面図)。


もうひとつコントデュオだなぁと思ったのが、暗転中の美しさ。立ち位置について完全に暗転して明転するまでのわずかな間と、ネタが終わって暗転してから、移動のための薄い照明がつくまでのわずかな間。その間ネタの最初と最後のポーズをとったままぴたりと動かない。全てがコントなのだと思った。靴までお揃いだったことも、揃いのスーツも、小道具の度が入った眼鏡も、爪の先まで神経の行き渡った正方形の箱の中のコント。


Trainspotting」というネタタイトルが出た時、おおこれがアルバムタイトル曲か、と、てっきり大ネタが来ると思って身構えた。その中身が「ショートUK」「ショートトレイン」そして「ショートUKトレイン」で、拍子抜けすると同時にやっぱりこのふたりの対外感覚はすごいと思った。一番シングルカットしやすいのをタイトル曲に持ってきた。
始まってみたら、拍子抜けしたことを即座に恥じる見事なパッケージで、特に最後のショートUKトレインのたたみかけのすごさと受けっぷり。鉄道じゃねえか、UKじゃねえかとどんどん沸かせるふたりは、どんなに混ぜても決して濁らず美しいマーブル模様を作る鮮やかなふたつの色だった。


鉄道とUKだけじゃない。眼鏡も、野球も、ダーリンハニーの全部入り。「右脳左脳」はフェスで、「TAXI」はサンプリングなんだと思う。ほんとうにアルバムを聞かせるように事を運んで、最後に漫才の形を2つもってくる(しかもひとつはエンドロールの後という)構成のうまさ。そう言えばCDもバイナルも正方形だ。


感心もしたけれど、見終わったときにはそれを上回るほどの幸福感が胸を満たしていた。誰かが誰かを大切にしているところを見るのはほんとうに良いものだ。これを見にライブに行っているんだと思う。


オタクをやっていて一番しんどいのは、自分にとって大事なものを、他人から粗末にされる事だと思う。
趣味を同じくする人は、同じ物に価値を認めているから当然そんな哀しいことは起こらない(ただ、同じものを見ているが故に衝突が起こりやすくはある)。
内容を、理解されなくても良いのだ。「自分にとってそれが唯一無二の無上の価値のあるものだ」とだけ、わかってもらえたらいい。
本当のことを言うと、理解されないまま、受け入れてもらえるのがいちばん嬉しい。「趣味の話が出来る」といういわばメリットなしに、違うものを見ていても、その人だから話したい、親しくしたいと思い思われることは理想だけど希有なことだ。
ダーリンハニーの2人は学校の同級生だったけれど、長嶋さんはしばらく吉川さんが鉄オタだと知らなかったそうだ。ネクラライブでそう言っていた。コンビを組んだきっかけは、長嶋さんがバンドで文化祭に出ようとしたら出られなかったので、見返すためにお笑いのライブをやったからだとか。
それで今に到るまで、「鉄オタと組んで鉄道のネタをやろう」とか、「UKオタクは他にいないからこれを推そう」とか言う打算が一切ない。ただ、そこに吉川さんがいて、長嶋さんがいて、鉄道が好きだと全力で言う人に、UKが好きだと全力で言う人が沿う。同時に逆も。そこには一切の必然がない。たまたまだ全部。でも吉川さんと長嶋さんという代替の効かない2人がまずいて、それで全部が決まる。例えば吉川さんが釣り好きだったら釣りが好きだと言う吉川さんに、長嶋さんが沿っていただけのことだろう。それが容易に想像できる。


吉川さんは長嶋さんの言っていることの全部を、長嶋さんは吉川さんの言っていることの全部を、理解しているわけではないと思う。でも、受け入れている。
ひとりずつが、とんでもない強度でそれぞれに好きなものを持っていて、それを全く矯めることのないままお互いに寄り添っている。
受け入れて、互いに沿って、までならままある。それで終わらずネタを作り上げて、それを人に見せて、笑わせている。
これはオタクの最も幸福な形のひとつなんじゃないか。


すごいなと思ったのが、NMTVのPV(Coldplayの完コピ)明けの会話を聞いたとき。

吉川:恥ずかしかったでしょ?
長嶋:ちょー恥ずかしかった

そして2人で大爆笑していた。いや恥ずかしかったんかい! だって自分でやりたいって言って、フルコーラスやりきってたじゃん! ノリノリだと思うじゃん! あれを恥ずかしかったと見抜く吉川さんもすごいし、衒いなく認める長嶋さんもすごい。あんなことやった後で、お互いに馬鹿にするでも見栄を張るでもないふたりに、なんか途方もないものを感じた。


開演10分前の諸注意が英語で、和訳を言うのかなと思って待ったら言わなかった。それで笑ってしまった。これ笑わそうと思ってやってないんだろうナァと思ったら、全編そうだった。笑わせようとかよく見せようとかより、ただただ、美意識とこだわりをいちばんに持ってこられたら、こっちはもう笑うしかなかった。


最後の挨拶も終わって暗転したとき、舞台奥の方にたくさん張ってあった蓄光のバミリが光っていて、アリーナで光るサイリウムのように見えた。それをスタンド席から見下ろしているのだと思った。そのくらい広いところで大きなものを見たような気がしていた。