ニューヨークルミネ初単独

ニューヨークのルミネ初単独行ってきた。それこそ100万回素晴らしいと言っても足りない公演だった。
無限大での単独とジャムセッション、たまに神保町のトークライブに行ってる程度の客、つまり彼ら単品で長時間見られるコスパの良いライブばっかり行ってる薄情な客だけど、今のこの彼らに抱く異様な愛おしさは何事か。途中何回か「私なんで彼らの担当やってないんだろう」って思った。今まで浜浜にしか思ったことない。ちょっとでも目を離して良い芸人さんじゃない。実際は時間無くてそう何組も追っかけられないんだけど。


無限大での単独ではとにかく「悪童!」と言う印象だったんだけど、今日は悪ガキの楽しさを超えた新たな角度の目線がビシバシ感じられて男子三日会わざれば刮目して見よとはこのことかと。したり顔でこの題材をこう攻めるのかーと客席で腕組んでるこっちの目線すら裏切って、いっこハズしてくる。そのハズし方が、客席も、今までのニューヨーク単独をも上回ってきた。


幕間のVTRがまた全部素晴らしく、丁寧にお金と時間かけて作ってるわぁ。漫才もコントもVTRも全部まるっとDVDにしてください!
OPに使う写真を選ぶVTRで、同じ学生時代を過ごしていないが故の、お互いを面白がる様がすごく彼ららしく感じた。あと、今彼らの餌食になるチャラい青春をちゃんと通ってきてるのね、それ故のあの分厚さなのねとすごく納得。でもこんな簡単な納得すら、彼らにはばっさり斬られて刀の曇りにもならないのだろう。


以前ニューヨークを見てるとワンピースを思い出すと書いたけど、ルミネ単独ではそれに加えてあだち充を感じた。戦いを終えて、「またやろう」と握手を求めるライバルに向かって「疲れるからもう嫌だ」と言うヒーロー。少年漫画から汗臭さを無くした歴史的転換。


始まった瞬間から、「今日は何を斬ってくれるんだ」と言う期待がルミネの客席を覆い尽くしていた。この期待の充満ぶりが今のニューヨークの快進撃を裏打ちしていた。
その期待通りに悪意の刃を翻し、溜飲が下がったと思った刹那、返す刀でその予定調和すら突き崩す一閃を食らわせてきた。それが冒頭に書いたハズしだった。DJの父親の終盤の叫びに笑わされながら目を剥いた。あだち充漫画を読んだときの奇妙な脱力感を覚えた。かないっこない。


そんなこと思ってたら転換で小沢くんの「大人になれば」がかかって、時事的なタイムリーさと自分の思考との符合に唸ってしまった。


幕開のVTRでこれまでの自分たちのネタを踏まえた映像を作ってきたのにも自信を感じたなぁ。名実ともに無限大のトップ。同期で一番乗りのルミネ単独。去年9月のトークライブで、KOCに落ち、THE MANZAIに落ち、バチエレが終わり、入れ替え戦にも落ちた自分たちの状況を「屋敷:今いちばんおもろいです」と言い放った2人の揺るぎなさがあっという間にここまで結実してしまった。


ニューヨークの冠番組が見たい。先輩にいじられるのではなく、同期や後輩を回していじって、同世代や学生の感覚をばっさり斬って視界を洗うような。もう中年の私にわからないような番組でこそあってほしい。


東京よしもと若手のトップがニューヨークであると言うことは、なんと夢のあることだろう。こんな笑いが、若い世代に爆発的に広まる可能性があるのだ。


でもやっぱり、感服よりも感嘆よりも畏敬の念よりも、終わった後胸を満たしたのは不思議な興奮と奇妙なまでの可愛らしさ愛おしさだった。スタッフロールの後映された静止画で、嶋佐さんが新宿の地下道で親指を立てていた。ルミネエストから通じてるあそこね。
あの写真を見て、盛大にグッと来てしまった。今日は感極まらずに済むかしらと思ってたらやっぱりグッと来てしまった。
主戦場が渋谷の人にこう思うのは変かもしれないけど、新宿ルミネでこれを見て、今、彼らはこの街にいるんだと思った。この街で、刃を研いで、いつか見たこともない世界に行くけど、今はまだこの街にいるんだと。


終演後すぐには帰りたくなくて、まどこさんとご飯を食べようと大塚家具の方向に歩いた。吉野家の前の横断歩道で振り返ったら、見たことのないルミネの遠景が見えた。あんな形をしていたのか。右半分はビルに隠れて見えなかったけれど、見えている左半分から想像した左右対称のルミネは少し神殿のようだった。