色んな事がありすぎて、ひとつのことを悲しみ続けていられない。それは救いなのだろうけど、私は正直、今でも浜口浜村の解散を悲しんでめそめそと暮らしていたい。でももうそれをやっても嘘になってしまう。悲しくなくなったのとは違うけど、まぁ嘘だ。
12月の解散ラッシュの頃、心の地獄を通過する時はいつもそうするように、詩集と歌集を積み上げて読んでいた。前に同じ地獄に来たことのある人の言葉を見つければ、ここに来たのは私が初めてじゃないんだと、少なくとも悲しみに酔う気持ちがなくなるから。
- 作者: 堂園昌彦
- 出版社/メーカー: 港の人
- 発売日: 2013/09/20
- メディア: 単行本
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でも美しいのはわかる。それも、特別な光の当たり方のしている見たことのない美しさだというのはわかる。この美しいものを理解したいと繰り返し読んだのだけど、私の知っている美しさとあまりに違う光で照らされていて、ずっと戸惑うし、なにしろ単語の必然性がわからないので暗記もできなかった。読み返すたびにわかるような気がする歌があったり、やっぱりわからなかったりしていた。
浜口浜村が解散して、浜口さんが芸人を廃業して、そのことで頭がいっぱいの状態でこの歌集を読んだ。そうしたら、信じられないくらいに次々と理解できた。今までなんでそれなんだろうと思っていた静物も感情も、それしかないだろうと思えた。浜口さんのような男の子が、この歌を詠んだのだと言うよりも、浜口さんのような男の子の感情が結晶したらこんな歌になるんじゃないかと思った。いやもうほんとに勝手な想像なんだけど、そう感じてはじめて、この歌集の美しさ以外のものがすとんと入ってきた気がした。
特に浜口さんの事みたいだと思った歌を、「続きを読む」以下に引用した。ほんとはもっとたくさん(40首以上)あったのだけど引用の量を超えてると思ったのでだいぶん減らした。それでも多いんだけど。
浜口さんが再び人前に出るお仕事をしたりしない限り、もうここに何か書いたりすることはないけど、私はたぶんこの先もこの歌集を読む度に浜口さんに会ったような気持ちになって、それは現実に見ていた浜口さんとは実は全然違うんだろうけど、でもきっと浜口さんの印象を借りてこの歌集を読み続ける。
浜口さんお誕生日おめでとうございます。お疲れさまでしたとずっと書けなかったけど、お疲れさまでした。
「やがて秋茄子へと到る」
美しさのことを言えって冬の日の輝く針を差し出している
泣く理由聞けばはるかな草原に花咲くと言うひたすらに言う
とても陳腐な喜びを聞く暁に君はまぶしい道を見ている
記憶より記録に残っていきたいと笑って投げる冬の薄を
すさまじい秋日の中で目を瞑り優れた人達へ挨拶を
「本は本から生まれる」
終わらせるべきであるのに冬夜(ふゆよる)の膝の冷たいことを話して
「暴力的な世界における春の煮豆」
震えながらも春のダンスを繰り返し繰り返し君と煮豆を食べる
君はしゃがんで胸にひとつの生きて死ぬ桜の存在をほのめかす
折れた梅さえ心に挿して春先の真面目さは仇になりゆくばかり
「色彩と涙の生活」
冬にいる寂しさと冬そのものの寂しさを分けていく細い滝
「感情譚」
燦々と月の光の差す道で僕が自分に手渡す桔梗
ぶち撒けた春の悲しみから僕は小さな花を見つけてつまむ
君を愛して兎が老いたら手に乗せてあまねく蕩尽に微笑んで
幾度(いくたび)も越えた心の敷石を撫でればそこに桔梗が咲けり
死ぬ気持ち生きる気持ちが混じり合い僕らに雪を見させる長く
出会いからずっと心に広がってきた夕焼けを言葉に還す
花群(はなむら)を一人で探す喜びがあなたを名指しする歩道橋
君がかつて歌い忘れた花たちをひとり私が祝うお祭り
「音楽には絶賛しかない」
泣いている春の子供を見かけたらその子の和紙をちぎってやって
「愛しい人たちよ、それぞれの町に集まり、本を交換しながら暮らしてください」
いつかブルーシートが波打つ風の日に君と春待つ将棋がしたい
「時間」
残光のひかり豊かに繰り返すあなたとの紫陽花の毎日を
シロツメクサの花輪を解いた指先でいつかあなたの瞼を閉ざす