はじまったあと

関ジャニ’s エイターテインメントGR8EST
9/9(日)東京ドーム 18:30


以下ネタバレを含むのでこれから見る人は読まないでください。


6人のエイトを眼にして最初に思ったのは、「やっぱり2人減るとめっちゃ少ないな!」だった。
しかし今「6人のエイト」と書いてみても、なんかピンと来ない。あそこにいたのは確かに関ジャニ∞で、6人だったのだから、6人のエイトとしか言いようが無いのだけど、どうもしっくりこない。
「7人のエイト」にはそんな違和感を持たなかったんだけど、あれはやっぱり「いつか8人に戻るものが今は7人のエイト」って意味で使っていたからなのかなーと今になって思う。
コンサート中に、モニタに映る大倉さんを何度もすばるさんと見間違えた。たまに裕さんも。似てると思ったこと無いんですけどね。やっぱり私の頭に「エイトコンにはすばるさんがいるもの」って前提があるのだなあと思った。
とはいえここ十年ほどまともに見てないし、こないだエイトコンに通ってたころのお友達と会ってご飯食べたときの会話が「まぁすばるだからねぇ」「すばるですもんねぇ」だったあたりでお察しの通り、私はすばるさんがエイトを抜けてすごくさびしいとか悲しいとか思っていたわけではない。エイトがぜんぜん別物になるなぁと思っていただけだ。そんな私でもこんなに見間違えるくらい、やっぱり大きい存在だったんだなぁと実感した。

私は6人のエイトについてもすばるさんについても語るを得ない。なので以前のように裕さんの話ばかりするんだけど、こうしてたまーにライブで見ると、その度に私が一番見てた頃と比べてほんっと別人みたいだなって思う。でも、私が昔の裕さん見ててちゃんとしたらもっとこうできるでしょー!と勝手に思っていたことを今の裕さんは全部やっているのでやっぱりほんとにすごい人だし、そんなすごい人だったからそのときはできてなくても私はあんなに夢中だったんだろうなぁとしみじみする。
今でも思い出す、松竹のクリパで曲の途中で完全にサボってセットに腰掛けてた裕さんを村上さんが迎えにいき、それに気づいた裕さんが特に絡むでもなくすーっと立ち上がって避けて行ったあの姿を。ほんとうにやる気なかったし機嫌次第でぜんぜん仕上がり違うしまじではずれの回とかあったしそれなのにほんとーに好きだったなぁ。横山裕ほど完璧なアイドルになれる人はいないと思ってた。
そんなに好きだったけど十数年前の私に「裕さんが練習してトランペット吹けるようになってるよ」といってもぜんぜん信じないだろう。正直言って、2008年時点で「すばるさんがエイトから抜ける」と「裕さんがトランペット吹けるようになる」では、後者のほうが想像の域外だった。昔、エイトがバンドやり始めたころいつも手持ち無沙汰にボンゴ叩いてる裕さんに似合う楽器は何かって話したことがあった。私は絶対サックスがかっこいいよといったのだけど、その場にいた友達全員が「あんな音を出すだけでも大変な楽器を横山さんが練習するわけが無い」と却下した。私もまったくもってそうだなと思った。

まぁでもエイトに夢中だったころの私に言って一番信用されないことは、「8人に戻らないのが決まってエイトを見るのを止める」だろう。ほんとうに8人に戻ると思っていたし、ほんとうに一生ついていくと思っていた。でもそう思って見ていた数年を無駄だとは思わないし、感じた楽しさも本物だった。本物だったからこそ、見続けて憎んで思い出まで嫌いになりたくなくて無理やり見るのを止めた。
「ひとつしかない不自由な未来と違って、簡単に過去は変わる」が、私がものを考えるときの基本姿勢のひとつなのだけど、そこで見るのを止めたから、私は2009年からのエイトを全部見逃したけど、今こうやって昔のことを思い出しながらその頃とは全然別の視点で楽しく今のエイトを見ることができている。まさかこんなことになるとは思わなかった。
でも、だからこそ、いつどんなことが起こって楽しかったこともうれしかったことも悲しかったことも真逆にひっくり返ってしまうかわからないから、コンサートで感じたあの場だけの「楽しい!」という思いが確かにあったと残しておきたくて、私はあんなにブログを書いていたんだろうし今回もやっぱり書いておきたい。
時間はとめられない。どんなに楽しいコンサートも終わってしまうし、事実すらいつか変わってしまっても、そのときの自分自身の感情だけは書き留めておくことはできる。

