あまちゃん

あまちゃん終わってしまいましたね。
見たい部分を見たいようにしか見ていないんだろうなぁと思いながらずっと泣いたり笑ったりしてた気がする。それを許容して、それぞれの解釈とか思い入れとか過去とかを重ねさせるのが、「みんなの見てるドラマ」のちからなのかなーと思いながら。
あと、「楽しい」の威力がすごくわかった。「喜怒哀楽」のうち、「喜」と「楽」ってかぶりぎみじゃない?ってずっと思ってたんだけど、「楽しい」をそのまま曲にしたようなOP、あれは、楽しいときも、勇ましいときも、出発の時も、帰還の時も、全部の感情をさらに跳ね上げるようだった。自分が感動しているという自覚もないまま泣くって、楽しいってことだってあの曲に教わった。なるほど喜ぶのとは全然違う。


後悔することはあるし、やり直すことはできないけど、取り返しや埋め合わせは全然別のかたちでできないことはないし、それは最初に選ばなかったことより決定的に悪いわけではないんじゃない、ってずっと優しく言われているようだった。実際は言ってすらいない。
何度も繰り返し差し挟まれる回想シーンは、途中から見始める人のための説明も兼ねてるのかなと思ってた。北鉄の開通式とか、影武者を依頼するタクシーとか。
でも何度も何度も見ている内に、繰り返されるのは後悔の記憶なのかなと思うようになった。あの時家を出なければ、あの時影武者を頼まなければ、あの時影武者を引き受けなければ。
鈴鹿さんの歌を聴きながら泣く太巻さんにタクシーのシーンが重なったとき、やっと許されたんだなぁと思った。アキに主演としてあの歌を歌わせ、春ちゃんにお手本を歌わせ、そして最後に鈴鹿さんがあの歌を歌って、やっと太巻さんはあのときのねじれた選択を許された。たぶんタクシーの中で春ちゃんに頼んだときには、こんなに長くこのことに苦しむことになるとは思ってなかったんだろうなって、若き日の太巻さんの業界人ヅラを見て勝手に思っている。


最初に決めたときには気づかなかった。お座敷列車も、最初は思いつきのイベントで、まさかあれが帰りたい場所になるなんてきっと誰も思ってなかった。良いことも悪いことも、そのときはそれがそうだって気づいてない。アキとユイちゃんと、そしてみんながいる北三陸での日々には、これからもそんなことが起こるんだろうな。後になってみればあれがそうだったって思うような。騒がしい未来が僕を待ってるみたいな。


まとまった感想なんて書けるわけもないので何も書いてないけどもう終わる。最終週はずっと泣いてたけど、悲しいとか嬉しいとか感情はもう全然伴ってなかった気がする。安部ちゃんの涙に泣き、鈴鹿さんの歌に泣き、二大アイドルの青春トークに泣き、潮騒のメモリーリレーに泣き、トンネルではしゃぐアキとユイちゃんに泣き、岬へ走るアキとユイちゃんに泣いた。
私が半年で一番泣いたのは、やさぐれたユイちゃんとアキが仲直りした後に自転車で駆け抜けていくシーン。ただふたりが猛スピードで坂を下りながら大声で呼び合う数秒で、声も出せず立ち上がれなくなるほど泣いた。