漫才

芸人交換日記
8/7 東京グローブ座 17:00


そもそもの前提として、私は本読みのはしくれとして小説の「芸人交換日記」が嫌いだと言うことを言っておかねばなりません。完全に文句を言うために読みました。稚拙で、最後は小説としての禁じ手3連発で、生まれて初めて小説を読む人がこれを読んで「これが小説か」と思われたら困ると思っています(当たり前ですが、だからといって、この小説が好きな方や感動した方の感想を否定するつもりは毛頭ありません)。
そして、お笑いを見るものとして、「売れない若手の苦悩」を当人以外から商売にされることに大きな抵抗を感じたことも同じく言っておかなければなりません。と言っても、この題材に多大な興味があったのは事実で(じゃなかったら読まない)、その商売っ気とそれに対する自分の抵抗に気付いたのはお願いランキングでの芸人交換日記企画の2週目、ダイノジの回を見たときだったので、だいぶん後のことですが。
そして最後に、舞台化して、ほかならぬ「オードリー若林」と言う、もっとも動員力がある芸人を過たずキャスティングしたこと、そのあとの煽り方、DVD発売決定ときて、「芸人交換日記」と言うパッケージそのもののあまりに見事な商業的戦略に、その物語の内容=自分が普段ライブで見ている芸人さんの現状とのどうしようもない断絶を感じて、どうにも感情の持って行き場がなくなったのでした。
そんな私が、舞台「芸人交換日記」を見る機会に恵まれました。チケット取りには全敗し、完全にご厚意で譲っていただいたもので、ほんとうにありがたかったです。もやもやしかなかったからこそ、自分の目で見られて本当に助かった。そしてなによりオードリーファンとして、若林氏があの役を演じるならば、結局とてもとても見たかったのです。思うつぼだと言われても、それは構わないのです。そこで「芸人の苦悩を商売にしてる輩にいっさい金は落とさないぜ!」と言うほどパンクじゃないのです。パンフも買いました。


舞台で見た芸人交換日記は、そういうもやもやを全部ではないですがだいぶんとりはらって見ることができました。終わった後の感情はいっそう複雑になっていたのですが、見ている間は、そこにいる人々に引き込まれました。演出のいくつかはひっかかるところもあったのですが、演者に持っていかれました。
以下、かんぜんに主観の感想で、細かい部分には触れていませんがいちおうネタばれです。大阪公演を見る方、DVDを楽しみにしてらっしゃる方は見ないでください。
あと、もう本が手元にない上に通読したのが一度だけなので「カワノさん」の表記が「川野」か「河野」か思い出せません。前者で書きますが間違っていたらすいません。調べる機会があったら直します。


劇中で甲本は「夢を諦めるのも才能だ」と言いました。これは、若者が夢を諦める物語だとされるのでしょう。よくあるちょっと長めの青春の挫折なら、ここまで割り切れない思いがのこるだろうか。私が普段見ている芸人さんたちの姿を投影している部分ももちろんありますが、それを一緒に書くとややこしくなるのでこの点については後でまとめて触れるとして、まずとにかく物語についてだけ書きます。
私が見たのは、夢を諦める物語ではなく、夢を選んだ物語でした。その中に、夢を選べなかった人がいる。だから、こんなにも悲しくてやるせなくてくやしいのです。
誰もが夢を選べたら苦労はないと言われるかもしれませんが、選ぶ夢は必ずしも1番の夢じゃなくても良いのです。
ちょっと脇にそれますが、私はだいぶん若い時分に「どうも自分は夢とか希望とかを持つタイプじゃないらしい」と気付いたおかげであまり苦労をしなかったのですが、夢ってそうそうみんなが持つものでもないと思っています。子供のころから夢を持て夢に向かって頑張れ夢のためなら何しても良いという教育は、しょーじきしんどい人間もたくさんいると思うんですけどね。
話を戻しますと、大事なのは、夢を選ぶこと、もっと言えば選んだ夢を信じられるかどうかだと思うのです。


