僕うたうひと、君おどるひと

吉本に対して全く知識がなく、ライブに関しては若干の苦手意識さえ持っている私が、バカソウルの収録には行ってみたい。
なぜかというと先週と今週の2700がおそろしくかっこよかったから。
先週は「右肘左肘交互に見て」、今週は「このダンスをする」。
先週録画しなかったことを転げ回って悔しがったので、今週はちゃんと録った。昨日今日と何度も何度も何度も見ている。
見れば見るほど、「このダンスをする」が切なくて哀しい歌に聞こえてくる。
基本的には

僕はこのダンスをする
僕はこのダンスをする
僕は陽気者だから
このダンスをする

を繰り返すんだけど、聞いていると、だんだん、この人は「陽気者」じゃないと思えてくる。
「僕は陽気者だから/このダンスをする」つまりひっくり返せば、「このダンスをしている限り、僕は陽気者でいられる」。陽気でいるために、それを保つために、この人はとりつかれたかのようにこのダンスをしているんじゃないかと思えて仕方ない。


ネタで見てたときはこんなふうに思わなかったなぁ。単にあのダンスの動きが面白いのと、脈絡なくダンスし続ける意味不明さがおかしいだけで。
なんでだろう、演出が派手になっているのに、曲の寂寥感が増すというのは。
一度見ただけだからはっきりとは思い出せないけど、「右肘左肘交互に見て」も、より刹那的になっていたように思う。


浅い知識だけど、八十島さんがネタを考えて、ツネさんはなにがおもしろいのかわからないまま踊っているらしいと聞いている。2700はそういうコンビだと認識している。
踊るツネさんが目立つから、だいたいツネさんが映っている。ときどき、八十島さんとツネさんが一緒に映る。そのとき、くっきりと世界が完成したように見える。世界を歌う八十島さんと、世界を体現するツネさん。
「僕はこのダンスをする」と歌う八十島さんは、実はダンスしない。八十島さんの言う「僕」はツネさんの演じる人だ。考えてみるととても奇妙だ。たったふたりしかいないコンビなのに、2700の歌う世界に「僕」はもっと少ないたった一人だ。
十島さんが「このダンスをする」と歌っても、ツネさんが踊らなければ世界は成り立たない。とりつかれたように「このダンスをする」ツネさんは、陽気者であるためにダンスし続ける「僕」と同じように、2700の世界を成立させるために、絶え間なくダンスし続けているように見える。
違うと思うけどね。歌詞の意味をひっくり返して捉えたように、たぶん、ひっくり返してしまっているんだとわかっている。ただ踊っているツネさんに、意味をくっつけてしまいたいだけなんだと。
それでも八十島さんの歌う歌詞のままに踊るツネさんはまさに「ボディ担当」で、脳みそが外にあるように、ただ笑顔で踊る。2700の世界を支えて。その姿が哀しいまでに楽しそうだ。


十島さんが下手に行って客席を煽るとツネさんもそっちに行って踊る。上手でも同じことをする。最後、八十島さんとツネさんの叫びが重なってしまう。ツネさんが声を出したのはそのたった一回なのに。
十島さんもツネさんも、おひとりだったらどうしていたのか想像もできない。お笑いコンビって、なんでこんなに誰も彼も奇跡的な組み合わせなんだろう。
ちょっと見ただけでこんな風に語るのもなんだかなぁと思うのだけど、言わずにいられないくらい、音楽のステージの照明に照らされて、ライブのカメラワークで抜かれる2700が奇跡のように輝いて見えたのだ。どうも見返す度、いちいち感動しているらしい。
「このダンスをする」と歌う人がいて、「このダンスをする」人がいる。その二人が同時に映ったとき、はじめて「僕」が現れる。2700が。