お茶の間から見る絵

3/2 日曜美術館「自ら学び 革新せよ〜日本画家たちの戦い〜」


日曜美術館山口晃画伯がご登場! やっほう!
こういうほんとは見られない人を見ることができるとき、テレビって良いなと思う。ほんとなら絵は見られてもご本人は見られないもんね(と言いつつ好きになって間もないのにすでに2回トークイベント行ってるけど)。


日曜美術館は最近毎週楽しく見ている。MCの井浦氏、すごく真面目なんだと思うんだけど、ちゃんとしたことを言おう、バカなことを言うまいと言う気負いでもあるのか考え考え話すところが見ていてもどかしい。なんかもっとこう、美術と関係なくてもご自身の血肉から出るような言葉で話してくれぬものか。


今日も画伯の揺るぎない視座とそこから語られる芯の強くてちょっと人を喰ったような言葉に惹きつけられてやまなかった。画伯の言葉も文章もイラストエッセイも、全く違うことを違う表現で表してもいつもひとつ同じ信念に貫かれていると感じる。



小倉遊亀越路吹雪を描いた絵を受けて、画家が同時代のスターを描くことにどういう思いがあるのか聞かれて)

こういう同時代のものって言うのはやっぱり、ホットなんですね。ホットなものってホットなうちは良いんですけども、冷めたときこれ困るんですね。
(中略)
そのー、あまりにも時代に即したものって時代を越えない危険が、あるんですね。その時代の、なんて言うんでしょうね、地盤ごと次の時代に移っちゃった時に、その時代に立脚してないとわかんないことってのは、あったりして、そういう意味で現代性ってのは、あのーすごく危険な一面もあるんですけども、でもやっぱり今目の前にあるものなんですよね。僕らしかできない、ことなんですね。
今しか描けないものを見ながら、それをもう深く掘り下げるんですね。そうすると動かないところまでこう、なんて言うんでしょう、掘った部分が届くと、そうすると、それって言うのは、そのずっと、人に訴えかける語り口になるって言うんですかね。


他にも、見る人はでき上がったものを見るのでこんなにできてるじゃないと思うけど、作ってる方はでき上がってない部分まで見えるのでこんなに足りないと思ってしまう、などもほーっと思う。まぁどちらも、漫才のこととか考えてしまうね。再放送は23日の20時から。