この物語に立ち向かうために、これまでに読んだ偉大な物語のちからを借りることにします。川原由美子観用少女「嵐」*1より

王子様だよって言われても
ウッソだぁってお城に行かなかったら
貧しい子供は貧しいままなの
信じることが力なの
自分で選ぶことが大切なのよね

田中は、自分の夢を選べなかった。タナフクを選びはしたけれど、それはイエローハーツと言う一番の選択肢を奪われた後のことです。
だからくやしい。悲しい。この物語に対する割り切れなさは全て、「誰に田中の夢を選ぶ権利があったのか」と言う1点に集約されます。
甲本は、自分の夢を選べた。家族を守り、田中を売れるコンビにすることが自分の幸せだと信じられた。そのために小料理屋を持つという2番目の夢を、これが自分の夢だと強く信じられた。甲本は、幸せだったと思います。信じられたから。
ただその甲本の選択にも、外圧がかかっているのは確かで、そうなるとやっぱり「川野さん」はこの物語で唯一の悪役に思えるのでした。
田中の夢を選ぶ権利は誰にあったのか。まずは田中。そして、甲本にはあった、と思っています。相方は夫婦のようなもので、夫婦と言うのは他人であると同時に当事者です。一方、川野さんに田中の夢を選ぶ権利があったのか。私には、なかった、と思えてなりません。
川野さんはなにがしたかったんだろう。タナフクという理想のコンビを見たかったのか、田中を売りたかったのか。どちらにしろ他人事ではないか。時にスタッフは、第3のメンバーと呼ばれることもあると知っているけれど、川野さんにそんな親身を感じられない。チェス盤の上の駒を動かすように、ただ自分が理想とするお笑いコンビを見たかっただけじゃないのか、そのために言葉巧みに甲本を解散に誘ったのではないか、そう思えてならないのです。
あんなにうまく、解散に導けるなら、同じように、解散を選ばせないことだってできたんじゃないか。それをしなかったのは他人事ゆえの気安さじゃないのか。
最後まで表舞台には現れなかった川野さんと言う人物を思い描こうとすると、どうしても、森鴎外舞姫*2の「相沢」が思い起こされます。エリスに、あまりの気軽さをもって豊太郎の裏切りを告げた相沢。田中が川野さんをどう思っていたのか、知りえないけれど、「舞姫」の結びの一文を思い出さずにはいられないのです。

嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。

悪人ではないのだと思います。でも、川野さんはイエローハーツと同じ地平にいなかった。
他人に誰かの夢を選ぶ権利なんてない。誰かが選んだ夢は信じきれない。


さらにもうひとつ別の物語のちからを借ります。大島弓子「私の屋根に雪つもりつ」*3より

あんたのために
ということばは
いつ いかなる時も
美しくない

田中は「僕のために夢を諦めてくれてありがとう」と言いました。イエローハーツという選択肢がなかったからタナフクを選べた。それは確かなことです。
でも、甲本と一緒に、イエローハーツと言う選択肢とタナフクと言う選択肢を前にしてきちんと考えることができたなら、結果タナフクを選ぶしかなかったとしても、それは違ったタナフクになっていたのではないのかと思うのです。「天国に行ってまで漫才をしたい相方がいる」と思いながらやる別の人との漫才って、なんなんだよ。悲しすぎるじゃないか。イエローハーツも、タナフクも。
相手のためにと言いながら選択肢を奪うのではなく、相手のことを自分のこととして、一緒に選んでほしかった。それが何番目の夢であろうと、ふたりともが強く信じられるように。それを誰にも邪魔してほしくなかった。


売れたが故の孤独を吐露する田中を、若林氏は泣きながら演じていました。泣いているところを初めて見ました。売れない時代と売れた今、なにより骨の髄まで芸人である若林氏は、「自分を演じる」と言う芸人の本分を全うし、ちょっとだけ「他人を演じる」領域に踏みだしていました。こんな簡単に言ってしまうのもなんですが、お見事でした。
しかし私がいちばん泣くのをこらえられなかったのは、田中圭氏演じる甲本が、芸人を辞めると久美に告げるところでした。
オードリーファンだけど、私は、「ああオードリーは解散する前にふたりそろって売れてよかった」と安堵することはできないのです。今も日々、解散したり廃業したりする芸人さんの話が耳に入ってきます。その人たちがおそらくこの時の甲本のような苦渋の決断を下したこと、今もその瀬戸際で悩んでいる人がきっといること、それが田中圭氏の演技で、おそらくはその立場に一度も立ったことのない役者であるの彼の力量で、初めて「目の当たり」にしたのでした。安堵どころか、焦燥感が募るばかりでした。


私が日々ライブで見ている芸人さんの多くは、芸歴10年を超えています。皆、苦悩し、行き止まりと思えるところからさらにおもしろくなった人ばかりです。イエローハーツにだってこの道はあった。見ているからこそ断言できる。あえて現実とごっちゃにするけれど、エルシャラカーニハマカーンマシンガンズや磁石やタイムマシーン3号や三拍子や流れ星が、誰かの意向で解散なんてことになったらそのあとどんなに売れたって悲しさしかありません。
後これを書くとぶれそうなのだけど、イエローハーツが解散する前に最後に漫才をやったのが公園と言うのも、劇的だけど、それ、ファンは見られなかったじゃないかととにかくそれが気になってしまいました。イエローハーツを好きだった人はきっとたくさんいるよ。その人たちは、生きている間のイエローハーツの漫才がきっと見たかったよ。


私が小説の「芸人交換日記」を読んで真っ先に思ったことは、「これを読んで解散する若手がいたらどうしてくれるんだ」でした。
舞台を見た後に思ったことは、「芸人交換日記プロジェクトすべてにまつわる売り上げの、1割でも良いから今まさに売れなくて解散しそうな若手のために遣ってくれないか」でした。
他人として絵空事をつづるのではなく、当事者として現実にかかわってほしい。外圧ならば、選択肢を奪うのではなく、増やす方でお願いしたい。
でもこの物語の結末から鑑みるに、そんなことはあり得ないともちろんわかってはいるのです。この物語を書いたのは、チェス盤の上には立たない人だから。
ならばせめて、誰も芸人さんの邪魔をしないでほしい。彼ら自身に、ふたりそろって、夢を選ばせてほしい。醒めた夢の次の夢が、別々の夢であっても、強く強くふたりが揃って、信じられるように。どうか、誰も誰も誰も。