彼の武器彼女の武器

5/5 北沢タウンホール
15:00 相席スタート単独ライブ「ソトの気分」
17:30 相席ナイトクラブ


5月5日祝日、晴れ。相席スタート北沢タウンホールを1日借り切るこの佳き日に、私は下北沢の飲食店で段差を踏み外して左足をちょっとひどめに捻挫した。翌週、あまりにもわかりやすくびっこを引いている私を見かねて、同僚が登山用のストックを貸してくれた。
使ってみたらこれがもう、ああ、杖と言うのは必要があって開発されたんだなぁとしみじみ実感する有用性、有能さ。役にしかたたない。痛めていない方の右足が疲労と筋肉痛でたいへんなことになっていたのがものすごく軽減した。
不思議なもので、自分が杖をついて歩いていると、同じように杖をついている人が急に目につく。大方はお年寄りだけど、私より若い人も、松葉杖をついている人もいる。駅なんか、こんなに杖ついてる人いたのかと驚くくらいにいる。
私のようなニワカも長年使っているベテランもいるであろう、急に視界にあらわれた杖をついている人は、老若男女の別なく一人残らず「強そう」に見えた。


杖をついていると言うことは、どこかしらに不自由があるはずなのに、強そうに見える。これと同じような「強そう」を、詳細はわからないが形状的になにかの楽器を入れているであろうケースをしょっている人を電車で見かけたときも感じる。たぶんあのでっかいラッパはチューバだ、とか、どう見てもコントラバスだ、とか、あんな細長いリュックがあるのか、クラリネットかな、とか。ギターはたくさんのひとが携えては挫折するのを知ってるからかあまり思わないのだけど。
杖をついている人と、楽器をしょっている人。私はどっちも強そうだと思う。腕力ではなく、その、自分を準備している感じが強さに見える。
杖をついている人が杖をつくまでには、自分の体の痛みを分析し、必要な道具を考え、買いに行くと言う過程がある。杖をついている人は、自分には杖が必要だと言うことを知っている。その自分を知っている具合が強さだ。
楽器をしょっている人は、その楽器が自分にとって数ある楽器の中でいちばん、自分を輝かせるもの、楽しませるもの、表現できるものだと知っている。その知っている具合がやっぱり強さだ。
私のように反省なくのんべんだらりと年だけ重ねた人間は、内省し、欠けているものを自覚し、準備する強さに、軽く圧倒されてしまう。


だから相席スタートが強そうに見える。「夫婦漫才」と言うジャンルに属さないのに男女でコンビを組んでいる。それだけでもう、なんか準備してそうな感じに前のめりになってしまう。「同性とコンビ組む方が普通」と言うのはもう偏見なのかもしれないけれど、やっぱり男女コンビと言うだけで、なんでわざわざこの人とこの人が組んだんだろう?と興味を持ってしまう。
相席スタートが組むきっかけになったテレビ番組を見ていた。だから、あの時点でここまで全部見えていたわけではないんだろうとは思う。
でも今、ケイさんが山添さんを、山添さんがケイさんを、携えていると言うことは、結成時の動機とかビジョンとかそんなことを飛び越えてあまりにも強い。ケイさんのケイさんたる部分を山添さんが引き出しひれ伏すこと、山添さんの山添さんたる部分がケイさんによって詳らかにされ分析されること。長所も短所も知り尽くした自分自身を芸人として準備するそのために、誰よりも適任である人を隣に置いている。ただ圧倒される。自分にあまりにもぴったりの武器を、考え、探し、携える内省と探索と幸運に。
相席スタートは自分用の武器をただ携えるだけでなく。絶えず磨いて鍛え続けている。それが今回の単独1本目の漫才で分かった。ケイさんを野球に例えるそれは、野球=男性の好きなスポーツと言うこちらの思い込みも利用して、男女コンビである相席スタートの特色と魅力をこれ以上なく客席にぶつけて満たした。プレゼンと言うにはパンチがありすぎたあの漫才1本だけでも、もうチケット代は回収できたと思ったほど素晴らしいネタだった。


回を重ねるごと破壊力を増すとはいえ、相席スタートの攻めっぷりは今までの単独でもずっと見てきた。今回の単独では、初めて「守」の部分の妙を見たような気がした。
杖をついて歩いてみて初めて、新宿駅東口のバリアフリーのなって無さがわかるように、何事もわが身に置き換えて考えるのは容易でない。そこを補うために想像力と言うものが装備されているのだけど、昨今行きすぎた想像力は世間を混乱させるばかりだ。○○な人はこれを見て傷つくはずだ、やめさせないと、と○○でない人が行動を起こして、その実○○な人は何とも思ってなかったりする。世間はどんどん窮屈になるし、賢いつもりの人はいつか足元をすくわれる。なんにもいいことがない暴走する想像力。
時に相席スタートは漫才の最中、妄想が膨らみきったところで相方にパチンと針を刺される。空気の抜けた浮き輪のように、ぷしゅーっとしぼんでいく様は滑稽で、笑いながら、見ているこちらは自分の視点がいかに貧弱なものだったのかを知る。
男女雇用機会均等法がどんなに浸透したって、男と女のものの考え方が全く同じになる訳じゃない。差別でも区別でもなく、ただ単に性差としか言いようがない異なる視点を身の内に置く相席スタートは、どんなに高く羽ばたいても浮つくことのない、頑丈な碇を持っている。流されないことは、今もうそれだけで最先端じゃないか。


相席スタートは、お互いがお互いにとって最強の武器だと言うことに疑いはない。でもその武器が、実はよろめく足元を支える杖であってもかまわない。ただお互いを携えたときに強そうに見えたら、圧倒してくれたら実際なんてどうでもいい。今回の単独で、相席スタートは過去最高に強そうだった。