from 東京 to スカンジナビア

東京の街が奏でる 第六夜
4/1 オペラシティ 18:30


GO! GO! スカンジナビア vol.5
4/8 スタジオコースト 


エイプリルフールに小沢くんを見て、花まつりスピッツを見た私の4月。こんなことはもうないんじゃないかという贅沢な4月だった。書くだけ書いて、ブログに上げるのはGOスカが終わってからにしようと待っていたらすっかり忘れていて3カ月も経っていた。


ひふみよのときはまず告知の時に「ほんとにやるのか」と疑い、開催日が近くなったら「中止にならないか」と疑い、幕が開いて歌が始まってからも「これ照明点かないのか! その手があったかー!」と、我ながらよくここまで疑ってるのにお金払って時間作って神奈川まで行ったよねと感心するくらいの石橋の叩きぶりだったのだけど、さすがに今回はやるという前提で、ネタばれを必死で避けながらよりによってエイプリルフールを待っていた。
なんといっても会場がきれい! 民間では思いつかない天井の高さ! 始まる前にラウンジでマフィンを食べながら、お酒を飲みたかったんだけどそれは我慢して、いやー贅沢なもんだね、大人でしかできないねと話しながら満喫していた。
コンサートはひふみよのようにモノローグを挟みつつ、3時間45分の長丁場。拍手待ちの時間がかなりあった。みんなどの曲も、コンサート最後の曲みたいに全力で拍手し続けていた。小沢くんは幸せ者だ。
立つとか座るとか歌うとか、指示の多いコンサートで、これは乗っかった方が楽しいんだろうなと思ったので全部乗っかった。男の人が歌う声はなんともかわいらしかった。


小沢くんの言うことは、わかることもあるけどわからないこともあった。「うさぎ!」を読んだときにも思ったことで、私が普段漫然とニュースと見て漠然とよろしくないと思っていることと、小沢くんがはっきりとよろしくないと思っていることはだいたい一緒で、でも知っていることの量とか考えている量とかは100倍も1000倍も違っている。そこを突き詰めようとしている小沢くんの言うことの全部は理解できないし、賛同しかねるところもあるけど、ベクトルうんぬん以前に絶対値が違いすぎるのでそこには敬意を払う、という感じ。でも「なにもかも小沢くんが正しいのだから理解しなくちゃ」などとすると嫌いになってしまうから、適度に退く。
第六夜に初めて話したという「捕鯨船のモノローグ=十二夜コンプリート」の話は、わかる。そして私は今回行こうと思えば2回は行けたのだが、私が2回見るより全部外れてしまった同僚と1回ずつ見た方がいいだろうと思ってそうした。理由は、金額のこととか、会社のこととか、気持ちのこととか、まぁ色々あるけど、結局は「コンサートに行くために無理をする」気持ちがなかった。
捕鯨船のモノローグで、小沢くんは、自分のコンサートにくるよりももっと大切なことを優先してくれと言ったと解釈している。それを、武器を運ぶ船と捕鯨船に例えた。
それはわかる。でも、「小沢くんのコンサートに行くこと」が、「武器を運ぶ船」である人がいることを、小沢くんは想定していない。私にはそういう人がいるということが想像がつく。かつて自分がそうだったから。圧倒的なエンタテイメントとそれを供する人があまりに価値がありすぎて、それにひきかえ自分の瑣末な生活はまったく価値がないように思えて、どうでもよく扱ってしまったことがあるから、よくわかるのだ。それは、エンタテイメントを供する人にはわからないかもしれない。「すごく行きたいライブ」と「強制参加の会社のつまんない飲み会」を秤にかけたことがある人にしかわからない。社会人を10年やって、やっと私は躊躇なく後者を採れるようになった。まぁでもうちの会社はそういう飲み会年に3回ぐらいしかないですが。


新曲の「神秘的」が好きだった。聴いているとき、花森安治の「見よぼくら一銭五厘の旗」と、山崎るり子の「一日」のふたつの詩を思い出した。
前者は言うまでもなく「暮らしの手帖」を作った稀代の名編集者の代表的な一編。民主主義を、生活を自分たちの手に取り戻すために掲げる詩。政府を変えるよりひとつの家の味噌汁を変える方が難しいと言った、生活に根差したジャーナリストの決意表明の詩。
後者は、

疲れの重さたばねて
けい光灯の紐を引けば
出かけた時そのままが
照らし出されるよ台所

で始まる、生きることと台所に立つことの詩集に収められた詩。どちらも、瑣末なことを大切にすることでしかなにかを成すことはできないと思わされる。
「神秘的」にも、「だいどころ」と言う言葉が出てきた。そしてコネティカットの雪が溶ける猫の背なんて、ミクロなところにズームしていた。


「神秘的」をもう一度聞きたいと思うし、待っていればそのうちどうにかなにかしらの形で聴けるようになると思う。小沢くんは待っていたらまた来てライブをするだろうとも思う。普通に生活にしながらそれを待っていれば良い。
でもこれはこのコンサートを見て悟ったのではなく、私は、「聴きたい曲はいつか聴ける」「待っていればまた見られるから普通に生活する」ことを、17年かけてスピッツに教わっていたから、今こんなにすっと腑に落ちるのだ。



