TAKANOの鞄


新宿のTAKANOが今日で閉店する。
ライブに行こうと、前を通りかかって閉店を知ったのが8月21日。すぐに滋賀にいる母と姉に知らせた。ふたりとも閉店に間に合わないことをこころから悔しがり、私に、何か買うよう言った。
閉店を知って初めてHPに行った。HPがあることも知らなかった。それによるとTAKANOができたのは1916年。
今が良い時代だとか、悪い時代だとか、わかりっこないんだから言わないけれど、この100年あったものがまさにいまこの時代に無くならなければならないのなら、私はたぶん今の時代とあまり気が合わない。
私たちが子供の頃から新宿に行くたび、母はTAKANOを必ず覗いた。伊勢丹とTAKANOはセットだった。
HPがあるのも知らなかったぐらいで、私は常連でもなければ得意客でもない。確かに買ったけど、買った回数は覚えていない。でも、買っても買わなくても鞄が欲しくても欲しくなくても、新宿に行けばTAKANOには行くものだった。新宿はTAKANOがあるところだった。
TAKANOはメーカーではない。でもTAKANOで買った鞄は「TAKANOの鞄」だった。TAKANOにある鞄はブランドも、素材も、価格帯も様々だった。他では見たことがないものが多くて、なにより適正価格だった。あの鞄たちはTAKANOが選んだというだけでそこにあった。そのたくさんの鞄の中から、私が買ったいくつかは、TAKANOでなければ見つけられなかった。
もう亡くなった広島の祖母が来た時にも連れて行った。祖母は、TAKANOの鞄を見て「やっぱり東京には見たことのないようなものがあるね」と言った。この言葉が私の東京観を決めた。


25日にTAKANOに行き、母と姉の鞄を買った。お店の人が快諾してくれたので写真を撮って送っては「これはどう?」と聞いていたのだけど、最後あたりに姉から「もうおおきさとか色とかあまりこだわらないわ!タカノがなくなるんだから!」と言うメールが来た。結局5つ買って、そのまま滋賀に送ってもらった。


28日にもう一度行って、今度は自分の鞄を買った。ウィンドウに出ていた鞄が欲しくて、お店の人に聞いたら色違いが高いところに置いてあった。ウィンドウのが濃いグレーで、高いところにあったのがベージュ。ベージュを見せてもらおうとしたら、一瞬早く別の男のお客さんがベージュを指名していた。バッティングするくらい、店内はごった返していた。
お店の人が困っていたのだけど、「その人が買わなかった方の色で良いです」と言った。ほんとうにどっちでも良かった。
最近はしまう場所がないのもあって、ちょっとでも気に入らないものは買わないようにしている。でもこの日はほんとうにどっちでも良かった。やせがまんでもなんでもなく、TAKANOが最後に売ってくれる鞄がそっちなら、それが私の欲しい鞄だった。


デパートの売り上げは実は外商で保ってる、と言う話をたまに聞くけど、私はあのシステムが全く理解できなかった。デパートの人が「○○様にはこれが……」と言って持ってきた超高級品をはいはいと言い値で買うシステム。
他にも色々見比べたら、もっと自分が好きな物があるんじゃないのと、買い物のためなら23区全部くらいは行く貧乏性の私としては思ってしまう。後になってこれの方が良かったってなったら悔しくないのか。とはいえ私も最近は体力が無くて「伊勢丹にあるものの中で欲しいものが私の欲しいものでいいや」と思うけど、それでも伊勢丹の中くらいはくまなく見たい。
ブランドものも極端に持っていないので、「このブランドのロゴがついてれば何でも良い」という気持ちもわからない。
この日の気持ちはそれに近かったのかもしれない。とにかく私は「TAKANOの鞄」が欲しかった。
くりかえすけれども、TAKANOはメーカーではない。TAKANOの鞄と言っても、ロゴがついてるわけでもタグがついているわけでもない。私がその鞄を背負っていても誰もそれがTAKANOの鞄だとはわからない。わかるのは私だけで、私がただ「これはTAKANOで買った鞄だ」と、思いながら歩いているだけだ。
でももうそうやっていくしかないのだと、閉店を知った瞬間稲妻のように悟った。TAKANOはなくなる。TAKANOが売ってくれた鞄は残る。ならばTAKANOで買ったことを覚えていて、その鞄を使い続けるしかもう残された手はないのだと。たぶん、母と姉も同じことを思った。聞いていないけれど。


布の鞄をふたつ買った。ひとつはリュックで、普段なら手に取らないような色のものにした。その色しかなかったから。


次に新宿に行く時にはもうTAKANOはない。跡地に、なにか安っぽくて、どこにでもあるようなチェーン店が入ったりしたら、それを見る度私は暗い気持ちになり、新宿の地上を歩くのを倦むようになるだろう。
TAKANOの閉店は、点として残る過去形ではない。「TAKANOのない新宿」という継続の始まりで、そんな新宿を知らない。
飯田橋から文鳥堂が無くなったときも、池袋西武からぽえむ・ぱろうるが無くなったときも、銀座からくのやの路面店が無くなったときも、思った。
これが貧しいと言うことだ。