今後は彼らを漫才師と呼ぶ

この間の3組のライブ(仮)の時に撮った写真を眺めていて、なんと若く美しい漫才師だろうと思った。大して写りの良い写真じゃない。それでもそう思ったのは、写真の中の彼らが1.コンビごとに 2.立ち位置通りに 3.全員ネクタイを締めて 立っているからだと思う。いつもの格好じゃないかと言われそうだけど、それぞれの間にサンパチさえあれば漫才をしている時と全く同じ姿と言っていいわけで、それでことさらに、若く美しい「漫才師」だと思ったんだろう。彼らに限らず、普段見ているあの人たちのことを「漫才師」とはあまり呼ばない。ほとんどのときに「芸人さん」と呼んでいる。単純に「コントもやるし」と言うだけでなく、まず彼ら自身が芸人と自称することが多いこと。「芸人」は人生まるごとであること。その人たちを「漫才師」と呼ぶのは勝手に彼らを限定していることになるんじゃないか?という危惧。ここまで書いたことはもちろんすべて言葉を逆にして「コント師」にも当てはまる。そしてひとつ思うのは、いつか彼らが漫才をしなくなる未来に、知らず知らず備えてしまっているんじゃないか?ということ。(考えたくもないことだけど)食い詰めて廃業したらもちろん彼らの漫才を見ることはできなくなるけど、喜ばしくも売れてティーヴィースターになったとしても、やっぱり漫才を見ることが難しくなるととても容易に想像できてしまう。だからあらかじめ「芸人さん」と呼んで、いつか漫才をしなくなった彼らも同じように愛せるように備えているんじゃないだろうか。大好きなものを嫌いになるのはとてもしんどいことだから。でも目の前で漫才を見せてくれる人をこそ漫才師と呼びたい。漫才で名をなして漫才をしなくなった人のことしか漫才師と呼べないなんてむなしい。だから彼らが彼ら自身を、未来を、どう思っていてもそれはそちらの話で、今目の前で漫才をしている人を漫才師と呼ぼうと思う。ひとつしかない不自由な未来のために、奇跡的に同時代にある彼らにあんな美しい尊称を使えないなんてない。3組のライブ(仮)が大阪で開催される日付が発表されたとき、投影された映像を背にして銘銘にしゃがみこむ彼らをカメラに収めた。後でその写真を見返して、彼らがお互い笑い交わしていたのに気づいた。その時に改めて、今この3組が東京で漫才をしていることを思った。いちばん初めのSimple Set HARFのときから思っていた。奇跡のようだ、魔法のようだ、宝石のようだと。それをまた思った。彼らがあの2人ずつであること、それが3組いること。VTRの中で口々に大阪でやるなんてすごいと言っていた同世代の仲間がいること、その仲間の内の誰でもなくあの3組であること。今度の日曜日、東京の宝物のような3組の漫才師が大阪に行く。もちろん私も行くけれど、関東からの客は賑やかしのようなものだから、近くの町に住む人にこそ、行って笑ったり拍手したりしてほしいと思う。