あの街に降る雨は

ニコイチ やさしい雨プチ単独ライブ「眠たい街」
11/7 バティオス 18:00


単独ライブの最後のネタで、それまでのすべてのネタの登場人物にはかかわりがありましたよ――と明かすのはよくある手法と言われるけど、実のところ今はどうなのだろう。私が見始めた6年前にはすでにそれ自体を見るよりそれを揶揄する平場を見る方が多かった。
年々コント師の単独に行くことが少なくなっているので、流行のようなものはわからないけれど、ここ2、3年で私の見た数少ない単独ライブには、その手法をとっていないものの方がよほど多い。
こちらも、つなぐことに感心しているわけではないのだ、もともと。思い出すのが、THREE DECKERのエンドトークで新妻さんが物販のグッズについて「おそらくサンドイッチ屋「THREE DECKER」のロゴになるであろうマークがついていますから」と言ったときに和賀さんが言い放った「あなたが作ってるんだから、そりゃ自由自在ですよね」という言葉。
つじつまを合わせることは、きっと簡単にできる。ならば、つなげることで何を見せたいのか、何を感じさせたいからつなぐのか?と言う問いが生まれる。それの答え次第で、こちらは感心したり白けたりするのであって、つなぐこと自体はどの言葉を選ぶのかと同じように、手段の一つに過ぎない。ただつないでいるのなら、おまけ程度に思うだろう。


やさしい雨の1年ぶりのプチ単独は、「眠たい街」を舞台にしたオムニバスだった。コントタイトルがその街のお店や建造物の名前になっているとてもわくわくする作り。入場の時に配られた地図には、仕掛けがしてあったと終演後吉本さんが教えてくれた。



松崎さんと言う特異なキャラクターを擁しているのに、やさしい雨のコントはそれだけを消費するのでもなく、隠すのでもなく、なにかで大きく包み込んでいるように思う。
その何かは、やはり吉本さんかなぁ。「鳥野法律事務所」でその包容力が遺憾なく発揮されていた。
やさしい雨をライブで見る機会は少なく、去年の単独を見て初めて「こんなにネタがやりたい人たちだったのか」と驚いた。オタク芸人とか、なにかしらで食っていければいいと言うスタンスなのかと思っていた自分を恥じた。
今年もやっぱり、「こんなにやりたいこともちからもある人たちが、よくあのライブ数で我慢しているよなぁ」と思った。


最後のコントで、全てのコントの登場人物と時代が明かされた時、一番最初の、OPだと思っていたコントが実は時系列の一番先にあり、今演じられているEDよりもまだ先、いちばん未来の話だったとわかった。わかった瞬間、巨大な環が大きな音を立てて閉じるような快感があった。
その快感が走り抜けた後、1時間前に見たものの先を、1時間後のわれわれの誰も見ていないと言う矛盾に気付く。閉じた環の外側に未来があり、われわれは円弧の突先にいるのだと言うことを、土星の輪の淵に立っているようなおぼつかなさと、心細さと、不思議な浮遊感をもって実感していた。全てのコントの印象を掬いあげて丸ごと中空に放るような、こんな浮遊感はつなぐことによって、あの大きな環が閉じることなしには絶対に生まれなかった。


登場人物の、コントに描かれたその先を見せているようで、じつは本当の未来は誰も見ていないと言うこと。それがどうしようもなくやさしいと思った。

見えぬゆゑ未来はやさし花揺れるあの角までをいま君とゆく  横山未来子*1

知らないことは、明るく、見えないことは、やさしい。明日に何が起きるかを恐れることなく、そんなふうに思える日が年に何日あるだろう。
あの日は確かにそう思いながら、ゆっくり歩いて帰った。速く歩くことができなかった。さびしいから誰かに会えそうな気がして、不安だから自由に思えた。気持ちは高揚しているようでずっとしんとしていた。満たされているのに、もっともっとやさしい雨が見たかった。

やさしい雨プチ単独ライブ「眠たい街」

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*1:大事すぎてまだ実家から持ってきていない歌集に載っている歌なので、表記に今一つ自信がない。持ってきたら直します