昨日はすごく楽しいコンサートだった。前半のバンドのところからとてもノリが良かったし、VTRが内容も分量もばっちりだった! 大倉さんの持ち込み企画の動画がヨコヒナ回で、まじでありがとう大倉さん今度鳥貴族行きます!って心底思った(帰りに飯田橋の鳥貴族行ったら満員だった)。まさかヨコヒナに「#ツンデレ夫婦」ってハッシュタグがつく日が来るとはね……。
最近の曲にとんと疎い私でも良く知っている曲が多くて、私は今でもヘブンリを聞くと内君がいたころの歌割を思い出してパブロフの犬のように泣いてしまうのだけど、今回のアレンジは村上さんの鍵盤と裕さんのトランペットで始まるという! ぜんぜん新しいすごく素敵なアレンジで、久々に何も乗っかっていないまっさらなヘブンリがやっぱりいい曲だなぁと思えた。
大阪ロマネスクは、最後だけ全員が振りをやってるのを見て、曲ができた当初、大倉さんだけ手の向きを間違えていたことをまた思い出した。みんなこの曲では自分の担当だけを双眼鏡で見ていたから、誰も間違いに気づかなかったのがすごく素敵なことだったとずっと思っている。
私はヘブンリ以外の歌割はあんまりちゃんと覚えていないのだけど、新曲の「ここに」の歌割が他に比べてぶっちぎりでいいな!と感じたので(錦戸さんとやっさんのハモりで始まるあたり)、やっぱり、この体制になってからたくさんのことがすでに考えられて進められているんだととてもわかりやすく提示されたようだった。

本編最後、ステージの奥のところに入って戸が閉まるのを待っているときに、6人ともめちゃくちゃ笑ってて、お互いにお互い見て笑っちゃって、あれ見たとき、ああ、ほんとうに手の届かないグループになったんだなぁと無性に思った。
私が見ていた頃も、エイトはいつも裏で何かたくらんでいて、肝心なことはファンおいてけぼりだったけど、それでもまだ、エイトとエイトファンの間には共犯関係に近いものがあった、正しくは、あると思わせてくれていた。
でも昨日見たエイトは、それを全部裏で済ませてきて、その上でエンタテイメントを見せていた。そこになお、隠し切れないほど培ったものがこぼれ出たのが、あのお互いを見合っての爆笑だったように思う。
少年漫画でよくある、大きな敵に立ち向かう前に2年くらい修行して一回り大きくなって新章突入!の、突入したあとの姿だった。
漫画で修行の間なんてだらだら描いてたら退屈でアンケートの順位も落ちてしまうからすっとばすのだと理屈はわかっていても、あれはいつも少しさびしい。その間に何があったかは、その後の戦いを通じてしか、読者にはわからない。次の敵が出てきて、それを倒す新しい必殺技を見て、その修行のつらさ過酷さを推し量ることしかできない。
本当のつらさはみせずとも、修行も全部見せるのが、一緒に戦ってくださいと声に出して言うのが私が見ていた頃のエイトの戦い方だった。
今のエイトは、自分たちは乗り越えるからついてきてくれ、と、その姿で示してる。私はそう感じた。

ついて行き方にもいろいろあると思う。全て我がこととして受け止めるのか、少し離れてみるのか、それはファンひとりひとり全部違う。
私にはどの距離がいいんだろう。このコンサートがすごく楽しかったから、この十年よりもう少し近づいてみたい気がしているけど、そうすると、思い出す悲しみもありそうだ。
それでもやっぱり、彼らの楽しい姿をまた見たいと思う。誰の人生にも何があるかわからないから。