花まつりの日、スピッツのファンクラブ会員限定ツアー「GO! GO! スカンジナビア vol.5」に行ってきた。5年ぶりの開催。会場ごと人気投票の上位の曲をやったり、ファンクラブ発足20周年にちなんで20位、スピッツ結成25周年にちなんで25位、そしてファン投票殿堂入りの「猫になりたい」をやったりとセットリストからして普段のツアーとはだいぶん趣が違うライブ。プレゼントの抽選会もあり、2,400人と大きな箱ながらとても内内の温かい雰囲気に満ちていた。
普段のライブももう長いことファンの人が多いと思うのだけど、それでもファンクラブ会員だけとなるとメンバーにも格別の安心感があるのか、普段よりずっとリラックスムードでMCもメンバー全員たくさんふわふわと喋ってくれてとても楽しかった。
このライブは会員のみしか入れないので、前に行った時はほぼ1人参加の人だけに見えたのだけど、今回は夫婦で来ているらしき人を数組見かけた。ちなみに普段のライブは家族連れが結構多い。若い時にスピッツを好きになって、そのまま大人になって家族が増えて、今度は家族と来ているのかなと想像する。ひょっとしたら、スピッツきっかけで結婚した夫婦とかいても不思議はないよなー、などと。
もともとスピッツのファンは異様に黒髪率が高かったり、親近感を覚えやすいのだけど、会員だけとなるとまた(単に自分だそうだからかもしれないけど)「スピッツとともに年をとってきました」と言う人が多いように見えて、なんか、すごくみんなに生活感があるのだ。
抽選会の時読みあげられる会員番号は、3ケタの人から9万番台の人まで様々だった。みんな、どのタイミングでどの曲で、ファンクラブに入ろうと思ったんだろうなーと思いながら聞いていた。


スピッツにはインディーズ時代にやっていた曲が多々あって、高校生の頃、それが聞きたくてしかたなくて「ヒバリのこころ」がほしくて(当時はyoutubeもないし)地団太踏むくらいだったんだけど、あれから17年たって、結局色んな形でアルバムに収録されたりライブでやったりして大体聞くことができた。実は今も、一度聞いたきりの「ヘンシンポーズ」がまた聞きたくて今回の投票でも入れたんだけど聞けなかった。でも、そのうち聞けると思っている。
以前はツアーを追っかけてる人を羨ましいなと思ったし、行っていない会場のレポートを探しまわったりもしたけど、それも公式がステージレポートを上げてくれるようになってそれで良いかと思えたし、(最近は外れることもあるけど)ツアー中1回は、ファンクラブの優先予約でなんとかなることがほとんどなので、それで近所の会場で見てよしと思うようになった。なによりたった1回で、裏切ることなく必ずとても楽しいライブを見せてくれた。


抽選会も終わって最後のごあいさつで、三輪くんが「これからまたアルバム制作に入ったらなにやってるのかわからなくなると思うけど、それができたらまたツアーやるんで」と言った。もちろんこちらは、スピッツが表舞台に出ない間に素敵なアルバムを作ること、それを持ってまたたくさんツアーを回ること、夏にはフェスもやるであろうことを、信じるというより承知の上だった。それまで普通に暮らして待っていれば良い……というのですらなく、普段の生活の内にその報せが舞い込んでくることが織り込み済みだった。
マサムネくんが「みんな、ネバーダイで」と言った。昔、メンバー同士で「みんな、死ぬなよ!」と言い合っていると言っていたけど、ファンもまたそうであると。とにかく生きていればまたこんな風にライブで会える時が来る。スピッツはそれを言葉で話すのではなく、20年以上曲とライブを通じてそれを示し続けてきた。私がミュージシャンとバンドに対して信頼をなくさずいられたのは、ぜんぶスピッツのおかげだ。


小沢くんのやりたいことの全部はわからないけど、ファンが小沢くんのために生活を犠牲にするのではなく、自分の生活をしつつそこに小沢くんの音楽があること、が目指すことのうちのひとつであるならばスピッツスピッツファンの関係はそれに近いのではないかと思う。あと、友人の話を聞く限りだとアルフィーとミッチーとゆずも。つまりそこまでの信頼関係は十何年もの愚直な活動を通じてやっと築かれうるもので、それをすっとばそうとするとあの長い長い解説は必要なのだろう。
それでもやっぱり小沢くんは特別なので、これは理屈ではなく、ほんとにこの世に文化というものがあると教えてくれた人だから(そして形は異なれどきっと今も小沢くんを好きな人にとって小沢くんはそれぞれの特別であろうから)、理解したいとすごく思っていて、そういう積極的な力と、なにより小沢くんの歌の力を借りて、信じて行くのだと思う。
さっき躊躇なく飲み会をとると言ったけど、でも小沢くんだと悩むかもしれない。それはやっぱり、もう次はないかもしれないとちょっと思っているから。
これから先何年も何十年も、小沢くんを見られる機会が続けば、そのときやっと、長い話を聞かずとも「次にしよう」って思えるのかもしれない。


小沢くんに対して、生きていればまた歌が聞ける時が来るのかもしれないと思える、これだけでものすごいことだ。ほんとうにもう二度と、聞けないのかと思っていた。13年経って再び、さらにもう一度、小沢くんを見る機会を得て、二度とと言う言葉を、30年ちょっと生きただけで軽々しく使ってはいけないのだなと知った。「二度と」と言う言葉は、「生きてさえいればまた会える」に、勝てない。
学生の頃、日々同じことをするだけで大きなことを何一つ成していないように見える大人が、なぜ絶望せずにいられるんだろうなんて浅ましいことを考えていた。
大人は、こんなにも遠い約束を生きていたのかとやっとわかる。それは子供の目には約束とは見えないほどに薄く遠く形のないもの。大人の日々はそれだけで、お互いに生き続けると言う遠い約束を果たしている真っ最中だった。


一戔五厘の旗


だいどころ