浅草の星

6月11日(水)、浅草ツアーからの「浅草のニュー喜劇人」昼公演を見てきました。
言わずと知れたギースとラブレターズの1ヶ月連続興行。発表されたときは期間と場所に驚きました。ASH&Dと言えばタイニイアリスじゃないの!(タイニイアリスまだ行ったこと無いけど)
ASH&Dは、ライブをライブ単体でなくハコと期間含めてわくわくするイベントに作り上げる手腕が素晴らしいなと毎度舌を巻きます。
興行の方はまだ続いているので内容を書くのは控えますが、ツアーから公演を見て、ギースの印象がすっかり変わりました。
私がライブに行き始めた頃、ギースを見る機会が多くて、実はその頃からわずかにでもずっと苦手な部分があったのですが、それがすっかり無くなりました。
苦手な部分のひとつに、「ネタの構造を最初に全部台詞で説明する」という所があったのですが、この日やったネタは4本とも全く説明無く、ひとつのネタは最後まで「え、これどっち?」と煙に巻いたまま終わるような、あの小屋と連続興行の作用でしょうか、言葉少なく観客を信頼しゆだねる度量が心地よかったです。
千秋楽まで何事もないことを祈りつつ、完走した後の2組の地力爆上げの予感に、彼らが帰ってきてからのライブシーンがまた楽しみです。




ツアー開始早々、お昼ご飯を食べに「じゅらく」に入るとき、塚本さんがしきりに「左側に変な人がいるんで、あんまり見ないでください」と言うので、見たら、ビールを飲んでいるジグザグジギーの宮澤さんがいました。
仕込みかと思ったらほんとにオフで飲んでいたそうで、まず浅草で午前中から飲んでる30歳ってどんな貫禄……と気圧されましたが、その後、一緒にご飯を食べた宮澤さんは、ツアーの殆どに同行して生まれ育った土地である浅草の解説をしてくれました。


ツアーの終わりがけ、宮澤さんが同級生の家だと紹介したのは、手ぬぐいの老舗「ふじ屋」でした。レジにいたおかみさんが「あら宮澤くん!」と表まで出てきてくれて、「私が同級生なんですよ」とひと笑いとった後にすいと宮澤さんの方を向いて言った一言で、色んな事が腑に落ちました。


「浅草の星ですから」


もちろん宮澤さんは謙遜していたけれど、ああそうか、そういうことか、宮澤さんのたたずまいも芸風も、そして浅草の街も、みんなそういうことなのかと、その日見た宮澤さんや浅草の風景がぐるっとまるまって胃の腑に収まるような、そんな感覚を覚えました。


私が浅草に行くときはたいてい東洋館に行くときで、乗換の都合と基本急いでいるのでつくばエクスプレスを使います。なにしろ出口が東洋館の真横。
つくばエクスプレスの浅草駅のエスカレーターの壁には、浅草ゆかりの芸人や文人、役者の似顔絵と紹介のパネルがずっと貼られています*1
エスカレーターに乗ってずっとそれを読んでいると、だんだん「むむー」という気分になることに気づきました。で、その正体が何だろうと考えると、


確かにこの人たちはすごかったんだろう、時代と文化を作ったんだろう、でも今から私が見る芸人さんもおもしろさで言ったら負けてないと思うけどー!


と言うことなんじゃないかと。たぶん。で、一歩進んで、


このころは寄席はあるし芝居小屋はあるしディジタルコピーもないし、娯楽と言ったら生で見るしかなくて、しかもそれにお金払う条件が整ってたんじゃないの、今より演者の生計の道があったんじゃないのー!


とまで行くともう言いがかりですけど、でも、多分そう思ってる。あのエスカレーター長くて。
浅草が芸能の街だって、聞いていても、たまに行くだけでは実感したことがありませんでした。もう死んだ偉大なコメディアンの顔写真を、並べることが芸能の街なのかいと思っていました。今笑わせてくれるのは今生きている芸人さんじゃないのかい。
でもこの日、芸人さんと連れだって歩いて、芸能の街という意味が少ーしだけわかったような気がしました。
くじら屋の前でわいわいしていたらご主人が出てきて、そのとき尾関さんが「THE GEESEです」と名乗ったこと。「大竹まことの事務所です」と言ったこと。その時通り過ぎた落語の師匠の洋服姿。リトルシアターのビラ配りをしていた人が、ギースに「お疲れさまです」と頭を下げたこと。そして宮澤さんのたたずまい全て。
「芸人である」と言うことが、よその土地より肩書きとして、名刺として、機能する街なんだと思いました。たまに東洋館に来るだけの観光客には、わからなくて当然だとも。


公演の企画で、ツアーを振り返った後に塚本さんが宮澤さんと三社祭で御輿を担いだときの話をしてくれました。宮澤さんにサインだか握手だかを求める人で、長蛇の列ができた、地元のスターだと。
宮澤さんという浅草で生まれ育って今も暮らす人が、浅草が生み育ててきた芸能の歴史の筆頭に躍り出ようとすることを、浅草の人はほんとうに嬉しく、誇らしく、なにより同時代に目撃できることをこの上なく喜んでいるのでしょう。
もう死んだ人を崇めるのではない、今の浅草の期待と気概があの「浅草の星」という一言に見えた気がしました。
それは、ここからティービースターが生まれようと生まれまいと、今この芸人さんのネタが見られてよかったと思いながらライブに行っている私にとっては、少しシンパシーにも近いものでした。支えているという意味では足元にも及ばないにしても。


浅草の星は、これからも浅草を愛してくださいねと言い残して雨催いの街に消えていきました。それを見下ろすドンキの派手な看板には、まだネオンが灯っていませんでした。全部真っ昼間の話。

*1:イラストだけはここで見られます http://home.h01.itscom.net/ga-syu/illust3.html