親友と漫才

12/4 新宿バイタス 19:30
浜口浜村の自主ライブくん さよなら自主ライブくん編


浜口浜村が1年やってきた自主ライブの最終回。
最初の漫才ライブの半分と、ゴミ拾い編は行けなかったけれど、毎回楽しみにしていたライブだった。
以前にも書いたけれど、漫才ライブ編は事務所ライブともK-PROさんのライブとも違う良さがあり、出演者のたたずまいも自然いつもと違っていた。単純にこの日良いライブというだけでなく、この世代の心に種として残って、いつか彼らが漫才という文化を作る第一線に立った時にそこにはこのライブの何かが息づいているのではないか、そんな広がりと未来が感じられた。
そして「変なことをやる偶数回」である「人形劇編」と、リバティでやった「番外編」、見られなかった「ゴミ拾い編」。その全回と、さらに去年の休業と復帰、それも含めた丸10年分の芸歴全部を舞台の上にのせたのが最終回「さよなら自主ライブくん編」だった。


人形劇「ジ・シュライブくん物語」の途中、10年分のネタを10本続けてみられるのだとわかったとき、ああなんて贅沢な時間なんだと、思わず舞台から目を離して空を見てしまった。決して知り得ない時代のネタは、今の浜口浜村が演じているからそのときと同じものではないのだけど、それでも、こうやって目の当たりに出来ることがあるなんて。「浜口桃太郎」や、さわりだけ知っていた「図形を贈る」もあった。私が初めて浜口浜村を見た「空手」もあった。おそらくフル尺だった。


浜口浜村はほんとうに奇妙な漫才師で、いわゆる名刺になるような決まったパターンがない。
新ネタの度に、フォーマットから違っていて、毎回その仕掛けがわかる瞬間がたまらない。でもその全部が、浜口浜村にしかできない漫才しかない。
全く見たことないけどなんか好きだなと思って手に取った商品のメーカーがいつも一緒だったみたいな。見た目は全然違うんだけど、鋳型の方にはぜんぶ浜浜印がついているような。


単独ライブの最後のネタ「ロボット*1」、3回の漫才編の最後のネタ「天才になりたい」「WOW WAR TONIGHT」「死んでお詫び」、今回の「ボクシング」*2「楽しいをあげる」。どのネタも全く違う形だけど、ただひとつ「親友と漫才」だけが共通して根底にある。
共演者やお手伝い、ネタをコピーして一緒に演じる仲良しの芸人さん、そしてそれを見て笑う、ジグザグジギー池田さんに「これを見て笑うお客さんが一番おかしい」と言われた客席。親友と漫才が全てのような浜村さんに、1年かけて多くの味方ができたのだと思った。
浜村さんはジ・シュライブくん人形に頬を寄せながら「自主ライブくんのおかげで次にいけそうだよ」と言った。


バイタスは目下漫才を見るのに一番好きな劇場で、最前列とステージの間は数十センチしかない。
でも、その数十センチはこちらが絶対に超えてはいけない距離で、そしてカーテン一枚で仕切られた楽屋も(厳密にはバイタス楽屋なくて芸人さんみんな路上にいるらしいけど)、決して覗いてはならない。
見るだけの者として、そっちを覗き込んで加味してネタを見るというのはぜったいにしたくなくて、好き/嫌いはもちろんあるけれど、台所事情のようなものでおもしろい/おもしろくないを決めないのはお金を払って見る者の矜持のようなものだ。
でもそれが気になってしまうのも人情で、そんななにもかもを舞台上にのせて「見て良いもの」にしてしまった浜口浜村の1年がかりのライブは、どこまでが虚でどこまでが実かなんて置いといて、ただ、こんなに見てしまったらもう彼らの人生を丸ごと応援したい気持ちにしかならない。とはいえ何ができるわけじゃないのがつらいところだけど。ちょっともう贔屓目以外では見られない。
だから拍手が鳴り止まなかった。これ以上何を見せて欲しい訳じゃないけれど、拍手を止めたくなかったし、どれだけ拍手しても足りると思えなかった。
浜口さんが「お笑いライブでこんなことありますー!?」と言いながら再び出てきて、ふたりとも困っていたけど、その特例があなたたちの1年の成果だと伝えられて良かった。


いつか浜口浜村が70歳くらいになって、共白髪で漫才をするとき、この日を思い出すことがあるだろうか。
あのときたった10年で振り返ったね、今じゃとても1度のライブじゃできないねって。
真っ黒な模造紙に針の先で突いた穴から漏れる光のように、この日のバイタスの灯りが見えたら良い。

*1:私は単独ライブで見たのではないが

*2:勘違いしてました。これは最後の一個前のネタでした 2012/12/11