本がつなぐ本をつなぐ

先日テレビで話されたと言う、又吉さんと夏葉社のエピソードが夏葉社さんのブログで読めた。
番組についての、てれびのスキマさんによる丁寧な書き起こしがこちら。

てれびのスキマピース又吉の邂逅の書


私は見ていないので、残念ながらこの番組については書けない。その分又吉さんの連載を読んでみようと思ったのだけど、今日は「アクチュール」が見つけられなかった。明日また探しに行く。


良い話だなぁと思う。そしてそれ以上に、なんとなく親しみを感じる。本を求めて本屋古本屋をめぐる習慣があった人には、おそらくこれが彼だけに起こる奇跡だとは感じられないのではないのか。


私は愛書家、狂書家にあこがれていた。人生をかけて本を集めて、それに埋もれて暮らす人になりたかった。その本の数十年を預かり、次の数十年を誰かに渡したかった。結局、私はその器ではなく、この5年間で持っている本の量を半分にした。とは言え一番多いときでも、二千冊もなかったと思う。又吉さんが読んでいる量と比較するまでもなく、15年前の自分にだって鼻で笑われるであろうほどに本を読む量は減った。
昔日の客』も、上林暁傑作小説集『星を撒いた街』も、ここ数カ月買おうかどうしようかずっと悩んでいた。悩んでいた理由はただひとつ、この本は美しすぎて、処分するとき困ると思ったのだ。もう手放すことから考えている。そういう順序で、物を考えるようになっている。


私程度の本読みにも、本屋に通っている間にはいくつか邂逅と呼べる巡り合いがあり、奇跡もあった。だから、又吉さんのこのお話は、ただ羨望と言うのではなく、ありふれているというのとは違った意味で、「ああきっと本屋には、そういうことがあるだろうね」と、頭から信じられるような、なんとなく身近な、美しい挨拶のような逸話だと思った。


本屋には奇跡が点在していて、不思議な縁が緩やかにつながっている。その感覚を思い出した。
本屋をめぐった経験のある人には、奇跡を信じる素地があるのではないか。それは、人生のほかの局面においても。