M-1 2021

ほんとリバティみたいだよなってちょっと笑った後に、今はもうリバティがないことに気づいて、急にまぼろしのように思った。お笑いファンが高熱でうかされた時に見る夢みたいな大会を見に、もうない劇場に行くチャンピオンってそれだけでもう漫才のネタみたいだと思った。

ライブに通っていた頃は、賞レースのたびに、好きなコンビが劇場ほどには受けない、評価されないことばかりだった。やっとの思いで決勝に出たのに売れなくて、目に見えてやる気を失ったコンビもいた。だから、賞レースが大チャンスなのはわかっていたけど、とてもじゃないけれど楽しめなかったし、もう損しないで帰ってきてくれればそれでいいと思っていたことさえある。
自分がライブに行かなくなれば、気楽に楽しく見られるのだろうと思っていたのだけど、そんなことは全くなく、ライブに行かないで見る賞レースは、審査員の言うことにいちいちめちゃくちゃ腹が立つという思ってもみなかったことになった。
ライブで直に見ていれば、自分の中に確固たる基準ができる。誰がなんと言おうとこの人たちは面白いとか、この人たちが好きだとか。賞レースで認められなくても、自分の中のそれは揺るがないから「見る目がないな」と思えるのだけど、ライブに行っていないとそれがない。なので、審査員の言うことに「なんか違うんじゃない」と思っても反論できない。そうするとどうも私は出力が「怒り」になるらしい。それに気づいたのはM-1ではなくKOCなのだけど、もうリアルタイムで賞レースは見ない方がいいなと思った。

2015年末の解散ラッシュの悲しさを乗り越えられなくて、ライブに通っていた最後らへんの2016年は、ちょうどランジャタイと錦鯉が私の見ていたあたりのライブに出始めた頃だった。だからそんなに何度もはネタを見たことがない。
主に見ていたのは太田プロだから、ブルーにもオレンジにも通っていないし、人力舎主催のライブは行ったことあるけど、バカ爆は多分行ったことないと思う。びーちぶには一回だけ行った。
なので、今回の決勝の他事務所勢について私は外様なのだけど、それこそリバティでバイタスでV-1でミラクルで見た人たちだから応援したい。仇のように思っていた賞レースを、今年ばかりはちゃんと見ようと事前インタビューの動画なんかもほぼ初めて見てみた。

M-1が漫才を競技に、漫才師をアスリートのようにしたという。そう聞くたびに「そうかぁ?」と思っていた。ただおもしろい漫才が勝つという割に、漫才以外の要素が多すぎないかと。
あの出順でほぼ勝敗が決まるシステムをずーっと続けるのもそう思う理由の一つだった。今年モグライダーがトップバッターだったからというより、THE Wを後追いで見て、このシステムなら出順ほぼ関係ないじゃんと思った方が大きい。
せめて全員見てから点数付ければいいのにそうしないのはTVとしての演出だからなのか、その演出が優先されるならそれはもう漫才だけの勝負じゃなくないか。
最近では物語が必要だとか。マヂラブのえみちゃんとの確執みたいなの(よく知らないがそういうのがあったのは知っている)が必要なら、それこそネタと関係ないし、一回決勝行くだけでも大変なのにそこで物語作ってまた戻って来いってハードすぎる。
漫才には仁が必要だけど、くじ運も、出番順も、人生の一部である物語も、全部込みで漫才だというなら、漫才師がなんか間違い起こした時に絶対叩くなよと思う。それなら問題だって芸じゃんか。余談だけど。
ルールを変えろと言いたいわけではなく、ちゃんと見てみようと思ったら、漫才師が優劣を競うのにネタのおもしろさ以外に勝敗を左右する要素が多すぎるように見えるM-1を、私はどう見たらいいか全然わかってない、ということを自覚した。


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この二回戦のインタビュー動画で、芝さんが「M-1グランプリっていうでっかい一本のネタを、6000何組で作ってるっていうふうに考えられるようになった」と言っていた。


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決勝進出が決まった後のこのインタビューでは、「(演者もスタッフも)全員で、今年の一本みたいなのを最後作るんだな、その中で、今年一番強かったボケみたいなとこに当たるやつが優勝するんだろうし、フリになるやつもいるだろうし、蓋開けてみないとわからないけど、それを国民の人全員に、全漫才師で見せるっていう、感覚になりましたね」。誰が優勝するかはわからないけど、全員が本気で優勝を目指すやつでなら、それが作れると。


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そしてこのPVの最後、国崎さんと話す隆さんが、「最高の大会にしような」と言っていた。

賞レースだけど敵対し争うのではなく、みんなで良い大会を作って全国民を楽しませよう。そんな壮大すぎてそれこそ熱出た時の夢みたいなことが現実になるのを、私はライブに行かなくなって5年も経った今年になって目の当たりにした。

モグライダーがトップになった時はやっぱりがっかりした。でも、「みんなで一本のネタを作る」の言葉をそのまま体現するように、素晴らしいトップバッターとしての役割を果たす姿には、そのがっかりも失礼だった。
結果から見るならば、モグライダーがこの大会の先鞭をつけて大好きな錦鯉の優勝へと繋げたとも言えるかもしれない。でも私はもう、漫才師に美しすぎる物語を仮託するのが怖い。だから、有言実行のモグライダーはやっぱりものすごくかっこよかったと言うに留める。
ランジャタイの審査に頭を抱えるお歴々の姿に、ネタと同じくらい笑った。審査員との応酬も含めてTVショーなのだと、あれを全組やる審査員がどれほど大変か。ランジャタイほどの劇薬をもって理解した。
そして優勝した錦鯉が二人とも「ありがとう」と言って終わって、本当に最高の大会になってしまった。

こういう方法があったのか。大会そのものを盛り上げて最高にして国民みんなを楽しませて、みんなでみんなに愛されるという結末が賞レースにあったのか。
私はほんとにわかってなかった。ネタを競うのと、素晴らしい漫才の大会を作ることは、同時進行で行なわれて全然違うものを打ち立てるということを。

優勝発表の後のきらきらしたステージが、ものすごく楽しかったライブのエンディングとそっくりに見えた。眩しいステージの上に面白い人たちがたくさんいて、客席は手を叩いて腹を抱えて笑いながら、この面白い人たちが、ただずっとずっと面白いことを続けられますようにと、ささやかだけど難しいことを願う瞬間が幾度もあった。
それが一番実現に近い形で見られて、そこに大好きだった人たちがいた。最高の大会だった。
これがリバティだったら、シャッターが下りたABCマートの前で、同じライブを見ていた友達とずっと立ち話をしていた。ご飯食べに行くでもなく帰るでもなく、体が冷えるのも構わず延々と話して、次の日の仕事に差し支えるくらい遅い電車で帰った。