名前をつけてやる

浜口浜村単独ライブ「浜口浜村か?」
3/22 新宿シアターミラクル 19:30


浜口浜村の単独ライブは見たことがなかった。しかし去年自主ライブくんでふたりしか出ないものを見ていたし、なにより最終回「さよなら自主ライブくん編」があまりにも素晴らしかったので、あれを超えるものってあるんだろうかと思いながらもとにかくはやく見たいはやく見たいと指折り数えていたライブだった。浜口さんが毎日ブログを更新してくれたのも楽しみに拍車をかけていた(たまに浜村さんからのメールが載るのも良いよね)。


行ってみたらはたして、自主ライブくんとは根本的に違うライブだった。まず座席に投票用紙が置いてあった。「バトルライブ「浜口浜村か?」投票用紙」と書いてあるそれをちらりと見て「浜口さんと浜村さんが対戦するのか」と思ったのだけど、よく見ると

   先攻     後攻   
  浜口浜村 VS 浜口浜村  
  浜口浜村 VS 浜口浜村  
  浜口浜村 VS 浜口浜村  

想像も予想もするだけ無駄だったと早くも悟った。


子供の頃からのふたりの写真をめくるフリップネタ(笑)からの漫才「お金が大事」までがOPか。その後始まったのはMC浜口浜村浜口浜村VS浜口浜村三本勝負のバトルライブ。投票用紙記入の時はちゃんと客電がついてMCの浜口浜村がつなぐ。集計の間ゲストの浜口浜村浜口浜村がネタをやって、最後は浜口浜村による結果発表。これがもうびっくりするぐらいしっかりと「普通のバトルライブ」。ネタは全然普通じゃないけど。まぁ1組しか出てなくて何が普通だって気もするけど。
優勝者には賞金五千円、敗者は罰として引退という過酷なこの勝負に、集計の結果どうやら浜口浜村は負けたらしい。引退しますと言って暗転、客電もついてしまう。


袖をフルに使って紆余曲折あった結果、単独ライブが再開されることになり、真っ暗な中浜村さんが影マイク浜口浜村の歴史を捲し立てる。「結成2002年、テレビ出演4本……」聞いたこともなかったデータやM-1THE MANZAIの戦績の最後を飾るのは、オンバト117KB。ささやかすぎる数字はどれもこの日の笑いの量にまったく見合っていなかった。それが逆に私に心強くあった。ああちゃんと見られていると思った。
影ナレの中で、浜村さんは浜口さんを紹介した。ネタも作らない、愛嬌だけの男と。そして「その変なおもしろさに、僕はずっと憧れています」。


浜口浜村の奇妙で多様な漫才を貫くのは「親友と漫才」ただひとつだと思っていた。それはつまり「浜村さんの親友と漫才」と言うことで、浜口浜村の漫才は、浜村さんのやりたいことを浜口さんの力を借りて形にしているものだと思っていた。
私はずっと、浜口浜村のことをどこかで「浜村くんと浜口くん」だと思っていたんだと、今日わかった。
もしも彼らに(改名の漫才のようなインパクトのある名前でなくても)例えばなにかカタカナ名前でもついていたら、もっと別の見方をしていたのかもしれない。
考えてみると、風藤松原とか、浜口浜村とか、西村深村とか、なんで私が好きになる芸人さんは名字コンビが多いんだろうねぇたまたまだけど、と思っていたのだけど、たまたまではなかったのか。
名字コンビには、個人と個人の名前が残っている。ふたりでひとつの名前を名乗っているけど、それぞれの名前も名乗っている。コンビという別人格が薄い。
それぞれの人生、その関わりを容易にたぐって芸に投影できてしまうから、そう言う見方が私には心地よかったのかもそれない。


影ナレの最後で、浜村さんは、「浜口浜村」に対して「頼むから、大器晩成であってくれ!」と言った。
自分がやってるコンビなのに、なんて制御不可能で予測不可能で他人事みたいなんだと笑った。
その瞬間、浜口浜村という器が、浜村さんからぽろりと外れた。これはご本人どうこうではなく、私の心持ちの中で。そのくらい、私の中で浜口浜村は浜村さんとイコールだったのだ。


自主ライブくんが終わった時、「彼らの人生をまるごと応援したい」と思った。
今日は、ああ楽しかったー!とだけ思った。
これから、浜口さんと浜村さんは、観客のあずかり知らないところで送った人生をそれぞれ持ち寄って、それをネタに昇華するからそれを見てただただ笑いたい。
だって、浜口浜村は、そう名乗る芸人だから。
彼らがやっていることは、ネタだから。
浜口浜村のネタをぎゅっと見て、こんなある種突き放した感情になるのは初めてだった。切なさもあったけれどそれを遙かにしのぐ楽しさでもって、からりとしていた。ただただ、何の憂いもなく、楽しかった。
拍手をやめたくなかったのだけは自主ライブくんと同じだった。


10年の芸人人生全部を板に乗せてバイタスという毛布でくるんだような自主ライブくんとは違って、浜口浜村という名の芸人を、浜口さんと浜村さんがどーんと引き受けたようなライブだった。
おもしろいことがわからないとか、受けないんだとか、叫ぶ姿に、今までなら全力で「そんなことないよ! おもしろいよ!」ってわめきたかったけど、今日は言わなくて良いと思った。だって、浜口浜村は、芸人だから。あれは、ネタだから。
なによりも、おもしろいも楽しいも全部あった。ミラクルの、舞台上にも、袖にも、客席にも、投票用紙にも、暗転中の暗闇にも、とにかく空間全てにあって、あとはこれがミラクルからあふれ出して日本中に広まるだけだと確信できた。
観客のひとりにすぎない私が声高に訂正しなくたって、プロの芸人であるふたりにはわかってる。彼らのおもしろいはこれしかないと。


彼らがカタカナ名前を名乗っていたら
スーツを着て漫才をしていたら
もっとはやくわかったことかもしれない。ことほど左様に漫才は、ネタ以外のあらゆるものを認識の材料にして見ている。
浜村くんと浜口くんが、永遠にふたり遊びをしているのが魅力だと思っていた。そんなふたりは、いつの間にか浜口浜村という図太い芸人になっていた。


最後のネタ「初心に帰ろう」。初心を思い出すために初舞台を再現すると言う浜村さんを、浜口さんは全力で止める。18歳のときやったネタなんて受けない、わけのわからなさが今の比じゃないと冷静な分析(笑)。しかし浜村さんがやろうといったのは、全然別の「初舞台」のことだった。
このネタの中でふたりが揃って歌ったスピッツの「空も飛べるはず」。まったくもってふたりのことのようだった。

君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい

家でイメージトレーニングをしている時すら泣いていたという浜村さんは、このネタで泣かなかった。
見ていた私も泣かなかった。
彼らの夢を濡らす涙はとっくに海についていたのかもしれない。あとは笑い笑わせるばっかりだ。