溜口スーパーSPRINGショー〜ASH&D殺人事件〜
2024/4/27(土)
武蔵野公会堂 13:00
今週の土日に「溜口スーパーSUMMERショー」がある。
私は去年の4月27日に突然「溜口スーパーSPRINGショー」に行って、深く感銘を受けて帰ってきた。
でもそのことを、何も書き残していない。初回でネタバレできなかったというのもあるのだが、もっと簡単な理由があって、書き残せるものが何もなかったのである。ものすごい感銘を受けた。信じられないくらい楽しかった。でも、書いて残したい内容がひとっっっっっっつもない。
ナタリーがレポートを上げてくれているが、確かにここに書かれている通りのものを見たのだが、それであの場で過ごした時間を何か説明できているかといえばできていない。誰にもそんなことはできないと思う。
漫画でもドラマでも物語を重視して見る方だが、SPRINGショーの物語というかあらすじって、人が何人か死んで黒幕が大竹まことだった、である。物語とは。
本当に何も残らないし、なんの教訓もないし、ここから何かを学んだとか言う方が野暮なのはわかってるのだけど、あれからひとつ、どのライブを見る時も思うことがあって、それは確実に「溜口スーパーSPRINGショー」を経たからだとわかる。
それは、「チケット代って、きっちり上演時間分の楽しさの代金なのだな」ということだ。
私が最近行っているクローズドのヒーローショーの入場料は、ショー後のチェキ会に参加する権利でもある。そんでそのチェキ会が自由解散なので、公演時間がいつまでというのがすごく曖昧なのである。
あと、ここ数年行きたいイベントがほとんど福岡であるものだから、イベントに行く=旅行でもあるので、正直、「旅行が楽しかった」と「イベントが楽しかった」を分けて考えるのがほぼ不可能だ。どんなにライブが良くても、その後行ったご飯屋さんで嫌な思いをしたらライブごと嫌な思い出になったりするじゃないですか。私のイベントは今短くても一泊二日、長いと三泊四日なので、「全部まるっとパーフェクトに楽しかった」を求めるのは無理だし体に良くない。
そんなふうに、ライブに求めることがなんかぐちゃぐちゃになってたんだなって、「溜口スーパーSPRINGショー」を見て思った。チケット代を払って劇場に入った。そこにいる間めちゃくちゃ楽しかった。それ以上何を求めるものがあろうか。あまりにも何も残らなすぎて、逆にそのことがはっきりわかった。
私はうっかり学びを得てしまったけど、そんなのは余録だし、なんなら明日からの生きる活力とかも、別に貰わなくていいのだと。
前売りを買っていくからには、もちろんその代金分の信頼を持って訪れる。
でも、お笑いのライブに行く時はネタの面白さが、音楽のライブに行く時は楽曲の良さが、あらかじめ担保されている。
じゃあ「溜口スーパーショー」は何に対しての信頼が足を運ばせるのだろうと考えると、それはやっぱり「溜口さんが座長であること」なのだと思う。
一回見ただけの私にもわかった。来た人が席についているその時間の楽しさだけを、絶対に保証する人が座長なのだと。
コンビの相方と出ているのに、先輩・後輩の関係性がある人たちに囲まれているのに、あの場で溜口さんは唯一無二の座長だった。
今も思い出す、光る紙吹雪の中、オスカルの格好で朗々と歌い上げる座長の姿を。
何を見たんだろうなほんとに。