今日の小沢くんとタモリさん

お笑い有楽城の観覧から帰ってきてすぐ、いいともの録画を見た。
小沢くん、さすがに老けたけど全然変わってないなぁ。あの、はにかんだように笑う顔が特に。あの表情は、小沢くん以外の人で見たことない。
昨日小沢くん出演の報を聞いたときには、いいともが終わる月に何年かに1度もないリリースがあるなんてすごいタイミングだなと思ったのだけど、プロモーションしなかったとさっき気づいた。


いいともで歌うならきっと「さよならなんて云えないよ」だろうと思ってたけど始まったのは「僕らが旅に出る理由」で、そこから「さよならなんて〜」のタモリさんが激賞したというフレーズにつながった。
労いの言葉までのこの2曲ははっきりと旅立ちの歌で、そのあとの「それはちょっと」「ドアをノックするのは誰だ?」は、人生の歌だった。


テレビ音痴の私も、さすがにいいともが終わることは知っていて、それとは関係なく去年くらいからいくつか出ている「タモリ本」も手にとってはみた。でも、どれも「タモリさんが死んじゃったみたいだな」と言う印象を持って数ページ読んだだけで棚に戻した。私がめくっていない後ろの方のページに、今のタモリさんのことが書いてあったのかも知れない。目にした部分には、過去の偉業とか伝説とか証言とか、ばかりだった。
雑誌は終刊した瞬間から資料的価値が出ると何かで読んだ。でも、タモリさんはまだそこにいるのに、なんで直接タモリさんに話を聞きに行く人がいないんだろう? 誰か一人くらい、バカのふりして「タモリさん今日は何するんですかぁ?」って聞きに行く人がいてもよさそうなものだけど。やるとしたらほぼ日かなと思って検索したらもう「タモリ先生の午後」ってコンテンツやってた。でもそれも2009年が最後みたいで、今のタモリさんではない。
タモリさんにはインタビューすべからずという不文律でもあるのか、周辺を探ることで各々のタモリ像を作り上げるのがそのへんの美徳なのか、単純にご本人が断るのか、なにか理由があるのかもしれないけど知らされていないのでただただ謎に思う。


タモリさんは過去32年間終わりのないいいともをやってきて、この3月でそれが終わることが決まっている。でも今は、そのどっちでもなくて、今のタモリさんは、終わると決まったいいともをやっている。
旅立つことが決まっている人の、旅立つ前のひとときは、なにやら祝祭ですごいことになっているみたいだと言うのは漏れ聞こえてくる。「すごい」というのは私の感想としては決して好意的ではないことも含まれているけれど、それもひっくるめて、テレビってやろうと思えばこんなすごいことができるんだなと、呆れとも感嘆ともつかない気持ちでいる。明日のゲスト内閣総理大臣て。
それと同時に、テレビの中身は、結局はとてつもなく個人なのだなとも思う。いいともが終わった後の裏の枠に、徹子の部屋が移動してくると聞いたから。フジテレビとテレビ朝日、キー局の長寿番組同士であっても、仲良しのタモリさんと徹子さんをぶつけようとはしなかったなんて。


「二度と戻らない美しい日にいると」、その美しい日の真っ直中に気づくのは至難の業なのに、まさにその日である今日のお昼間に、旅立つ人であるタモリさんとスタッフさんの前でそれを歌った。小沢くんは針の穴にらくだを通すよりもむつかしいことをやってしまえるんだな。



なんかとんでもない時間に長々と書いているけれど、誰に読んで欲しいわけでもなかったりする。ツイッターに更新通知も出さない。
私にとって小沢くんは特別すぎて、自分にとってこんなにも特別な人が、他の人にとっても特別だと言うことが実はずっと理解できない。もちろん自分がリスナーとして特別だなんて思ってないし(どっちかで言えば確実にもののわかっていないリスナーだろう)、昨日の報が出た時久しぶりに見たTLの全景で、お笑い好きな人も、ジャニオタの人も、文筆業の人も、こぞりにこぞって沸き立つあれは世代としての体験だと言うことはわかってる。
朝日新聞で、ひとりっ子の特集をしたときにひとりっ子の人がきょうだい持ちについて言っていた言葉に、ハーナルホドと思った。記憶頼りなので正確な引用ではないが、「自分の親が他の人にとっても親であるという事実に恐怖に近いものを感じる」というようなことだった。たぶん私の小沢くんに対する感覚はこれに近い。
だから、誰かが書いた小沢くんについての文章はほとんど読まないし読んでもあまり共感しない。この文章も、誰かに共感して欲しいと思わない。ただただ、書きたいから書いている。そもそも、この何かに滾ったときに書かずにいられないというのは、好きになったとき周りに小沢くんについて同じ温度で話せる人がいなかったことに起因しているような気がする。


小沢くんが歌った90年代の歌群を聴いて、改めて、あれを新曲としてリリースを心待ちにして街のレコード屋に買いに行けたことの幸運を思った。96年が邦楽奇跡の当たり年なんて知らなかったから、ちょうどそのころ音楽を聴き始めた私は、自分が知らなかっただけでこんな豊穣な世界があったのか、これから一生こんな音楽を聴き続けられるのかと大いに幸せな誤解をしたものだった。
20年近く経ってからその幸せに思いを致すと言うのも、その間に合わなさが、いかにも幸せっぽくていっそおかしい。


小沢くんは今のタモリさんに間に合った。普段全然いいともを見ない私は、その小沢くんの歌を聴くタモリさんの表情を見て、今のタモリさんを見ることができたんだとわかった。ずっと続くいいともをやってきた過去のタモリさんでも、いいともが終わった後の未来のタモリさんでもない、終わると決まったいいともをやっている今のタモリさんを。

朝暾(てうとん)は雲を灼(や)きつつ射して来ぬ幸せのやうにすこしおくれて

岡井隆 2004年歌会始