8ピースなのは知ってる

昨日知ったんだけど、ご当人からの言葉って言うのは、もうびっくりするくらい腑に落ちるというか、まったく遠方の縁もゆかりもない自分のこころを整理して方向づけるのに、絶大なるちからを発揮するんですね。「ふたりになったのを見るのは無理かも……」と思ってたのに、「次の形もいちどはちゃんと見に行こう」とまで変わった。
エイトも、直接、はっきりした言葉をきけたら、ここまでくたびれ果てる事態にはならなかったんだろうな。
はっきりと、自分の言葉を話せないアイドルと言う立場の人を好きになったのだから、こう言うのは本末転倒なのかもしれないけれど。


で、唐突かついまさらに「パズル」のこと(曲の方ね)。
以下事務所の悪口を含んでます。嫌な気分になる方もいるかと思うので隠します。今とても明るい気分で、それを害したくないという方は読まれない方が良いかと思います。


「パズル」、好きな曲です。大阪かぶれとしても、久々にエイトが大阪の歌を歌ってくれて嬉しい。なにより、最後に「東京」が出てくるところが良い。
成田美名子著『NATURAL』に印象的な科白があります。「ふるさとを離れたことがある人とない人では、寂しさの種類がどこか違う気がする」。記憶頼りなんで言い回しは違うと思いますが。
今のエイトは、「出稼ぎ」みたいな立場で、大阪の人だけど、なんというか「更生したヤンキー」みたいな地元密着の青年ではなくなってしまった。完璧に「離れた」わけではないけれど、ふるさとから遠い東京で働く今の彼らは、「F.T.O」の「親の代から岸和田育ち」の彼とは違ってしまった。そんな彼らが今歌うのにぴったりの、それでも「大阪」の歌が作ってもらえてうれしい。
私はふるさとを離れたことがない人なので、ふるさとを離れたことがある人の「寂しさ」を理解できません。でも、エイトの寂しさはそうなんだろうなぁと思う。憧れる。過去と現在、ふるさとと東京、乖離する自分をゆらゆらと歌うこの曲は、いまのエイトにぴったりです。


ま、もちろん、それ以外に思うことがないわけないんですけどね。


しかし、私はしょーじき「ズッコケ大脱走」の時から収録曲の大部分が「内クン待ち」にしか聞こえなかったんで、直接的なのきたなーとは思っても度合いの問題としか……。それいったら他の曲もそうだと思うんですよ。「君もいるべきステージ」とか。まぁだから聴いて泣いたと言うことはありません。


諦めたわけでは全然無い。帰ってこないなんて言語道断だし、帰って来るにしても待たせすぎだ。でも、私がなにを願おうと、そしてエイトが何を望もうと、事務所は、結局やりたいようにしかやらないと、そこに思考がたどり着いて止まってしまう。つまりは、エイト関係なくもう事務所に絶望しすぎました。
事務所はデビューさせたい人をデビューさせ、解雇したい人を解雇して、組ませたい人を組ませて、売りたい人を売ってきた。だからこの先、内クンをエイトに戻したいなーと思ったらそのときファンやエイトがどう思ってようと戻すんだと思ってます。
あの事務所の商品である彼らを好きになったんだから、しょうがなく従えと言われればそれまでですが、それにしたってあの事務所は客商売のくせに「ファンを幸せにする」という視点が欠けすぎている。つまりは、「客」はテレビ局や広告代理店なんでしょう。そう思ったら、お金を払いながらここまで粗末にされる理由がやっとわかった。
でも、自分を粗末にする人を大切にするのってめちゃくちゃむつかしい。私はそこまで人間ができていない。それとなんべんも言うけど私が好きなのはアイドルと社長だけなんだってば。


あと単純に、エスパすんのってものっそい体力を遣うのね。無意識にやってたときは気付かなかったけど、もうとんでもなく消耗する。だからもう暗号の送り合いは良いや。私は。手を貸して欲しいなら具体的な方法を示してくれ。なんだってするから。
年明けまで、深刻な顔していつもめそめそしてどっかで悲しんでないと、内クンが帰ってきたとき喜んじゃいけないと、どっかで思っていた。この年になって「傷」とか言うのもアレですが、「私はこんなに傷つきました」って振りかざさないと喜ぶ資格が得られないと思っていたのかも知れない。
そんなことないよなぁ。ただ笑ってたって、その前日ファンになったとしたって、チケット代きちんと払って入場してれば、内クン復帰コンに立ち会って喜ぶ権利は、誰にだってあるんだもの。


結論として「パズル」を生で聴くのが楽しみです。