幻の瓦礫

すいているのに相席3.21
3/21 ルミネtheよしもと 19:30


たまに皮膚の一部が妙に敏感というか、触ると普段と違う感覚を覚えてびくっとなる時がある。おもしろくて何度か触ってみるんだけど、そのうち作業しててもそこが触れる度にびくっとなるのが面倒くさくなってきて、なるべく触れないようにする。たいてい一晩寝ると治る。
心か、この世のどこかにか、そういう場所がある。そこは鍛えても傷ついても頑丈にならなくて、いつまでたっても毎度びくっとしてしまう。大人になって生活しているとそこに触れたり向き合ったりする体力も気力も無くなるので、そこはなるべく見ないようにして過ごす。そうしないと生活に支障を来すから。
見ないことに慣れて、存在も忘れそうになると、逆に子供の頃はどうやってやり過ごしていたんだろうと思う。今よりはるかに狭い世界で、一度の失敗でもう人生終わったと思うこともしばしばだった。触れる度にびくっとなるあの場所と、どう折り合っていたのか。


「すいているのに相席3.21」を見てきた。見ている間中、あの敏感になった皮膚の一部に触れる感覚を思い出していた。そしてその場所を、箱のような檻のようなにかが覆っているイメージが浮かんでいた。


「新婚さんいらっしゃい」、美味しんぼの構図、ドリフの雷様、ラピュタのあの言葉、狸がお腹を叩くこと、蝋で作った羽が溶けること、RPGのイベントフラグ、電波少年アイマスクとヘッドホン、オンバトの玉を転がすこと。


全てはシステムとして、子供の頃からそう言うものだと決まっていた。そしてそのシステムをみんなが知っていた。
「世界はそのようになっている」と頭から信じられることは安心だった。あの敏感な場所を守っていた檻はそのシステムだったのだと思う。もう完成されたシステムがあってみんながそれを知っていると言うことは、全てこの世界をひとりで最初から引き受けなくて良いのだと安心できた。


システムが安心などというと、独裁者に真っ先に騙されそうな人だけど、東日本大震災の時、「輪番停電」と言うシステムがあると知って少し安心した。今考えたのではなく、すでにそう言うシステムがあるのか、ならばこれは未曽有の災害ではあっても全く想定外の天変地異ではないんだ、こう言うことがあると想定した人が以前にいたんだ。


でも年を重ねると、みんな知ってるシステムが完璧ではない……と言うか結構ツッコミどころがあるなと気づいてくる。その時は大真面目に作られたものが、斜めから見るとネタとしか思えなかったりする。
この世を形作り、守られていると思っていたシステムは瓦解し、「みんなが知っている」だけが残る*1


「すいているのに相席3.21」を見ている時間は、その「みんなが知っている」を感じ続ける時間だった。コントで使われるシステムをもう頭から信じることは出来ないけれど、かつてそれがあったことをみんなが知っている、それを信じていたことをみんなが覚えている。
今胸を痛めてSEKAI NO OWARIを聴いている若者達にも、10年後きっとこの名状しがたい感覚が訪れる。
共感とか共有とか郷愁ほどべたっとしていない。哀しいとか寂しいとかほど痛切でない。ただ敏感な部分に触れるような、ずっと泣きたいような、ちょうど良い感情の名前が思い浮かばない。
事故か何かで体の一部を失った時、その失った箇所が痛むという幻肢痛*2に似てるような気がした。でもあの敏感な場所は忘れようとして忘れているだけで確かにまだある。まだあるあの場所に、もうなくなったシステムの見えない瓦礫が絶えず降ってきて、それでこんなにさわさわとした感覚を覚えているんだと思った。

そしてずっと可笑しかった。最後のコント「ボール」の最後のシーン、笑うのか泣くのか顔の筋肉が迷ったようで、頬が数回痙攣した。

どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない

《黄金の魚》1923 谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』所収


どのコントもクスクスと笑う内に、ひとつぶの哀しみが溶けることなく結晶のように光っていた。
彼らはそれをユーモアと呼んでいるのかしら。可笑しくて可笑しくてやがて哀しい。
私はまだユーモアと言う言葉をつかみきれていない。言葉に写し取ることも感情として成立させることもなく、ただ皮膚の敏感な部分に触れるような、感覚だけをずっと感じていた。


最後になってしまったけど、パーケンさんは、あの人はなんなのだろうな。哀しさと痛々しさと寂しさがないまぜになって、皮膚のぴったり内側まで充ち満ちているように見えた。でもその皮の袋がパーケンさんの形をとったとき、どうしようもなく可笑しい。
すごい喜劇人なんだな。


夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった船を建てる 1 (ぶーけコミックス)

*1:もうないシステムが瓦解するイメージは『船を建てる』のミシュランザウルスの骨が崩れてくるところを思い浮かべていたのだけど、今見たらそのエピソードのタイトルが「Vol.7 世界の終わり」だった。なんたる偶然。

*2:これを知ったのも『船を建てる』によってだった