全ての良いことは人生に起きる

トップリード単独ライブ
「四度目の正直」
1/13 14:30 18:30


トップリードの単独ライブが、回を重ねて4回目。
見ていて、過去3回と違う部分が多いなと思ったんだけど、帰りの電車で思い返してみたらいやそう違わないのか?とも思えてきた。まぁその思考の順通りに書きます。


まず真っ先に違うと思ったのは、有りネタが組み込まれてる!だったんだけど、考えてみたら過去にも「ラブジャンクション」とか「お見合い」とかは有りネタだけど私が一度も見たことなかっただけだった。だから単に、私が見てる分が追いついてきただけかもしれない。でも今回の「張り込み」と「運動会」は、結構何度も見たことがあるので(特に後者)、これまでの蔵出しっぽい感じとは印象が違っていた。


次は、新妻さんが主役だ!と言うこと。新妻さんにとって和賀さんは、とにかく素敵で有能でかっこよくてヒーローだから(誇張なし)、単独ではいつも和賀さんが主役だけど今回初めて新妻さんが主役だった。
と思ったんだけど、これもそうは断言できないかしらと。「二日坊主」では和賀さんが新妻さんにとっての憧れの人だったから和賀さんが中心と言う印象だったんだけど、「イッピキムスメ」はどっちが中心と言うこともないかなぁ。「THREE DECKER」は和賀さんの疑問解決を新妻さんが手伝うと言う構図。書けば書くほどどっちが主役ということもない気がしてきた……。
でも今回は新妻さんが中央にいると思った。シテとワキと言うより、太郎冠者が新妻さんで二郎冠者が和賀さん……って詳しくもないのに何となくで書いてますすいません。


もう一つは、ハプニング要素が組み込まれていたこと。「夫婦」がつまり先月の月笑でやった「じゃんけん夫婦」と同じシステムのネタだった。
「じゃんけん夫婦」に関しては、たぶんなんだけど、トップリードのコントの、台本の外に出て行きづらいところを力ずくで打破するために考えられたネタなんだと思っている。ただ結構短期間にあのネタ3、4回見ちゃったもんで、ハプニング性がじゃんけんのみになっててそのあとにやることが決まってきちゃってるのが残念だった。
月笑でやったのも結構びっくりだったんだけど、単独でやったのはもっとびっくりだった。それで、これは私が思うよりもっとずっと腰を据えてこのハプニング性とつきあっていくつもりなのかなと思ったので、こちらも腰を据えて見続けたい。
今日の客席に、あん誰からであろう男性客がたくさんいたのを見て、ひょっとしたらこれは「生放送のMC」という大きな仕事を経ておふたりが得たこと、若しくは得られるのではないかと感じたひかりなのかなーと思いましたが、まぁ推測です。
大オチのけん玉がまさに偶発的要素をはらんでいて、これは失敗できない方の偶発で、しかも昼の部でまさに失敗を見てしまったのだけど(笑)。それはそれでなんとなくこれであってるのかな?と思わされてしまうあたりが、トップリードの「できちゃう」ところで、あれをぶち破るような何かが求められているのかも知れない。


最後は、確実に今までと違うことで、舞台上にトップリードのふたり以外の人が出てきた! これは衝撃だった! 非吉本の単独って基本他の芸人さんは舞台に上がらないけど、その中でもトップリードは特に他の人は出てこないと思ってた。単独の舞台は、新妻さんと和賀さんの聖域だと天から疑っていなかった。
びっくりしたけれど、ふたりだけの世界が破られた寂しさを感じることはなく、賑々しさに嬉しくなった。VTRで出演した他の芸人さんもみんなでトップリードのコントの世界をもり立ててるんだなーと思うと同時に、トップリードが月笑芸人の中でトップクラスのコント師なんだなと今更ながら実感した。トッパレとかFKDとかエイトライブとか、同世代の中にいるのを見ることが多いので、あんなにはっきり「先輩」であり「先達」であることを見る機会は実は今まであまりなかった。



そんな風に違う点を目にしながらも、ずっと絶対変わらないものは言うまでもなくあった。「幸福感」。私がトップリードの単独を見に行くのはもうこの幸福感のために他ならない。普段のネタでもほっこりすることは多いけど、単独の時にだけ現れるあの空気のようであり塊のようである、実態のないようで確かにそこにある「幸福感」としか言えないもの。


「ブチギレタイム」と最後のネタ「先を見据えて」。
幸せなことや良いことは、全て間違いなく人生の上に起きるのだと思った。


私は今34歳の独身で、正直、この年になると自分の人生にもうそんなものすごく良いことは起きないんだろうなーと思って生きている。それは実際起きなかったときにがっかりしすぎないための予防線であり、良いことが起きない代わりにとんでもなく悪いことも起きませんようにと言う卑怯でもある。
ものすごく良いこととは、別に宝くじが6億円当たるとかそんなことじゃない。YUKIの歌詞に倣うならば、私が見てきたすべてのことを無駄じゃないよって君が言ってくれて、今まであったことのベクトルが全部そっち向きになるような。同業者ならばillustratorのシンボルスピンツール使ったときの矢印のクルッと具合を想像してもらえばいいと思うんですけど、まぁそういうこと。
このことを考えるといつも、サウンド・オブ・ミュージックの「Something good」の歌詞を思い出す。「あなたが愛してくれるなら 過去のどこかで 私もなにかよいことをしたのでしょう」。あ、この歌詞は「先を見据えて」と逆の構造で同じことを言っているのかもしれない。


そんな良いことは、寓話か、漫画の話で、結婚した友達の話を聞いてもどこか別の世界のことのようだと思っていた。いる。
でも今日の単独を見て、それは間違いなく人生に起きることなのだと思った。いつ起きるかはわからないけれど、この一本道のどこかで起きることなんだと。点になって消えるまで白い道が見えて、その先はどこまであるのかわからなかった。でも、晴れ渡った良い景色だった。
「こじらせ」や結婚できる/できないがもっとも収奪しやすい市場である今、トップリードだけが全然違う景色を見せてくれた。
むやみに希望を持った訳じゃない。やっぱり何も起きないとも思っている。でも最後まで何も起きなかったとしても、たぶん、起きるところまで私が行けなかっただけなんだろうと思えるような気がした。

いつかいいことがあって、誰かきっとよいパートナーが現れると楽しみにしていることはいいことだと思いますよ。わたし。

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全ての良いことは人生に起きる。人生に悪いことが起きるのは容易に想像できるのに、そっちには思いが至らなかった。全ての悪いことも起きるのは人生だけど、それは全然別の話だ。
職業とか生き方とか性格とかではなく、ただ気づいたら生まれていて逆には戻れない選びようのない一本道だけど、全ての良いことはこの上で起きるのだと、トップリードはそれを当たり前のこととして見せた。
幸せは宝の地図だと思っていた。はっきりと場所が示されているけれど、そもそもが架空の物だと。
そうではなくて、幸せなことも良いことも、いつ起きるかわからないけれど確かにこの上で、ここの延長線上で起きるんだと思えた。地図よりも不確かで、頼ったりすがったりはできないけれど、少なくとも、ここを行くことは迷わなくて良い。


同じ何かが起きるなら、悪いことに首をすくめているよりは、背筋を伸ばして良いことを見晴るかしていても良いのかなと思った。それはみっともないことでも滑稽なことでもない。全ての良いことは人生の上に起きるのだ。他では起きない。