あたらしい仕事

〜K-PRO10周年一週間ぶっ通し興行五日目〜
『児島気奈トークライブ・10―あの頃みんな若かった!?秘蔵映像大放出!―』


5/25 新宿劇場バティオス 18:00(前半)



一週間ぶっ通し興行の中で真っ先に売り切れた公演。和賀さんに「芸人なんだとおもってんだ!」と怒られました。ごめーん(笑)。


前半は、トップリード、ジンカーズ、そして最後に清和さんとそれぞれサシでトーク


清和さんは最近疲れがとれなくて、ライブの前には椅子に長々寝そべっているそうで、児島さんが心配していた。若手が清和さんのいないところで「こんなの清和さんに見せられないよ!」と言うほどに若手の見本なので、これからも長生きしてくださいと言っていた。
でも、清和さん自身は、自分たちがいることが、良いことだけではないとも思っているようだった。自分の存在が防波堤になっているんじゃないか、俺らが辞めたらたぶん次のマシンガンズとかが辞めなきゃいけないと考えるんじゃないか、とも言っていた。


清和さんが、自分が若い頃は30過ぎて売れないで楽屋でえらそうにしている芸人を嫌っていた……と話した。時代が違うと言ってしまえばそれまでだけど、今は養成所も30までは辛抱しろと言っているそうで、でもそれって、たった今今のことを踏まえていっているだけだよなぁと思った。今が10年前と比べて予想外の状況になっているなら、今20歳の子が30歳になったときに今の状況と同じだなんて言えるはず無いのに。
今の状況によって10年後の対策をするのではなく、10年後の状況によって10年後の対策をしないと、意味がないのではないかと。


こういうことを考えていると、なんとなく身近な気がするのは、女の人生に正解がないって考えているときとすごく似ているからだ。いつだってロールモデルを探してはそんなんいないか理想の人はとっくに子供産んでる人だって諦めるときと似ている。卑近な例で恐縮ですが。


後夜祭の話になるのだけど、スパローズが行列の先頭でテンダラーのベテランの風格漂う漫才を見ていたら「41歳と43歳です」と言ったので「エルシャラと同じだ!」と驚愕したそう。「それ考えたら清和さんフレッシュにやってるわー」と感心していた。


たぶん清和さんも、お笑いを始めたときに自分がこうなっているなんて思っても見なかっただろう。都内ライブシーンのトップで、最年長で、ベテランでも賞レースで通用するようなネタをやっていて、でもお笑いだけでは食べていけなくて。

「新しさ」と云うのは、実は判断が難しいものです。一見するだけでぱっと分かりそうにおもわれがちですが、何かが本当に新しいかどうかの判別は、指標自体が存在しない訳ですから、難しいと云うより不可能なのです。
(中略)
 逆に言うと、全く新しい事をやろうとすると、むしろ古さの中に取り込まれてしまう事が多い。これまでと全く異なる事と云うのは、比較する対象がありませんから、それを見た人は、既存の古いものの類型として判断せざるを得ないからです。
 それが悪いとは申しませんが、見る側と云うのは、自分のそれまでの経験に当てはめてしまう事が多いですから、そうなると無理やり「これは、あれの二番煎じだね」と云うような解釈をされてしまいます。
(中略)
 後の時代に名を残す人などが、若い頃には誰々の真似だと言われたり、できそこないなどと言われたりすることは結構あって、やはりそれらも新しさ故なのですが、その新しさが発見されるまでには時間が掛かる事が多いのです。

山口晃ヘンな日本美術史』第三章 絵の空間に入り込む「類型化から生まれる新しさ」より


描ける未来は常に見たことのあるもので、見てるだけの私にも当然、清和さんのエルシャラのこの先なんて予想できない。でも、

今までにない、あたらしい存在になれたらおもしろいとは思う
売れるのが一番やけどね

こう言って笑う清和さんの笑顔はずっと見ていられると思った。そうしているうちに、きっと、見た事もないあたらしい存在を目撃する事になるはずだ。


お笑いナタリー|10年の思い&貴重映像満載、K-PRO児島代表トークライブ