年齢学序説

めちゃめちゃおもしろかった。
書かれている内容については、長い長い漫談というか、与太話というか、なんというか読んでためになるようなものではないのだけど、この全力の与太話をこの筆致でこの分量をこの熱量で書き切ったというのがひたすらおもしろくて、そのおもしろさを堪能するのに、内容のなさがちょうどいいというか、とにかくこの与太話(3回目)にこんなに上手い文章必要だったかっていうのがもうずっとおもしろい。
9ページ目にして、「羨望と期待という感情は、鋭利な二枚刃の上にしか釣り合わない。期待に傾けば失望となり、羨望に傾けば嫉妬に変わるのだ。」ですもん。私はここで居住まいを正しました。ちなみにこれは、荒井注が抜けた後の志村けんを指しての文章。抑えた筆致なのに熱量がダイレクトに伝わってくるのも変わってて、プロレスの項の筆の乗り方と言ったらすごかった。
小説みたいにストーリーがない分、そして書かれている内容があってなきが如しである分、ひたすらこの文章のうまさを堪能できる、脳を通さずとも文字を追うことがそのまま快感であるような、変わった、けれど最高に楽しい読書だった。

そして内容に関係ないことで面白かったことがもう一つあって、読んでいる間に生じた「なんで大吉さんこんなに文章うまいんだろう」「なんでこんなうまいのに、一冊しか単著が出てないんだろう?」という内容と全然関係ない問いに対する答えが、ちゃんとこの本の中にあったということ。
終章である第十章で、自身の26歳が語られるのだけど、大吉さんはちょうどその時謹慎をしていた。そしてインドにいた。
紆余曲折あってインドで活字に飢えた26歳の大吉さんは、自分が読むものを作るために、読み物として成立する日記を書いた。

明日の自分が笑えるように、来週の自分が喜べるように、来月の自分が泣けるように、そして帰国後の自分が手にして誇れるように、

ここのくだりが、ちょうど昨日考えていた日記というものについての思考と重なって、しみじみしてしまった。こういう、かつて書かれていつか開かれるページに、今の自分が必要としていることが書かれているというのが、読書の醍醐味だなぁと思う。
思えば、ジャニオタをやめた時も、お笑いライブに行かなくなった時も、「これからは本を読んで暮らそう」と思っていた。Twitterを遠ざけてもやっぱり同じことを思うんだな私は。

話が逸れた。このはてなに華大さんのブログがあるのも知っていたので、17年前の記事からちょっとずつ読み始めているのだけど、ちょうどこないだ初めて大吉さんが出てきて、いきなり文章上手いからそこでもうびっくりはしていた。昔から書く仕事でもしてたのかなぁと思ったくらいだったのだけど、若かりし日の日記に培われたものならば、そりゃはてな「ダイアリー」はお手のものだったのかなと思う。

福岡恋しさにテレビのレギュラーをなんとなく見ているうちに、ご本人たちの魅力に気づいた程度のうっすい華大ファンなのだけど、見れば見るほど、大吉さんてすごいたくさん本出してそうなのに一冊しか出してないし、すごい個性的な脇役で役者やってそうなのにやってないし、マルチに才能がある芸人筆頭みたいな風貌なのに(そして実際才覚もありそうなのに)なんか欲のない人だなぁと思っていた。
でも全く野心がなくてあの位置に行けるわけもないし、かといって華丸さんがその分ガツガツしてるわけでもないし、不思議な人、不思議なコンビだなぁと思っていたのだけど、あとがきに書かれた「自分が150歳ぐらいまで生きる人間だと思うようにしている」という一文で、めちゃくちゃ腑に落ちてしまった。
あーーー、そうか、150まで生きるならあとまだ100年くらいあるし、今焦って次の著作出したりしなくてもいいのか──でもいつかは出るかもしれないよね100年もあるもの──と、すごい、すごい納得した……。
たまむすびの後ラジオやるつもりがないと言うのも、もったいなさすぎるどっかの局で冠やれるでしょ絶対と思ってたけど、やれるやれないとかじゃないのか。欲がないわけじゃない、でも今じゃなくていい、先は長い……。

私も中年になって、多少嫌な事があっても「まぁ人生長いんだから麦茶ひっくり返すこともあるわよね」とか「まぁ人生長いんだから、128円のレタス買った後別のスーパーで98円の見つけることもあるわよね」とかで流せるようになってきていたんだけど、それは「ここまで結構長かった」という実感に基づいたものであって、「この先100年以上ある」という視点に立ったことはなかった。確かに、ネガティブな出来事をフォローするには前者でいいけれど、ここから良いことがあるかもしれないと思うには、後者の方がいいかもしれない。

与太話と言いつつ、普段あまりやらない、人生を長い数直線で考えるような思考に行き着いているので、年齢学と言うのもあながち机上の空論ではないのかもしれない、とか騙されているんだけど。
そういえば、裏表紙の内容解説のところに「端正な顔をした詐話師・大吉先生」と書かれていたので、私はもう「好みのタイプ:ペテン師」って言う事にしようと思った。
考えてみればこの本のタイトルからしてこの長さで「序説」って、人を食っているんだよな。私は本気の熱量でホラを吹く人が好きだよ。